【障害×生き方】『特権性』という言葉が誰かを傷つけていないか?
特権性
この言葉を聞いたことがあるだろうか。
多くの場合、それは“マジョリティ(多数派)”に属する人たちだけが享受している、見えにくい恩恵のことを指す。
その特権ゆえに、“マイノリティ(少数派)”は差別や不平等な扱いを受けている──そんな構図が語られる。
でも、私はそこに違和感がある。
たしかに、障害者として生きていると、社会の中で「一緒にできないこと」がたくさんある。
けれど、だからといって、「あなたは特権を持ってる」とマジョリティに向かって糾弾するのは、何か違う気がするのだ。
マジョリティは楽に生きているのか?
誰もが、みんなそれぞれ必死に生きている。
健常者であるということ、それは決して“楽をしている”わけじゃない。
むしろ、現代の「普通」はどんどん難しくなっている。
スマホもPCも使いこなせて当たり前。
空気を読み、相手の要望に寄り添い、誰もが“理想の自分”を演じ続けている。
でもそれって、本当に“普通”なのだろうか。
“特権”という言葉は、しばしば「努力しなくても自然と得られるもの」とされる。
けれど、現代におけるマジョリティの生き方が、本当にそんなに「自然で楽なもの」なのか──私は疑ってしまう。
特権を得たとして、その末路とは?
仮に、障害を持つ自分が「健常者と同じ身体を得た」としよう。
立てるようになった。
体が自由に動くようになった。
歩ける、見える、聞こえる──
その瞬間、世界は大きく変わるかもしれない。
今まで諦めていた場所に行けて、できなかったことができるようになる。
「やっぱり、特権って存在したんだ」と思うかもしれない。
──でも、その感動はいつまでも続くだろうか?
きっと、それは“普通”になる。
すると次に目につくのは、「もっと上の特権」だ。
あの人は頭がいい
あの人はお金を持っている
あの人は人脈がある
人間は、時に愚かだ。
欲望は際限がない。
与えられた「自由」に慣れてしまえば、次の「不自由」に目がいく。
人は、持っていないものに心を奪われやすい。
そして、どんな特権を得たとしても、それを活かすには努力や知恵が必要だ。
「与えられたこと」そのものよりも、それをどう使うか──それこそが、人生を形づくる大きな力なのではないだろうか。
「特権性」を語るのであれば…
もうひとつ、忘れてはならない視点がある。
それは、マイノリティ側にも「特権性」は存在し得るということだ。
たとえば車椅子。
もちろん、足が悪いから必要で使っている。
でも、少し見方を変えると「座って移動できる乗り物」という一面もある。
体力を消耗せず、楽に移動できるという利点だってある。
他にも──
エレベーターや施設での優先案内
障害者手帳による医療費や交通費の免除
年金や福祉制度からの支援
「当たり前の配慮だ!」と言われるかもしれない。
けれど、制度の恩恵を受けているという点では、それもまた「社会から与えられた特別な条件」だ。
もしマジョリティに対して「特権を持っている!」と声を上げるのなら、同じように自分たちの“受け取っている側面”も問われるだろう。
つまり──「殴るなら、殴られる覚悟も持て」ということだ。
「特権性」という言葉の前で、私たちは何を問うべきか
私がここで伝えたいのは、
「特権性」という言葉が、相手を責めるための武器になってしまっていることへの危機感だ。
たしかに、特権は存在する。
そして、それが無自覚に機能する場面も多い。
だが同時に、「特権性を指摘する側」にもまた、無自覚な立場や恩恵がある。
どちらが上で、どちらが下かという話ではない。
それぞれに違う条件があり、苦労があり、時に優位性がある。
だからこそ私たちは、
「どんな特権があるのか」ではなく、「その特権をどう扱うか」に目を向けなければならない。
声を上げることは大切だ。
だが、その声が誰かを押し潰すものになっていないか、立ち止まって考えることもまた大切だ。
「特権」という言葉に、何を乗せるのか。
それは、自分自身の生き方にも問われている。
川沿いを走る人と車椅子の私
私は車椅子に乗っている。
健康のため、川沿いを走っている。
ガラガラガラ…とタイヤが回る。
私の背後から、赤いTシャツの男性が私に脇目も振れずに追い抜いていく。
彼の姿はすぐに小さくなり、あっという間に遠くへ行ってしまった。
私は思う。
それでいいのだ、と。
競争じゃない。
比べるものでもない。
私は私の速度で、できる範囲で、自分の人生を生きていく。
「特権がある」「不公平だ」と叫ぶより、
お互いが「自分にできることを、できる範囲でやっている」──
その姿こそに、敬意を払いたい。
「特権性」という言葉は、誰かを責めるために使うのではなく、
むしろ、誰かの背景を知るために使いたい。
どんな立場であれ、
人は皆、違う条件のもとで、必死に生きているのだから。
