小説:キンタマ〜序〜
ーーーーーー序ーーーーーー
恥じらいもなく迎合できる季節を過ごした。
その後はもう冬だった。
勝気なことを無自覚に、稚気をばら撒いた幼少期にその根幹があるのなら、果たして今考えを巡らせていることにも頷ける。
いや、それはそれであり、
実際はさらに遥か昔の事柄に由来することなのかもしれない。
四方八方に進む箱、エレベーターと呼ぶことができるのであれば、この箱をエレベーターと呼ぼう。
このエレベーターと思しき箱に乗った私は、上下や前後の感覚を失いながら何処かしこへと運ばれていった。
私の意思が反映されるわけではなく、エレベーターはエレベーターの思いのままに進む。
上下に動いていき、左右に動いていき、前後に動いていく。そこに規則性はなく、エレベーターが向かう先へと私は向かっている。
何分か経った、おそらく何分かが経った後にドアは開かれた。
目の前に広がるのはおよそ想像していたような、よく小説の表現で目にするような暗闇を携えた廊下だった。
その廊下へと足を踏み入れていく。
躊躇するような理由もなく、こういった場合は足を進める他ないと、感覚的に知っていたのだろう。
歩き始めてみると、暗闇の先に際限がないことに気がつく。
何処までも続いているであろうこの廊下を、進めば進むほど、振り返った時に見えるエレベーターの光は小さくはなっていくものの、その輝きは増していく。
不思議なことにエレベーターは扉を開いたままで、ずっと光を放っていた。
むしろ、どのような暗闇やスモッグに覆われた空の中でも輝く、なぜか強い光を放つ星のように、「そこに在ること」を示していた。
大体こういうエレベーターなんてすぐに扉を閉めて、その扉自体が消え去ってしまうようなことが相場であるかと思ってもいたが、そんなことはないようだ。
廊下を歩き始めてからどのくらいが経ったかわからなくなる頃に、私のつま先に何かが触れる音がした。
何かを踏んだり、何かに触れた感覚は無かったのだが、足元にはうずらの卵か鳩の卵のような大きさの球体が転がっていた。
それは、
キンタマだった。
人が生きるうえで、いつどこに誰のキンタマが落ちていることを想像しようか。
想像というのは基本的に個々人の範疇で自由であるはずで、そこに天国や国が無いことを想像してみたことは一度くらい皆あるだろうが、暗闇を携えたやけに示唆的な廊下に、キンタマが落ちているというこの状況は、やはり稀有なことであると思う。
私がその卵のような球体と思しきものに対し、誤った認識をしている可能性も鑑みて、よく目を凝らして見てみたが、やはりそれはキンタマであった。
それはキンタマであると、私は強く認識していた。
触れることは出来ないが、確かにそこに存在している。試しに足で転がしてみようとしたが、触れることはできない。
しかし、音が聞こえてしっかりとキンタマは、転がりだしていく。
「どうしてこんなところにキンタマが?」
私はそう思った。
そう思うことしかできなかった。
ただ、そこにキンタマが転がっていることをもう否定することはできないし、その事実を踏まえて思いあたることが全く無いかといったら、そんなことも無かった。
これは私と、私にまつわる人々にとっての、春を告げる差配についてを問うための命題であるのかもしれない。
縮小しながらも光を増すエレベーター、暗闇の廊下、転がるキンタマ。
まず思い出すべきはあの冬の日のこと。
振り向くたびに捉えられる光を目に、振り返る日の想いを追う。
