夜桜めぐり山田さん [1000文字]
会社の花見会がはじまって一時間。
あたりはすっかり真っ暗で、あちこちから歓声が上がっている。
しかし、美緒は退屈していた。
だからといって笑みを絶やしたりはしない。
入社したばかりなのだ。
見上げると夜桜。
昼とはまったく違う顔。
風に揺れるでもない。
ただ、時をこの場に縫い付けている。
会社の人たちは上機嫌で笑っていた。
お酒もそこそこ。
美緒は相槌をうった。
内輪話ばかりで、何の話か分からないけれど。
隣で静かに飲んでいるのは山田さん。
五十代のおじさんで物静か。
でも独身。
休憩室で先輩たちが話していた。
いい年して独身はちょっとね。
美緒は山田さんに名札《ラベル》をつけた
「ちょっとねのおじさん」と。
ちょっとねの山田さんが席を立った。
美緒もお手洗いにと席を立った。
そのまま、ひとり散歩をした。
桜の花が空に向かって手を広げている。
人の名札など、気にもしていないだろう。
しばらく歩いていると、山田さんがいた。
ひときわ大きな桜の下だ。
ひとりで桜を見上げている。
声はかけない。
それがいいと思った。
山田さんは桜を見ていない。
何か別のものを、どこか遠くを見ているようだ。
美緒は立ち去ろうとしたその時だ。
山田さんが目を見開いた。
桜の木の向こうには女性が立っていた。
山田さんと同年代のようだ。
同じく驚いた様子で山田さんを見ている。
二人は挨拶すら交わさなかった。
ただ、お互いを見つめていた。
夜桜が二人を見下ろし揺れていた。
しかし、それは唐突に終わった。
後ろから「母さん」と声がかかったのだ。
女性は「今いく、先に行って待っててね」と返事をした。
二人の視線がもう一度、重なった。
小さく会釈をし女性は立ち去った。
山田さんも会釈を返し、彼女を見送っていた。
美緒は急いで、その場を立ち去った。
しばらくして、山田さんが戻ってきた。
無言で座り、静かに夜桜を見上げている。
美緒は山田さんの名札をアップグレードした。
「夜桜のおじさん」に。
美緒はお酌をした。
山田さんは嬉しそうに受けた。
そこへ桜の花びらが落ちてきた。
ひらりひらりと舞いながら。
盃に入りそうだと見守った。
しかし、花びらは盃をかすめて地面へ落ちた。
盃の中で、かすかに夜桜が揺れた。
(了)
ちょっと文体を変えてみました。
こちらの企画に参加させていただきました。
■セリフ
「待っててね」
■三題
・アップグレード
・名札
・夜桜
▼投稿ルール
投稿締切(任意):2026年4月9日(木)23:59
ハッシュタグ「 #せりふ三題噺 」「 #アップグレード名札夜桜 」をつけて投稿
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