Episode 003 「アデレード」
オーストラリアでの行き先は、南オーストラリア州の州都であるAdelaide(アデレード)という街だ。2024年時点での人口は約130万人だが、当時(1996年)はおそらく100万人程度だったと思われる。このアデレードという街、毎年発表される「世界で最も居住に適した都市」というタイトルのランキングで必ずと言って良いほどトップ10入りを果たしている。私が知る限りでは、ここ約20年はランキング入りを果たしてると思われる。尚、そもそもこのランキングは、「クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)」の観点から行われる調査を基に作成された「居住に適した都市リスト」に与えられる名称、とのことである。もちろん、こう言ったランキングをどこまで信じるのか、などに関してはもちろん各自の自由である。また、私も個人的にはこの様なランキングに対し、必要以上に(本質的な)意味などを見出したいと思わない性格であるが、あくまでも何かを判断する際に、「参考となる可能性がある、数ある内の判断基準の一つ」としてみている。
しかし、この様なランキングでアデレードがランクインしているという現象を目の当たりにするという事に関しては、些か複雑な気分でもある。なぜなら、実際にオーストラリアに引っ越したばかり(1996年)の頃(Episode001参照)は、この様なランキングの存在すら知ることもなく(つまり、この様なランキングにランクインする様な街に住んでいるという事実を全く実感する事なく)、ただひたすら毎日を(控えめに言っても)過ごす事で頭が一杯であったからだ。
気分的には、自分が数年前まで定期的に口にした食べ物に対し、「実は、数年前まで君が口にしていたあの食べ物は、世界三大珍味の一つなのだよ」と言われている気分に似ているかもしれない。つまり、そう言われた者としては、「そんなもの今更言われても、味もそこまで別格に美味しいという感じでもないし、そもそも世界三大珍味って、具体的にいつ、どこで、なんで、一体全体誰がどうやって決めたんでしたっけ・・・?」という様な気持ちになる。ただ、実際のところ、ランキングに入るだけあり、今当時を振り返ってみると、相当住みやすい街ではあった事には間違いない。

アデレードに降り立っての第一印象、それが思い出せない。「飛行機が着陸し、空港から一歩踏み出したその瞬間、目の前にはオーストラリアの突き抜ける様な青空が広がって・・・」と言った、テンプレートの様な記憶がないのは、些か残念にも思える。ただ、仕方ない、それが現実なのだ。それもそのはず、もう28年前(2024年の時点で)の事だ。おそらくタクシーで空港から移動したのだろう、空港を出て先ずは街中にあるユースホステル的な場所(そう、ホテルでも無く、ユースホステル的な場所だった)に行ったことを憶えている。車中の記憶などはない。日本を発ち(Episode001参照)、オーストラリアのアデレードに到着してから最も遡れる記憶は、空港からタクシーで向かった先のホステルの匂いと、そこに居た(そのホステルを経営する)おばちゃんである。
マーガレット、が彼女の名前であった。特に特徴もあるわけでもない、50歳過ぎくらいとみられる、オーストラリア人のおばちゃんである。当時の私の目には(控えめに言っても)還暦を過ぎたおばあちゃんの様に写ったが、今考えてみると、せいぜい50歳過ぎくらいだったのだろう。たぶん。マーガレットさんは、いつも廊下で何か独り言の様なものをボソボソ言っていた印象がある。あたかも、息子の嫁(つまり嫁姑関係)の文句をブツブツと言いながら廊下をそそくさと歩いて行く口うるさい姑の様な雰囲気を放っていた。若くは、彼女の口から発せられる言葉は、実は私に向かって発せられていたが、(当時の私は)英語を理解出来なさすぎるが故、独り言に聞こえてしまったのかもしれない。
マーガレットさんのホステルには、合計何日くらい泊まっていたのだろうか、よく思い出せない。このホステルの(宿泊している人達が共有して使う)キッチンで父親がご飯を作り、我々が座るテーブルに運んできてもらった、というワンシーンだけ、何故か断片的に憶えている様な気がする。このホステルに何日泊まったかは全く憶えていないが、数日後、違うホステルに移動したという事は憶えている。どんなホステルだったかは正直憶えていないが、間違いなく「わ〜、また今度機会があったら泊まりたいね!」とはならない様な、そんな場所だった事だけは確かだ。そもそも、ホステルとは、例えば、バックパッカー的な勢いで、旅先にて、数日間、とりあえず宿泊する、という具合の施設である。
尚、部屋には二段ベッドが2つあったのを憶えている。ただ、我々家族は計6人であり、もちろんの事、二段ベッドが二つでは足りない。おそらく、部屋を2つ借りたのだと思われる。翌朝、同じホステルに宿泊しているオーストラリア人の姉妹(小学生のお姉ちゃんと妹)と部屋の外(建物内)で出くわした記憶がある。何故かわからないが、我々は一緒に写真も撮った様な気がする。しかし、会話をした記憶はない。それもそうである、英語というものを全く喋れなかったのだから。
当時(1996年以前)、私が通っていた日本の小学校(埼玉県の浦和市(現さいたま市))で英語の授業はあっただろうか。ローマ字を憶えた記憶はあるような、無いような、そんな程度である。その後、そのホステルに何泊したのかも全く憶えていない。そんな中、とりあえず住む場所が決まり、一軒家に住むことになった。そして、気付いた頃には、その家住んでいた、という記憶しかない。それ以上の記憶を詳しく遡る事は出来ない。尚、この家を借りる際はきっとマーガレットさんに諸々手伝ってもらったに違いない。そして、やっと、一軒家での生活が始まった。
