第20章 別の朝の始まり
バスが止まったあと、しばらく誰も動かなかった。
エンジンの振動だけが、座席の奥に残っている。
手錠で繋がれたまま、前を向いて待つ。
外では、何人かの声が交差している。
短い言葉。
確認のようなやり取り。
その内容は分からない。
だが、流れがまた切り替わろうとしていることだけは伝わってくる。
やがて、扉が開いた。
強い光が差し込む。
「降りろ」
順番に立たされる。
狭い車内で手錠をほかの男とかけられたまま、身体の向きを変えるだけでも時間がかかる。
隣の男と繋がれたまま、一歩ずつ通路を進む。
地面に降りる。
朝の空気は乾いていた。
刑務所の朝とは違う。
もっと外に近い空気。
だが自由の気配はない。
視線を上げると、高い塀と建物が見える。
白っぽい壁。
窓は小さい。
どこか行政施設のようにも見えるが、確信は持てない。
名前が呼ばれる。
順番に並ばされる。
その列の中には、昨晩まで同じ部屋にいた男もいる。
国籍も年齢もばらばらだ。
アラブ人。
アフリカ系。
南アジア系。
東欧系らしい顔立ちの男もいる。
だが、この場所では、それぞれの背景は意味を失っている。
全員が同じ方向を向かされ、同じ速度で動かされる。
その状態だけが共通している。
マイケルは数人前にいた。
振り返らない。
だが、存在は分かる。
それだけで十分だった。
入口で一人ずつ確認が行われる。
紙を見ながら、名前が読み上げられる。
時々、質問が入る。
どこの国か。
いつ入国したか。
どこに滞在していたか。
同じ内容を、また答える。
ここでは、説明より記録のほうが重要らしい。
答えた内容が正しいかどうかより、同じ内容を繰り返すこと自体に意味があるように感じる。
列が少しずつ進む。
建物の中へ入る。
床は古い石材で、歩くたびに靴音が響く。
壁には汚れが残っている。
人の行き来は多い。
制服姿の男たちが、書類を持って動いている。
誰も急いではいない。
だが、止まっている者もいない。
その流れの中を、自分たちも押し流される。
ある部屋の前で止まる。
手錠が外される。
金属が離れる感覚が、逆に不自然だった。
手首に跡が残っている。
軽く擦る。
皮膚の感覚が少し遅れて戻ってくる。
中へ入るよう指示される。
部屋の中には、古い机と椅子が並んでいた。
壁際には大型の扇風機。
回っているが、空気はあまり動かない。
蛍光灯の光が白く広がっている。
ここでも待つらしい。
椅子に座る。
誰も説明しない。
ただ、次の名前が呼ばれるまで、その場に置かれる。
マイケルが隣に座る。
少し疲れた顔をしている。
だが、崩れてはいない。
「ここは刑務所じゃないな」
小さくそう言った。
確かに、空気が違う。
閉じ込める場所というより、分類する場所に近い。
人を止めるためではなく、流すための施設。
そんな印象があった。
奥の机では、別の外国人が書類を書かされている。
何枚もある。
一枚書いては、また別の紙が渡される。
その様子を見ながら、自分たちも同じ流れに入るのだろうと思う。
時間はまた曖昧になる。
ただ、昨日までとは少し違っていた。
夜を越えたことで、状況が固定された感覚がある。
これは一時的な混乱ではない。
手続きとして進み始めている。
その現実だけが、静かに輪郭を持ち始めていた。
