第21章 待たされる人たちの中で
建物の中に入ると、階段を上がらされた。
前にもここを通ったような気がする。
だが、確信は持てない。
昨日の夜、頭を下げたまま車に乗せられ、どこかへ連れて行かれた。その途中の景色はほとんど見えていない。だから、同じ建物なのか、似た建物なのか、自分の記憶では判断できなかった。
ただ、空気だけは覚えていた。
外の刑務所とは違う。
ここは閉じ込める場所ではなく、呼び出し、分け、聞き取り、また待たせる場所だった。
階段を上がると、廊下に出た。
明るい場所ではなかった。
窓のある部分もあるが、奥へ進むにつれて、光は弱くなる。壁の色も、床の色も、どこか灰色に見える。人の声はあるが、はっきり聞こえるほどではない。
扉の向こうで誰かが話している。
別の部屋では、すでに取調べのようなものが始まっていた。
机を挟んで座る人。
立ったまま待つ人。
書類を持って動く人。
そのすべてが、ひとつの流れの中で動いている。
自分とマイケルは、そこで分けられた。
完全に別々にされたわけではない。
けれど、同じ場所に座ることは許されなかった。
私は、廊下から細く伸びた、少し暗い通路の奥に案内された。
そこは普通の待合ではなかった。
取調室の手前にある、余った空間のような場所だった。
椅子があり、そこに座るように言われる。
座る。
それだけだった。
マイケルは、少し離れた別の場所に座らされていた。
時々、廊下の向こうを静かに見ると、彼の姿が見えた。
お互いに声は出さない。
ただ、一瞬だけ視線が合う。
それで十分だった。
まだここにいる。
まだ一緒にいる。
その確認だけで、少し落ち着いた。
しばらくすると、若い係官が来た。
手には紙とペンを持っている。
スマートフォンの暗証番号を聞かれる。
SIMカードのPINも聞かれる。
WhatsAppアプリのパスワードも確認される。
答えるしかない。
昨日からすでに、持ち物も、財布も、パスポートも、スマートフォンも、すべて自分の管理の外にある。
ここでは、秘密を守るというより、説明を続けることが求められている。
係官は淡々と書き取る。
驚く様子もない。
責める様子もない。
ただ、必要な欄を埋めていく。
その作業が終わると、彼はまたどこかへ行った。
再び待つ。
廊下には、他にも人がいた。
国籍も、年齢も、理由も違うように見える。
だが、全員が同じように待たされている。
呼ばれるまで動けない。
呼ばれれば動く。
その単純なルールだけが、ここでは支配している。
ある部屋からは、少し強い声が聞こえた。
別の部屋からは、低い声で説明するような声が続いている。
時々、扉のない取調室の中が見える。
机。
椅子。
書類。
係官。
向かいに座る外国人。
その組み合わせが、いくつも並んでいる。
ここでは、ひとつの事件が扱われているわけではない。
それぞれの事情が、同じ形式に入れられている。
誰かが出てくる。
別の誰かが入る。
また扉が閉まる。
それが続く。
午前の途中、奇妙な音がした。
小さなノックのような音だった。
最初は気のせいかと思った。
けれど、その音は続いた。
廊下の向こうに、小さな扉があった。
掃除用具入れのような、低くて細い扉だった。
そこから、かすかに音がしている。
通りかかった係官が足を止めた。
扉を開ける。
中から男が出てきた。
中年の男だった。
髪も髭も伸びていて、顔の輪郭がはっきり見えない。
ずっと暗い場所にいたように見えた。
男は小さな声で何かを言い、係官に連れられて廊下の奥へ歩いていった。
しばらくして戻ってきた。
ただトイレに行っただけらしい。
係官は、またその小さな扉を開けた。
男は中へ戻る。
その瞬間、中が少し見えた。
暗い。
人が一人、立つか座るかできる程度の狭さだった。
扉が閉まる。
また何もなかったように廊下が戻る。
その光景を見て、ここでの待つということの幅を少し理解した。
椅子に座っている自分は、まだ外側に近い。
誰かは、扉の中で待っている。
誰かは、部屋の中で聞かれている。
誰かは、すでに別の場所へ連れて行かれている。
同じ建物の中でも、置かれる位置が違うだけで、時間の重さが変わる。
昼が近づいても、何も決まらない。
マイケルが先に呼ばれた。
彼は立ち上がり、係官について廊下の奥へ消えた。
その瞬間、不安が強くなった。
もし彼だけが先に解放されたらどうなるのか。
そう思った。
昨日までは、偶然同じ場所で捕まっただけの相手だった。
それなのに、数時間を一緒に過ごしただけで、彼の存在はこの状況の中で大きくなっていた。
一人でないということ。
それだけが、ここではかなり大きい。
しばらくして、マイケルが戻ってきた。
廊下を通るとき、私は少し身を乗り出して、小さな声で聞いた。
どうだった。
彼は立ち止まらずに、短く答えた。
大丈夫だ。
それだけだった。
でも、その一言で十分だった。
次に、自分の名前が呼ばれた。
立ち上がる。
足が少し重い。
長い時間座っていたせいなのか、これから聞かれることへの緊張なのか、自分でもよく分からない。
案内された部屋には、眼鏡をかけた少し太った係官がいた。
机の向こうに座っている。
これまでの人たちとは、少し雰囲気が違った。
冷たくはない。
だが、軽くもない。
最初は英語だった。
名前。
住所。
滞在先。
いくつか答えると、途中で彼が言った。
フランス語でやるか。
もちろん、と答えた。
しばらく使っていなかったフランス語が、急に口の中に戻ってきた。
うまくはない。
それでも、英語より少しだけ息ができる感じがした。
机の上に、自分のiPhoneが置かれた。
係官は画面を見ながら、こちらを見た。
イスラエルの電話番号がある。
そう言った。
ここから、質問の質が変わった。
なぜイスラエルの番号があるのか。
なぜWhatsAppにイスラエルの番号とのやり取りがあるのか。
何を話していたのか。
政治的な内容か。
私は、2020年にエチオピアの親族と一緒にエルサレムとベツレヘムへ行ったことを説明した。
そのとき、アムハラ語を話せるガイドが必要だったこと。
観光案内所を通じて、エチオピア系ユダヤ人の若いガイドを紹介されたこと。
その番号が残っていること。
その後のやり取りは、近況を尋ねる程度のものだったこと。
政治の話ではないこと。
必要なら、すべてのメッセージを確認していいこと。
係官は、画面と何かの記録を照らし合わせているようだった。
すぐには信じない。
だが、否定もしない。
ただ確認する。
その姿勢が続く。
次に、イスラエルへその後入ったことがあるかを聞かれた。
どこに泊まったのか。
何日いたのか。
テルアビブには行ったのか。
ひとつずつ答える。
間違えないように、少しゆっくり話す。
同じことを、別の形でもう一度聞かれる。
また答える。
この部屋では、話の自然さより、一貫性のほうが重要なのだと感じた。
そのあと、質問は変わった。
なぜ、この時期にレバノンへ来たのか。
なぜベイルートに来たのか。
なぜハレットフレイクへ行ったのか。
ここで、またシャワルマの話をすることになった。
コートジボワールで生まれたこと。
大人になってからもアフリカで働いたこと。
その中でレバノン人の輸入業者と知り合い、レバノン料理に触れたこと。
多くの料理は自分には少し豪華すぎたが、シャワルマだけは好きになったこと。
それ以来、世界中でシャワルマを食べてきたこと。
レバノンへ来ることは、自分にとって一つの目的地だったこと。
話しながら、自分でも少し奇妙だと思った。
イスラエルの番号について説明したあとに、シャワルマの情熱を説明している。
この部屋の空気と、話している内容の距離が大きすぎる。
だが、それが本当だった。
係官は、しばらくこちらを見ていた。
そして、なぜバスで一人でハレットフレイクへ行ったのか、と聞いた。
狂っているのか、というような口調だった。
私は、Shawarma Waysという店へ行こうとしていたことを説明した。
その途中でモスクを見つけ、写真を撮ったこと。
その場で住民に囲まれ、連れて行かれたこと。
そこまで話すと、係官は少し笑った。
その笑いで、部屋の硬さがわずかに緩んだ。
彼は近くのシャワルマ店の名前を出した。
自分の好きな店だと言った。
私はその店を知っていた。
青い看板の店でしょう、と返した。
ただし、あれはトルコ式に近く、パンが大きくてふわっとしている。悪くはないが、自分はレバノン式のほうが好きだ、と言った。
そこから、少しだけシャワルマの話になった。
どの店がうまいか。
どのスタイルが好きか。
何が違うのか。
さっきまでの質問とは、明らかに空気が違っていた。
それでも、ここは取調室だった。
机の上には自分のスマートフォンがあり、パスポートはまだ戻っていない。
笑ったからといって、終わったわけではない。
しばらくして、私は電話を借りられるか聞いた。
ホストのKevinに連絡したかった。
昨夜帰れなかったことを、まだ説明できていない。
係官は、自由に電話はできないと言った。
ただし、自分の前でなら短くかけてもいい、と言った。
Kevinに電話をかける。
声がつながった瞬間、少しだけ外の世界に戻った気がした。
昨夜帰れなかったこと。
どこにいるか正確には分からないこと。
政府機関のような場所で事情を聞かれていること。
それを短く説明した。
そのあと、係官が電話を受け取った。
Kevinは、私が危険な人物ではないことを説明してくれたらしい。
通話が終わると、また廊下に戻された。
マイケルが座っていた。
私は、さっき彼が座っていた窓際の椅子に座ることになった。
外の光が少し見えた。
それだけで、時間が進んだように感じた。
だが、まだ終わってはいなかった。
