20年前に植えられた苗
Jリーグ30年と、DX組織の育て方
2026年6月26日、森保ジャパンがW杯グループリーグを突破した。
華やかな成果だ。でも、それを支えてきたのは30年分の組織の厚みと、現場で選手を育ててきた中核の人たちだった。Jリーグ30年の育成の仕組みを、企業のDX組織論と重ねて考えてみたい。
スターが消えても、次の選手が来る
三笘薫は、本大会のメンバーにすら入っていない。
久保建英は初戦で離脱した。キャプテン・遠藤航も大会前に代表から外れる事になった。
それでも森保ジャパンは、W杯グループリーグを突破した。
今大会の日本代表を評する言葉として、複数の報道が同じ表現を使っている。「選手層の厚さ」。スターが消えても、次の選手が現れる。
ゴールを守ったのは鈴木彩艶(浦和レッズアカデミー出身)。
中盤を制したのは鎌田大地(サガン鳥栖U-18出身)。
その底を支えたのは田中碧(川崎フロンターレアカデミー出身)。
最終ラインを締め、キャプテンマークを巻いたのは板倉滉(川崎フロンターレアカデミー出身)。
「スター不在でも個の力で乗り越えた」話ではない。
Jリーグが30年以上かけて整えた育成の仕組みから、同じ時期に何人もの代表選手が育ったという話だ。
この層の厚さは、1993年にJFAとクラブが始めた育成が、30年以上かけて2026年に現れたものだ。
1993年、始まりの年
1992年、オランダ人のハンス・オフトが日本代表監督に就任した。
就任会見で彼はこう言った。
「私はW杯に日本代表を出場させるために監督に就任しました」
記者たちは失笑した。当時の日本サッカーにとって、ワールドカップは夢想だったからだ。
しかしオフトはその言葉通りに動いた。翌1993年、Jリーグが開幕し、日本代表は「ドーハの悲劇」まで辿り着いた。W杯まであと1点、あと数分というところまで。
「W杯出場を現実の目標として最初に口にした」のは、外部から来た指導者だった。
Jリーグ開幕とドーハの悲劇が同じ年に重なったのは、偶然ではない。職域スポーツ(企業スポーツ)からプロクラブへという制度の根本転換と、W杯を本気で目指す文化の誕生が、同じ1993年に起きた。あの敗北をきっかけに、JFAは場当たりの招聘から仕組みづくりへ舵を切った。
外部招聘の時代と「真の遺産」
オフトの後、日本代表には続々と外国人監督が就任した。
トルシエ、ジーコ、オシム。
表の物語は知られている。W杯初出場、ベスト16、「思考するサッカー」。
問うべきは裏の物語だ。彼らが去った後に、何が残ったか。
JFAエリートプログラム(2003年)— 世界基準の選手育成の組織化
JFA公認指導者資格制度(2004年)— 指導者の質を一元管理する基盤
トルシエが発掘した「1979年生まれ世代」が次世代の指導者になった
外部コアリーダー招聘の本当の価値は、その人の在任中の成果ではなく、去った後に組織に残る「育成の型」と「人材」だ。
外部からCDOや技術顧問を招くときも、評価軸を「何を作ったか」に置くと、たいてい外注の成果物しか残らない。DX関連の報道で繰り返し指摘されているのは、外部リーダーが正論を急いでも社内で正当性を得られず、数年で去っていく失敗の型だ。能力の問題ではなく、組織が彼らを異物として扱うからだ。残るかどうかは「誰を育てたか」で決まる。オフトやトルシエがそうだったように。
20年前に植えられた苗
川崎フロンターレのアカデミーからは、三笘薫、田中碧、板倉滉と、何人もの代表が育っている。三笘と田中碧は、同じ小学校に通った幼なじみだ。2022年のカタールW杯では、その二人がスペイン戦でゴールを生んだ。ゴールラインを割る寸前で三笘が折り返し、田中碧が押し込む。のちに「三笘の1ミリ」と呼ばれる一点だ。
今大会、三笘は負傷でメンバーから外れた。それでも同じアカデミーで育った田中碧と板倉滉が代表に残り、板倉はキャプテンマークを巻いてチームを率いている。
板倉の左腕のキャプテンマークは、20年前にあのコーチが彼を選び、鍛えた結果だ。その判断が実を結んだのが、今日だった。
Jリーグ構想の隠れた核心は、クラブへのユース義務(U-12/U-15/U-18アカデミー設置義務)にある。今大会の活躍選手たちの経路を並べると、この仕組みがどれだけ多様かが分かる。
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\begin{array}{l|l|l}
選手 & 育成経路 & この経路から分かること \\
\hline
板倉滉 & 川崎フロンターレアカデミー \rightarrow 欧州 & ユース直通の王道 \\
鈴木彩艶 & 浦和レッズアカデミー \rightarrow 欧州 & \text{GK}専門育成の成熟 \\
鎌田大地 & サガン鳥栖\text{U-18}(小クラブ)\rightarrow 欧州 & 予算規模に依存しない育成 \\
上田綺世 & 鹿島ジュニアユース \rightarrow ユース落選 \rightarrow 法政大 \rightarrow 鹿島 & 複線ルートの存在 \\
\end{array}
$$
鎌田の経路から分かることは大きい。サガン鳥栖はJリーグでも小規模なクラブだ。育成の質は予算規模に依存しない。 育て方の仕組みがよければ、地方の小クラブでも世界で戦う選手を生み出せる。
そして上田のケース。鹿島のジュニアユースでふるいにかけられ、高校・大学を経てプロに届いた。複線で組まれた仕組みがあったからこそ出てきた選手だ。
ここに、自分がDXでいちばん大事だと思っていることがある。DXの成否は、現場の近くでリードする中核人材がいるかどうかで決まる。 役職の話ではない。CIOでもCDOでもなく、現場と技術の両方の言葉を話せて、「この業務をこう変える」と自分で決めて動かせる人だ。サッカーでいえば、表に出ないユース指導者にあたる。
経営がどれだけ立派なDX戦略を掲げても、最新のツールを入れても、この中核人材がいなければ施策は宙に浮く。外から呼んだCDOの正論を、現場の言葉に翻訳して根づかせる人がいないからだ。逆に、この層さえ厚ければ、ツールは後から付いてくる。
そして、こういう人材は社内研修だけでは育たない。ダイキンの社内大学「ダイキン情報技術大学」は、技術系の新入社員から毎年100人ほどを選び、2年間ふつうの業務を免除して育てる。これまで390人ほどが修了したらしい。面白いのは、教壇に立つのが修了生だという点だ。育てられた人が、次を育てる。川崎フロンターレのU-18コーチと同じ構図になっている。研修で伸びる人だけを拾う仕組みは脆い。OJTや越境学習という複線ルートがあって初めて、上田のような人材が出てくる。
「2050年W杯優勝」という逆算
2005年、JFAは宣言した。「2050年にW杯で優勝する」。
当時は失笑された。でもこの宣言は、機能した。
JFAはこの宣言で、逆算する癖を組織全体に植えつけた。代表強化・クラブ発展・普及活動を同時に動かす「三位一体戦略」は、この長期目標なしには描けなかった。
DX推進にも同じ罠がある。「3年でDXを完了する」という短期目標は、施策を矮小化する。10年後の姿から逆算して、今年やることを決める。長期ビジョンは、そのための道具だ。
変革者の処遇と森保一
変革者が組織に残るかどうかは、報酬で決まると思われがちだ。だが、決め手は別のところにある。
森保一のキャリアを追うと、その答えが見える。
サンフレッチェ広島で選手(1992–2003)
↓
サンフレッチェ広島 監督(J1優勝 × 3回)
↓
U-23日本代表監督(2017– ※フル代表と兼任)
↓
フル代表監督(2018–現在)内部で育った変革者が、内部で最高のポストに就いた。森保のキャリアは、その実例だ。
クラブ(下部組織)での成果が正当に評価された
U-23から段階的に昇格した
「外部の格上」をトップに据えることをしなかった
勝手に育つ「ツヨツヨ」の現場人材は、いずれ社外に出ていく可能性がある。これはDX組織にとって現実のリスクだ。
しかし流出を防ぐ最大の要因は報酬だけではない。
「この組織で自分が最高のポストに就ける」という実績が、最も強い引き留めになる。
宮坂モデルの3本柱 + 第4フェーズ
東京都副知事・宮坂学氏は、2023年1月のポストでこう書いた。
「(大事なのは)ティーンエイジャーだ。基礎が整っていなければ、投資したところで不十分だ。下から上へ、方向を逆にしなければいけない」
外からデジタル人材を雇うだけでは不十分で、組織内の若手への投資が根幹だという指摘だ。宮坂氏はこの観察をもとに、日本サッカーの人材育成モデルを企業DXに応用する3本柱を示した。Jリーグ30年史と対照すると、この3本柱が段階的に実装されてきたことが分かる。
$$
\begin{array}{l|l|l}
宮坂モデルの3本柱 & Jリーグが実装したこと & \text{DX}組織への変換 \\
\hline
外部コアリーダーの招聘 & オフト・トルシエ・オシム & 外部\text{CDO}・技術顧問 \\
社内人材の育成と組織化 & エリートプログラム・ユース義務・指導者資格 & 現場\text{DX}リーダー育成・\text{CoE}設置 \\
評価・報酬システム & \text{JFA}2005宣言 \rightarrow \text{W}杯結果による社会的承認 & キャリアパス設計 + 可視化 \\
\end{array}
$$
そしてJリーグには、この3本柱の外側にある第4フェーズがある。
2022年、JFAは「Japan's Way」を策定した。「模倣ではなく、独自の道」を哲学として明文化した宣言だ。欧州型・南米型を参照し続けた時代を経て、最終的に「日本固有の答え」を持った。そして2022年カタールW杯でスペインとドイツを倒したことで、その哲学が正しかったと世界に見せた。
企業のDXにも、同じ段階がある。SAPやSalesforceという外部モデルを参照し、CDOを招いて育成を整備した後に、自社固有のデジタル経営哲学を持つ段階がある。ベンダー依存からの自立、とも言い換えられる。
東京都のデジタルサービス局、デジタル庁のユニット制が目指しているのは、まさにこの「自前の哲学を持つ組織」への移行ではないか。自分はそう見ている。
今、設計を始めるとしたら
「30年かけて作るシステム」の設計を、今始めるとしたら何から手をつけるか。
トップの宣言でも、ツールの選定でも、外部CDOの採用でもない。
誰がユース指導者になるかを決めること。そしてその人を、30年後に代表監督にする覚悟を持つこと。
今の突破は華やかだ。でも本当に効いているのは、突破そのものではない。スターが一人抜けても次が出てくる、その層の厚さだ。30年前から現場で選手を選び、鍛えてきた中核の指導者たちが、日本サッカー全体を数段ちがう高さに押し上げた。森保ジャパンの成功は、その高さに咲いた花にすぎない。
会社のDXも、たぶん同じだ。華やかな成果の下に、現場でリードする中核人材の厚みがあるか。咲いた花だけを数えているうちは、来年も同じ場所にいる。
参考
Dolles, H., & Söderman, S. (2005). "Implementing a Professional Football League in Japan." Deutsches Institut für Japanstudien (DIJ Tokyo), Working Paper 05/6. 41pp.
あとがき
この草案を書き始めたのは、4年前のワールドカップのときだった。
でも当時は確信が持てない部分が多くて、公表しないまま寝かせていた。
今年になって、ようやく自分の中で腑に落ちて、ここまで書けた。
細かい裏取りが生成AIでだいぶ楽になったのも大きい。文章の校閲には、Claude(Opus)にずいぶん付き合ってもらった。
確信が持てるまで4年寝かせて、最後はAIで仕上げる。これもDXかしら。
