(No.10)RHS 12週間目とその先のあなたへ | 処方されなかった、もう一つの薬——Vipassana瞑想
プロローグ|深遠から私を支えたもの
RHSの発症から回復にあたり、
私は本当に多くの方々とさまざまなものに支えられてきました。
たくさんの応援メッセージを送ってくれた家族や友人たち、
多くの医師たち、専門医の知識、
チームワークよく動いてくれたERのスタッフ、
辛辣だけど心あたたかい鍼灸師、
一緒にプログラムを考えてくれた理学療法士、
話をとことん聞いてくれるカウンセラー、
薬が入ったことをいち早く知らせてくれた薬局のスタッフ、
心のこもったお声がけをしてくれた、
イベント会場の化粧室で出会った見知らぬ方、
世界中に散らばるサポートグループの仲間、
夜中でも何時でも、答えを用意してくれる
私のAI仲間、メモリーちゃんとコンパスくん。
そして、そして、
ずっとそばで支えてくれた夫。
人だけではありません。
ステロイド、抗ウイルス薬、点眼液。
サプリメント、お役立ちアイテムや、
ルーティンを支える健康機器。
そこで、最後にもう一つ私が紹介したい——
私の回復を最も深いところから支えてくれたもの。
それは、密かな特効薬*でありながら
病院でも、薬局でも、処方されることはありません。
それは、Vipassana(ヴィパッサナー)瞑想というものです。

このシリーズの最終回は、
2600年前にブッダがたどり着いたと言われるこの瞑想法が、
なぜ、21世紀の顔面麻痺の回復に効いたのか——
そのお話を少しだけさせてください。
*これは私自身の実感であり、医学的な治療ではありません
10日間の高貴な沈黙
ヴィパッサナーとの出会いは、RHSよりずっと前。
私は過去に二度、10日間の瞑想合宿に参加しました。
10日間、会話も、筆記も、アイコンタクトも、
あらゆるコミュニケーションの手段が絶たれ、
一日のうち約11時間を、瞑想に費やす。
ただひたすら、自分自身と向き合う、という
かなりハードな瞑想合宿です。
そこで訓練するのは、たった一つのこと。
自分の身体に起こる感覚を、ただ、観察すること。

頭のてっぺんから、つま先まで。
そこに生じる微細な感覚を、外科医が手術をするように、
虫眼鏡で覗くように、客観的に、ただ、観ていく。
気持ちいいという感覚も、不快な感覚も、一切区別しない。
好きも、嫌いも、重要も、些細も、全てを均等に観ていく。
ただ、あるがままに、見つめていく。
そこから何を学ぶのか、手に入れるものは何なのか、
そもそも、なぜ、そこまでして自分と向き合うのか。
ただ一つ、「高貴な沈黙」という体験そのものは、
私の生涯のどこかで、
避けては通れぬ、核心的な意味をもたらすだろう。
そんなことを、当初から漠然と感じていました。
「反応」に「反応しない」という筋肉
実際、合宿を通して私のもとにやってきた「学び」は、
書ききれないほどたくさんあります。
その中でも、今回のRHSで最も深く響いた学びの、
とっておきの一つをお話ししましょう。
人間は、何かの刺激を受けると、身体に反応が起こる。
そして無意識のうちに、その反応に「好き」「嫌い」とラベルを貼って、
そのフィルターに、さらに反応してしまう。
渇望(craving)と、嫌悪(aversion)。
この自動反応こそが、人生を苦しみで埋めていく——
ブッダがたどり着いた、この洞察を、
私は瞑想の座の上で、体で理解しました。
大切なのは、反応を止めることではありません。
反応は、自然に起こります。止められません。
できるのは——反応が起きた、その瞬間に、
「あ、今、反応が起きたな」と、ただ気づくこと。
気づいて、観察すること。反応に、反応しないこと。

No.6で、私は「0.2秒の自由」について書きました。
リベットの実験が示した、あの0.2秒の一瞬の隙間。
理屈では到底理解に及ばぬその実相に、
私は10日間の合宿を経て、体から先に出会っていたのです。
それが、今回のRHS闘病中に吹いた、
恐怖という名の暴風に呑まれそうになった際の
立ち戻れる塞(とりで)となっていったのです。
麻痺した顔を、「観察」した瞬間
そして——ここからが、RHSと瞑想が結びついた、核心のお話です。
顔の右半分が動かなくなった時、
自分の身体を観察する訓練を積んでいた私は、
ちょっと普通ではない発想が頭に浮かびました。
「麻痺したその顔を、観察の対象に置いてみよう。」
じっと、内側に意識を向ける。
聞こえるはずのない、微細な音に耳を澄ませてみるーー
すると、動かないはずの右の顔の、骨組を超えたそのずっと奥に、
わずかな振動、神経のかすかなうずきのようなものが、
プルプル、プルプルと伝わってきました。
小さな感覚、勘違いと言い放てるほどの、
内側から聞こえる、生まれたての、ほんのかすかな脈動。
科学の目で証明される、ほんのちょっと前に、
私は自分の神経が、内側で静かにうねり始めているのを、
感じることができたのです。
とても嬉しい生きた希望でした。
それは、麻痺した顔を観察した瞬間に届いた、
宇宙(私)の内側から届く、回復の電子メールでした。
途端に、恐れていた麻痺の形相は「敵」から、
一緒に歩いていく「仲間」の顔へと変容していったのです。

呼吸という水、神経という根
瞑想のもう一つの柱である呼吸は、
私が不安や恐怖、怒りで溺れそうなとき、
ゆっくりと「今、ここ」に連れ戻してくれました。
呼吸を深めると、心が膨らみ、
未来への恐れも、過去の記憶も、ふっと曖昧になり
今、この瞬間の本質と身体だけが残っていきます。
そして、深い呼吸は、傷ついた神経に、
水と栄養を運び込みます。
すると、全ての細胞組織は、嬉々として、草木のように
その根を伸ばそうとするのです。
神経は、根。
呼吸は、水。
焦って引っ張っても、根は伸びません。
ただ、水をやり、日を当て、待つ。
それが回復という名のヒストリーだったのです。

苦しみも、変化していく
瞑想合宿で学んだ、もう一つの真実、
すべては、刻一刻と、変化し続けている(Anicca/無常)。
身体の感覚は、川の流れのように、雲のように、
次から次へと、移り変わっていく。
どんなに強い痛みも、どんなに深い不安も、
一つの場所には、留まっていられないのです。
RHS闘病中の私にとって、これはこの上ない朗報でした。
痛みも、哀しみも、不安も、苦しみも、
全て変化していく。
留まっているように見えて、実は、一瞬たりとも同じものはない。
変化は、必ず、訪れるのです。
というよりも、変化を含まない状態は、
この世に存在しないのです。

そして、次なる旅へ
ここまで、9本の闘病記に、お付き合いくださいまして、
本当にありがとうございました。
大変お疲れ様でした。
少しは皆様の参考になったり、役に立てたりしましたでしょうか。
リタ姐コード「RHS回復の記録」は、
この10本目で、いったん幕を閉じます。
でも、これは終わりではなく、むしろ扉に近いかもしれません。
観察すること。反応しないこと。今、ここに還ること。
呼吸で、根に水をやること。
すべては移ろい、留まらないと知ること。
——これらは、顔面麻痺の回復法であると同時に、
生きることそのものの、練習でした。
Studio JMC、この次の旅は、
Vipassana瞑想や、13年前に私を救ってくれたヨガなどを、
もっと深く、もっと丁寧に、
皆さんと分かち合っていく旅にしたいと思います。
顔の麻痺は、私に多くの忘れかけていたものを、
鮮やかに蘇らせてくれました。
生きていることは、それだけで、とても貴重で、
ありがたいことなのだということを、
すべてのものを観察できるのならば、
私たちは、いつでも、
ここに戻って来れるのだということを。

最後まで、本当に、ありがとう。
あなたの回復と、あなたの旅に、
温かく静かな光が差し込みますように。
リタ姐より、心を込めて。
ありがとう、そして——Ganbatte!
(リタ姐コード「RHS回復の記録」・完)

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