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地獄への道は善意で舗装されている ――Rの話

――なぜ、まじめに塾に通った子ができなくなっていくのか

 2022年2月。
 初めて塾を訪れた入塾の面談の日。その生徒、Rは礼儀正しく、けれど心配そうな表情で入ってきました。

 その子は大手の進学塾に通っていました。
小4から中1まで、4年間。お母さんが言うには、小学生の頃から算数が苦手で、塾の授業もあまりわかっていない様子。何度も塾に相談したそうです。そのたびに返ってきたのは「声掛けしておきますね」という一言だけ。

『声を掛けたら解けるようになるんですかね』。内心、その塾に対するツッコミが浮かびましたが、面談が始まってまだ2分です。黙って聞いていました。

 中1の秋、その子は塾を辞めたいと伝えたそうです。すると、こう言われた。

「この点数で、辞めるの? 辞めたらもっと下がるよ」

 その言葉を信じて、辞めずに続けました。結果はどうなったか。さらに下がりました。

 うちに来る直前に受けた模試。数学の点数は38点。56人中53位。偏差値は36.5。下がりに下がって、ほぼ最下位です。

※この模試は、塾の内外を問わず、誰でも受験できます。

 4年間、まじめに通ってこの結果になりました。
どうしたらいいのか相談したら、「声掛けしときます」。
いよいよもってこれは環境を変えなければならないと思い、うちの門を叩いたそうです。

 彼女はサボっていたわけじゃありません。授業はちゃんと聞いていた。宿題もやっていた。家庭学習の時間はしっかり確保していた。にもかかわらず、数学だけが全然わからなかった。

お母さんの隣で小さくなっているその子に、私は言いました。

「数学の偏差値、20上げてみるかい」

 そんなことできない、という顔をしていました。

 無理もありません。小4~中1まで、丸4年通って最下位近くまで下がった子に、いきなり偏差値20上げようと言うわけですから。
私は、ある生徒の模試の結果を見せました。

「この人、もうすぐ受験を迎える中3な。そんで、うちに来る前の小6のときの模試の結果がこれだ」

 算数の点数を指さしました。29点。偏差値35.4。142人中135位。ほぼ、ビリ。

「この人もね、同じ塾だよ。君が行ってたのと同じとこ。うちに来る前の小6の時点で、この位置。でも中1の春から俺が教えるようになって、中3の夏前にはこうなった」

 もう一枚の結果表を隣に並べました。29点が90点に。定期テストではなく、模試です。29点だったときと同じ塾の模試。県内順位は135位から8位へ。偏差値は35.4から64.4へ。

「前の塾にいたときの偏差値35.4って、君より低いやん。点数だって君は38点で、この生徒は29点だ。そこからグングン伸びて、2年後は90点で県内8位。偏差値は29も上がってる。数学って普通はこんなに伸びる科目じゃないんだけど、この塾は違うよ。通った生徒は全員伸びる」

「!!」

「いいかい。中学の数学ができるかどうかは、センスの問題じゃない。理系も文系も関係ない。教える人間の腕、それだけだ。本当の『数学』を学べば、君もこうなれる」

 信じられない。でも、本当だったらどうしよう。本当に、自分もそうなれたら――。

 その子の顔が、少しずつ期待の表情に変わっていくのがわかりました。

「ここでやってみたい」

お母さんに向き直り、Rは入塾しました。

 最初の授業で、どこからやり直すべきかを確かめるため、中1の基礎問題を出しました。その中の一問が、これです。

文字式の答案:2分のa + a

 Rの答案には、答えの欄にこう書いてありました。「2分のa」。まだ計算できるのに、そこで止めていたんです。

「うむ。これ、まだ計算できるね」

 Rの顔に、クエスチョンマークが浮かびました。

「いや、まだ計算できるときは、計算し終わったものが答えになるから。計算しとこうか」

 Rは自分の書いた答えをじっと見つめたまま、固まってしまいました。30秒。1分。

 ああ、こりゃいかん。
 文字式の概念から、わかっていない。

 さらっと書いていますが、これは大変大きな問題です。文字式は中1の序盤に習う、いわば数学のルールそのものです。ここがわかっていないと次の方程式がわかりません。比例反比例もわかりません。平面図形も空間図形も、中2から先の内容も、全部わかりません。この先ずっと、文字を使って考えるからです。

 つまりRは、ルールがわからないまま方程式以降の授業を受け続けていたということです。

 バスケットボールで言えば、トラベリングが何かわかっていない人をずっと紅白戦に出し続けていたようなものです。それも監督の指示で。

本人は一生懸命コートを走っている。でも、笛が鳴るたびに、何が起きたのかわからない。ボールに触ることすらできない。これで上達するはずがありません。練習になっていないんですから。

最初は誰もルールなんて知りません。初心者はルールを覚え、基礎練を繰り返し、徐々に上達する。どんな競技でも、勉強でも、仕事でもそうです。最初は誰だってわからないところからスタートです。だから、わからないことは恥ずかしいことじゃない。

問題は、その初心者にも経験者と同じ指示を出していること。これは指示が間違っている。人それぞれ理解度や進捗は違うのだから、同じでいいはずがありません。
塾通いをしているのに成績が上がらない理由の一つにこれが挙げられます。
Rはまさにそうでした。

 さて、Rの状況をもう少し掘り下げてみます。

 Rはまじめでした。4年間ちゃんと通って、宿題もやって、授業も受けていた。それなのに、なぜ「下がり続ける」なんてことが起こるのか。
Rだけの話ではありません。毎年、私のところにはこういう相談が来ます。

「定期テストは80点とか90点くらい取れるんです。だから基礎はできていると思うんです。でも実力テストや模試になると、40点台まで落ちてしまって」

 定期テストは取れる。模試は取れない。毎年、多くの中3が直面する問題です。

これは何が原因で起きているのか。
多くの人が直面しているということは、必ず原因があるはず。

あります。原因が。

 例えば二人の子に、こう頼んだとします。

「このスーパーでポッキーを買ってきて」

 二人とも、ちゃんと買ってきました。そこで聞いてみます。どうやって買ってきたか、自動ドアが開いたところから説明してみて、と。

 一人目の子は、こう答えました。

「まず、上を見ました。天井からぶら下がってる看板に商品のカテゴリーが書いてあるので、それを見てお菓子コーナーを探しました。チョコレートっていう表記を見つけたのでそこへ行って、ポッキーを取ってきました」

 二人目の子は、こう答えました。

「まず、まっすぐ進みました。パンコーナーに突き当たってから右に曲がりました。そのあと四つ目の曲がり角を左に曲がって、そこから二つ目の曲がり角を右に曲がると、左側にお菓子コーナーがあります。その棚の上から二段目にポッキーがあるので、それを取ってきました」

 どうでしょう。

 二人とも、ポッキーは買えています。おつかいとしてはどちらも成功。テストなら、二人とも正解です。

 でも、中身はまるで違います。

一人目の子は、理由からたどってポッキーの場所まで移動したことを示している。
二人目の子は、理由ではなく答えの道順を述べています。
一事が万事という言葉があります。
二人目は、まずい。

スーパーには、商品を並べるときの原理原則があります。
一つ、商品は種類ごとにまとまって置かれている。
二つ、その種類は看板に書かれていて、見やすい場所に掲げられている。
ここに三つ目として「いま買おうとしているものが、どんな商品なのかわかっている」が加わると、場所を知らない商品でも探し出せます。

一人目の子は、この原理がわかっています。だからこの子に「じゃあ次はサバの缶詰買ってきて」と頼んでも、買ってこられます。看板を見て、缶詰コーナーへ行けばいい。行ったことのない別のスーパーでも、同じ方法で買えます。

 二人目の子は、どうでしょう。
 この子の返答を聞く限り、なぜそこにポッキーがあるのか、原理原則を理解している説明ではありません。ポッキーの場所を事前に知っていたから買えた、というのが実態です。原理はわかっていない。だから、場所を覚えている商品以外はものすごく時間がかかるか、店員に聞かなければ買ってこられません。急にサバの缶詰と言われても無理です。知らないから。それどころか、別のスーパーに行くとポッキーの置き場所は違うので、ポッキーすら買ってこられない。

 そしてこの子は、こう言うんです。

「他のスーパーのポッキーは、習ってない。サバ缶も習ってない。わからないから教えてください」

笑い話みたいですが、全国の数学の現場で毎日起きていることの、縮図なんです。

この人の言う「わからないから教えてください」は、原理原則を聞いているのではありません。答えを知ろうとしている。
その要望に応えると、その子はまた答えを一つ暗記する。原理原則ではなく。
数学におけるつまずきの原因の多くは、ここから発生します。

そして重要なのが、生まれたときからその子どもはやり方の暗記でその場しのぎをする子だったのかというと、それは絶対に違うということ。
最初にそれを教わったときに、教えた人がどう教えたか。
原理原則を理解させたか、それともそこを飛ばして答えを覚えさせたか。

教えた内容がWhyかWhatか。
多くの場合、それで決まります。

Whatは頭を使わなくてもそのまま覚えるだけ。
Whyは頭を使うんです。

 数学のテストで問われているのは、「理解しているかどうか」です。

 テストに載っているその一問は、その一問が解けるかどうかを聞いているのではありません。その問題が代表している「なぜそうなるのか」という原理がわかっているかを聞いている。世の中のすべての問題を出題するわけにはいかないので、代表として、たまたまその一問が選ばれているだけなんです。

 ポッキーを買ってきてください、という問題の正体は、「ポッキーの場所を知っていますか」ではなく、「なぜそこにポッキーがあるのか、わかっていますか?(今回はポッキーを出題しているけど、サバ缶でも豚肉でも原理は同じだからポッキーがわかるならどれもわかるはず)」なんです。

 ところが、です。

 紙のテストというのは、答えさえ合っていれば丸がつきます。場所をあらかじめ覚えていれば、わかっていないのに「わかっている人と同じ点数」が出てしまう。
だから、どれでも買ってこられる状態じゃなくても、ポッキーだけ事前に覚えておけば点数が取れるんです。

でも、丸がついても、わかっているとは限らないんです。
点数だけでは、そこが見抜けない。

 とりわけ定期テストは、出題される範囲が決まっています。その中の解き方さえ覚えておけば、原理がわかっていなくても高得点が取れてしまう。
 これは、テストを作る学校の先生の裁量ではどうにもならない部分でもあります。授業で扱う範囲は教科書から大きく外せませんし、応用ばかりの難しいテストにして平均点が大きく下がれば、テストが難しすぎるとか、授業に問題があるのではないかとか、いらぬ心配を招きます。だから範囲を絞って、基礎の定着を確かめる。それがいちばん筋の通ったやり方で、実際、学校のテストはその役割をきちんと果たしています。
 ただ、そういう性質のテストだからこそ、暗記だけでも点が取れてしまう。そしてその点数を、私たちは読み違えます。「定期テストで90点だから、うちの子は数学がわかっている」。子ども本人も、ご家庭も、そして塾の側も。

 仮にポッキー以外が出るとしても、せいぜいポッキーのすぐ隣にあるトッポです。位置の暗記で、トッポも買えてしまいます。

するとどうなるか。
高得点だった生徒は、『自分はわかってる』と思います。
テストが良かったんだから。
それを見た保護者も、「いいね、わかってるね」と思ってしまいます。
テストが良かったんだから。

 誤解はこうして、毎回の丸によって強化されながら、静かに積み上がっていきます。

崩れるのは、中3です。
実力テスト、模試。ここでいきなり点数が取れなくなります。
その延長にあるのが、同タイプのテストかつ最も重要な、入試本番です。

これらのテストは範囲が広く、初めて見る問題が中心になります。「A・B・Cのスーパーのうち、豚肉200gと卵1パックと米2kgと雪見だいふく3個を、最も安い値段で買ってきて」という、これまでの知識を組み合わせて条件までついた問題が出題されるわけです。個別の商品の位置の暗記しかしていなかったら、もう太刀打ちできません。

 そして子どもは、言うんです。

「習ってない」

習っています、原理原則は。教科書にも書いてある。
その子は嘘をついているわけではありません。本人は本当に習っていないと感じています。その問題そのものは、やったことがないんですから。

「定期テストは取れるのに、模試で落ちる」の正体が、これです。
そして、Rの4年間に起きていたことも、これです。
Rは劣等生だったんじゃない。位置を覚える勉強を、誰よりもまじめに、指示通り4年間やっていた。それだけのことでした。

 ここまで読んで、疑問に思った方もいるかもしれません。
 塾の先生が、プロが、なぜそんな教え方をするのか、と。

 私も長いこと、そのことで腹を立てていました。ただ、その矛先は、はっきりしています。
さっき、テストを作る学校の先生には、制度上どうにもならない事情がある、という話をしました。決められた範囲を、決められた時間数で。その枠のなかで、先生たちは精一杯やっています。

でも、私たち塾や家庭教師は、違います。範囲も、時間数も、教え方も、自分たちの裁量で自由に決められる。学校の先生にはない自由が、こちらにはある。だから、比較にならないほど有利なんです。学校の先生より。

その自由を持ちながら、子どもから考える力を奪う教え方をしている。プロを名乗って月謝をいただいておきながら、それはないだろう、と。
この塾を経営して14年経過しますが、正直に言えば、はらわたが煮えくり返っていた時期の方が長いくらいです。

 でも、いまは違う考えを持っています。

 きっかけは、ふと思い出した、自分の学生時代の光景でした。

「練習中に水を飲むな」

 覚えのある方、多いかもしれません。ひと昔前の運動部では、これが常識でした。炎天下で何時間も練習させて、水は飲ませない。飲むとバテる。体がなまる。根性がつかない。そう信じられていました。

 いまの常識では、ありえない話です。熱中症で命に関わる。水分補給は、いまや義務です。

 では、あの頃の監督や先輩たちは、生徒を苦しめてやろうという悪人だったんでしょうか。

 違います。

 彼ら自身が、そう鍛えられてきたんです。自分が生徒だった頃に「水を飲むな」と言われて育った。歯を食いしばって耐えて、強くなった。少なくとも本人は、そう信じている。だから指導する側に回ったとき、当然のように同じことを言う。それが正しい鍛え方だと、心の底から信じて。なんなら、愛情すら込めて。

 ここに悪意はありません。あったのは、善意と、受け継がれてきた「間違った常識」だけです。

 ポッキーの位置を覚えさせるような教え方も、まったく同じ構造だと私は思っています。

 それをしている塾の先生たちも、子どもの頃、恐らくそう教わって育った。こうやれば答えが出るから、覚えなさい、と。その教え方しか見たことがない。だから大人になって教える側に回ったとき、同じように教える。

 むしろ、熱心な塾の先生ほど一生懸命それをやります。目の前の子どもに、一日でも早く点数を取らせてあげたい。だから手っ取り早く、答えの出し方を覚えさせる。実際、次の定期テストで点数は上がります。子どもも親も喜ぶ。先生は、良いことをしたと心から信じている。

 責めるべきは、人じゃなかったんです。受け継がれてきた、誤った教え方の方だった。

 「水を飲むな」という誤った常識は、今ではほとんど消えました。監督たちを退治したから消えたんじゃありません。水を飲まないと危険だという知識が、世の中に行き渡ったからです。知られたから、消えたんです。

 このことに気づいたとき、私は少しだけ救われた気がしました。
 そうか、人を説得して変えるんじゃなくて、この知識を広めれば、教育が、子どもたちの未来が、変わるんだと。

 そして同時に、ぞっとする話を、もう一つ思い出しました。

 ヒロポンという薬が、昔ありました。

 成分はメタンフェタミン。覚醒剤です。本当は薬などではありません。今なら所持しているだけで逮捕される、あの違法薬物です。

 知っている人は知っていると思いますが、かつて日本では、覚醒剤が「ヒロポン」という商品名で普通に売られていました。

 闇市の話ではありません。ちゃんとした製薬会社が製造して、国が認め、町の薬局が店頭で売っていた。新聞や雑誌に、堂々と広告まで出ていました。眠気と疲労がとれる。頭が冴える。疲労がポンと抜ける、から来ているそうです。うたい文句だけ見れば、いまの栄養ドリンクと変わりません。

 戦時中は、徹夜続きの兵士や、軍需工場で夜通し働く人たちに配られたといいます。戦後になると、今度は一般の家庭に広がりました。夜なべ仕事の職人。長距離ドライバー。締め切りに追われる作家。そして――受験勉強をする学生たちに。

 想像してみてください。当時の、受験生のいる家庭を。

 夜、息子が机に向かっている。頑張っているけれど、眠そうだ。母親は、新聞に出ていた広告を思い出します。受験生のあいだで、いま評判の薬があるらしい。眠気が取れて、勉強がはかどるらしい、と。

「タカシ、いいものを買ってきたわよ。これで勉強に集中できるんですって。50錠入りのを買ってきたから、しばらくはこれで頑張りなさいね」

 このお母さんは、息子を愛しています。息子の人生を壊してやろうなんて、夢にも思っていない。何も悪くない。

けれど、破滅を呼ぶ薬物を、愛する我が子に与えた。

 考えてもみてください。疑う理由が、どこにあったでしょうか。国が認めている。ちゃんとした会社が作っている。薬局で普通に買える。新聞に広告が載っている。周りのみんなも使っている。

 これで疑えという方が、無理な話です。

 でも、毒でした。

 やがて中毒者が街にあふれました。一説には、全国で数十万人。大きな社会問題になり、法律ができて、1951年にヒロポンはようやく禁じられました。「良い薬」が「覚醒剤」に変わるまでに、たくさんの人生が壊れたあとでした。

 この話で私が一番恐ろしいと思うのは、薬の症状のことではありません。

 誰も、悪意を持っていなかったことです。

 国も、製薬会社も、薬局も、医者も、そしてあの母親も。誰一人として、悪気がなかった。全員が善意でした。それどころか「頑張るあなたを応援したい」という、優しさの形をして、毒は手渡されていた。

 それでも、毒は毒だった。

 地獄への道は善意で舗装されている。

 西洋の古いことわざです。この文章のタイトルにしました。地獄への道を舗装しているのは、悪意ではない。善意です。良かれ、良かれという気持ちが、一枚ずつ石畳を敷いていく。
たとえ話ではありません。かつてこの国で、現実に起きたことです。

 そして私は、いま教育の世界で起きていることは、これと同じ構造だと考えています。
大げさに聞こえるかもしれません。でもこれは社会全体の問題だと思って、書いています。

 位置を覚えさせるような教え方は、目の前のテストにはよく効きます。すぐに点数が出る。だから「良い薬」に見える。渡す側の――塾や家庭教師の先生に、悪意はない。受け取る子どもも親も、疑わない。世の中全体が、それを「わかりやすい授業」と呼んで認めている。周りのみんなも、同じ授業を受けている。

 これで疑えという方が、無理な話でしょう。当時のヒロポンと同じ構図です。

 でもその薬は、効いているように見えて、子どもから「自分の頭で考える」という機能を静かに奪っていきます。飲めば飲むほど、原理をつかむ力が育たなくなっていく。目先の点数という即効性と、引き換えに。

 ヒロポンは、毒だと知られたときから消えていきました。「水を飲むな」も、危険だと知られてから消えました。悪人を退治したから消えたんじゃありません。みんなが知ったから、消えたんです。

 同じことです。この教え方が子どもの考える力を奪っていると、みんなが知れば、それは少しずつ消えていく。誰かを責める必要も、誰かが罰を受ける必要もない。知られれば、消える。

 だから私は、これを書いています。

 では、どうすればいいのか。

 拍子抜けするほど、単純です。

「なんで?」と聞けばいいんです。

 うちの塾では、大事な問題を解いたあと、私が必ず生徒に聞きます。

「なんでAをBで割るの? BをAで割らないのは、なんで?」

「その式になった根拠は、説明できる?」

「待って、今の話だとAでもBでも成立してしまう。でも君は迷うことなくBって言った。Aでないのはなんで?」

 答えが合っているかどうかは、関係ありません。合っていても根拠が正しくなければ差し戻す。もう一度、私が原理原則から説明している授業動画を見てもらう。

 わかっている子は、すらすら説明します。「この場合はどうなる?」と即興で変化をつけても答えられます。

一方わかっていない子は、答えは合っているのに、説明ができません。まず目が泳ぎます。顔に出るので、大体1秒で判別できます。

「なぜ?」という問いは、ごまかしようがないんです。

 ここからが大事なところで、目が泳いだ子に、その場で解き方を教え直してはいけません。そこで「こうやるんだよ」とやってしまったら、結局また、その手順を覚えさせることになる。どんなに理由を説明しても、先生が自動的に全部しゃべって終わるから、子どもは自分が考えなくても聞いているふりをすれば勝手に終わってしまう。意味がない。

だから教えません。「なぜ」をきちんと説明している解説を、もう一度見直すように言います。そこでは別な例題で理屈をすべてしゃべっています。ポッキーがなぜそこにあるかという理屈を丁寧に解説しています。
その上で、再度自力で解いてもらいます。ポッキーではなく豚肉がどこにあるかを。で、説明させる。
さらに、少し形を変えた類題でも聞いてみる。それもすんなり答えられたら、合格。今日は帰ってよし。

 ポイントは、生徒が最初から「先生に後で聞かれる」のを知っている、ということです。
 あとで絶対に「なんで?」って聞かれる。それが仕組み化してある。

 そういう決まりであったなら、生徒は授業の受け方そのものが変わります。手順だけ覚えたって帰れないことを知っているからです。「なんでそうなるのか」を意識して聞くようになる。理由を聞かれたときに答えられるように、という視点で授業を聞きますから、まず理解します。

これが大事なんです。
『後で聞かれる』という仕組みがなければ、理由を理解してもしなくても帰れます。すると理解しないまま帰る生徒が続出します。
一方、理解しなければ帰れないという制度にするだけで、生徒の意識は授業に、理解に、向くようになるんです。

 「ちゃんと話を聞きなさい」なんて言う必要はありません。言ったって聞きません、子どもは。そうじゃなくて、聞かざるを得ない仕組みを作ればいいんです。説教より、仕組み。そして仕組みは、シンプルであるほど再現性が高くなる。
だからうちの塾は全員点数が取れるようになるんです。

 なんで、と聞く。答えられるまで、帰さない。

 種を明かせば、それだけです。特別な才能も、難しい理論もいりません。これを毎日徹底する。それだけのことなんです。

ちなみに、「なんで?」と聞かずに「オッケー」と言って帰す生徒もいます。
既に模試で数学90点以上とか1位を取ったことがある生徒です。
こういうレベルの生徒は、私がいちいち確認しなくても「なぜ?」を普段から意識しています。
なぜなのかがわからないと気が済まないし気持ちが悪いので、自分で調べるか、あるいはなぜなのかをしっかり質問します。
既にそこに到達している生徒にはいちいち聞かなくてもわかっているということを私は知っているので、聞かなくてもいいんです。

これを、私は『レールに乗った』と表現しています。
一度レールに乗った生徒は、外れることはありません。
教える方もずいぶん楽になります。
だから講師の仕事は、いかにレールに乗せるか、これに尽きるわけです。

入塾時点でレールに乗っている生徒もたまにいます。
指導はめちゃくちゃ楽です。

ちなみにポッキーがあるところを覚えさせるような指導でも、模試や入試で高得点が取れる生徒はいます。
レールに乗っているからです。
レールに乗っている生徒は「ポッキーの位置はここだから、道順(手順)を覚えてね」という指導を受けても、「なんでそこにあるの?」と疑問を抱きます。
で、講師の説明が不足していたら、家に帰って自分で調べます。
自分で解決できるんです。
だから、解法手順を暗記させるような指導を受けても原理原則をその子は理解できる。
講師のおかげではなく、本人の努力によって。

だから重要なのは、どんな講師にあたっても大丈夫なようにしておくことです。
それが、普段から理由や根拠を大切にするということ。
「なぜ?」を大切にするということ。
それができれば、指導がうまくない講師にあたっても崩れることはありません。

 Rの話に戻ります。

 文字式がわかっていないと判明したあの日から、私たちは中1の最初まで戻りました。積み上がっていなかったものを、土台から積み直すわけです。

 文字式のルール。方程式文章題の式の立て方。なぜその式になるのか。比例のグラフの意味。座標平面の図形との絡み。Rが「なんで?」に答えられるようになるまで確かめて、次へ。答えられなければ、戻る。その繰り返しです。

めちゃくちゃ努力していました。私が感心するほどなので、これはよっぽどです。
こんなにまじめに取り組んで、しかも理解力だって良かったですからね。
本当に、トラベリングを知らずに紅白戦に出され続けていただけなんです。

イチからちゃんと教えれば、難なく理解していきました。
時間はかかりましたが。

 1年後。Rは、前の塾が主催するあの模試を、もう一度受けました。56人中53位だった、あの模試です。

 県内12位。偏差値62.1。


 その頃には、Rが見ていた景色は、すっかり変わっていました。

 そして、さらにその半年後。今度は受験者数が前の模試の10倍近い、県内最大規模の模試を受けました。

 数学、秋田県1位。502人中、1位です。

 入塾時の偏差値は、36.5でした。この1位のときの偏差値は、75.0です。

 面談の日、私は「偏差値、20上げてみるかい」と言いました。

たぶん無理、という顔をしていました。

その生徒が、20どころか、38.5上がって県内1位です。

「やったじゃねえか!」

「ありがとうございます!」

とても嬉しそうにしていたのを覚えています。

でも、謙遜というか、これがどれだけすごいことだったのかを本人はいまいちわかっていない様子でした。

「でも、私なんて、最初全然できてなかったし……。たぶん、私よりもできる人、何人もいると思います」

「俺が評価しているのは1位だったことじゃない。5位とか10位の人が1位を取ったって、まぁ、普通のことだ。でもRはどうよ。最初はほとんどビリだったんだぞ。そんな人が1位を取るなんて、聞いたことあるかよ」

「ないです(笑)」

これを読んでいる方で、最下位レベルの生徒が、1年半後に模試で県内1位になった事例、聞いたことがあるでしょうか?

私の知っている限り、それは映画になるレベルの感動巨編ぐらいしか思い当たりません。
かの有名なビリギャルとか。

正直、映画以外では私は自分の教え子しかそういう事例を知りません。
そしてそれはうちの塾に何人もいる。

だから、私はRに言いました。

「あのな、Rがどれくらいすごいか教えてやる」

「え(笑)」

「東大ってな、日本で一番偏差値が高い大学だけど、毎年合格者何人いるか知ってる?」

「いや、わからないです」

「大体3,000人くらいいるんだよ」

「え、そんなにですか?」

「そう。言っちゃなんだけど、いっぱいいるわ。でもな、ほとんどビリから県内1位になった人なんて、日本中探したってほとんどいないんだよ。映画になるレベルだ」

「そうなんですか?」

「そうだ。だから、入塾時点で既に数学ができてる人が1位になるより、Rみたいに大逆転をする人の方がよっぽどすごいと俺は思ってるよ。だって、できなかった人が1位になる大逆転劇なんて、今できない人からすれば希望の星になるんだから」

「私が、ですか?」

「そう。だって、普通信じねーじゃん、ほとんどビリから1位になったって言っても。でも実例を出せば信じてくれる。そういえばRが入塾したときも先輩のを俺出してたね。彼は1位は取れなかったけど、でも模試29点から90点の実際の成績を見て、Rは勇気付けられただろ?」

「たしかに」

「それと一緒だよ。だからRはすげえんだよ。日本中探したって同じくらいの事例はほとんどないくらい、すげーことを成し遂げたんだ」

「そう、ですかね(笑)」

照れながらも、『自分なんて』という思いが少しずつ薄れていくのが、見て取れました。

「ありがとな、うちに来てくれて。Rのおかげで、たくさんの人が救われるよ」

「ほんとですか?」

「ほんとだ。だから、自信を持て。最初できなかったことを恥ずかしいことと思うな。むしろ誇りに思え。そこから逆転したんだから」

「はい!」

とびきりの笑顔で、Rは応えてくれました。

念のため書いておきますが、Rに突然、数学の才能が芽生えたわけではありません。魔法を使ったわけでもありません。やったことは、この文章に書いたことが全部です。つまずいた場所を見つけて、そこまで戻って、「なんで?」に答えられるようになるまで、順番に積み直した。

答えまでの手順をひたすら暗記しようとしていたその思考回路を、変えた。
「なんで?」によって。
それだけです。

Rはその後、中1の頃から志望していた県内トップ校に合格しました。
これを書いている現在、高校3年生。
大学受験に向けて頑張っているそうです。


 Rだけが特別だったわけではないことは、数字でお見せできます。

 うちは1学年最大5人の、小さな個人塾です。入塾試験はありません。誰でも入れます。だから入ってくる子の多くは、平均かそれより下からのスタートです。

 その塾で、2017年度以降の卒塾生38名のうち、14名が模試の数学で秋田県1位を取りました。1位まで届かなかった子も、中1から卒塾まで通った子は例外なく全員、県内トップ校の合格者と同じレベルの数学力を身につけて卒業しています。

 小さな塾ですから、塾生も卒塾生も保護者も、お互いの顔が見えます。数字に嘘や誇張があれば、すぐにバレる。だから嘘は書いていません。書けません。

 最後に、これを読んでくださったあなたに、一つだけ。

 もしお子さんが、塾に通っているのに伸びないなら。定期テストは取れるのに、模試になると落ちるなら。

 まず、才能を疑わないであげてください。

 そして今日、家でこう聞いてみてください。

「この問題、どうやって解いたのか説明できる? なんでその式になるの?」

 WhatではなくWhyの意味で、すらすら説明できたら大丈夫。その子は「なぜ」をつかんでいます。

 答えは合っているのに説明が出てこなくて、目が泳いだら――叱らないであげてください。その子は何も悪くありません。まじめに、教わった通りにやってきただけです。ただ、ポッキーの位置を覚える勉強を、どこかでさせられてきた。それが今日、見つかった。それだけのことです。

 見つかれば、直せます。Rや、歴代のうちの塾生のように。

 地獄への道は善意で舗装されている、と書きました。

 でも、道はただの道です。善意で敷かれた石畳なら、善意で敷き直すことだってできる。どこで敷き間違えたのか、それさえ見つけられれば。

 もし、お子さんの数学で悩んでいるなら。もう一度、こう思ってみてください。

 うちの子には、才能がないのかもしれない――ではなく。

 うちの子は、まだ、つまずいた場所を見つけてもらっていないだけかもしれない、と。

 その場所を見つける仕事を、私はずっと続けています。

 数学は、才能ではありません。

 どの子も、伸びます。それを証明するために、私はここにいます。


この話には、姉妹編があります。
同じ塾に、「私、なんにもできないから」とうつむいて入ってきた、春花という女の子がいました。

『「私、なんにもできないから」——春花の話』



※この記事はnote創作大賞に応募しています。
ただしここに書いた生徒の話はフィクションではなく、脚色のない実話です(名前だけ仮名にしています)。

#創作大賞2026 #ビジネス部門

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