未来を叶えるために生きるのではなく、未来まで使って、今を遊ぶ。
最近、夫と未来の旅行の話をすることが増えました。
まだ何も決まっていません。
いつ行けるのかもわからない。
本当に行けるのかさえ、わからない。
それなのに、
「ニースに行けたらいいね」
「帰りはヘルシンキ経由にしたら面白そう」
「ヘルシンキで一泊して、時間があったら美術館やカフェに行くのもいいね」
「そこからJALのファーストクラスで帰ってきたら最高だね」
そんな話をしているだけで、なんだか楽しいんです。
そして、ふと思いました。
未来って、叶ってから楽しむものじゃなかったんだ。
まだ何も起こっていなくても、
未来を使って、今ここで遊んでいいんですよね。
大人になると、未来を「実現するもの」にしてしまう
子どもの頃は、もっと自由でした。
段ボール箱があれば、
「これは宇宙船!」
と言った瞬間、もう宇宙旅行が始まっている。
そこに、
「本当に宇宙へ行けるの?」
なんて現実的なチェックは入りません(笑)。
でも大人になると、
「ニースへ行きたいな」
と思った瞬間、
いつ?
お金は?
マイルは?
ホテルは?
空席は?
本当に行ける?
と、すぐに現実審査が始まります。
もちろん、実際に旅行へ行くことになれば、確認することは必要です。
でも、
まだ遊んでいる段階にまで、現実を持ち込まなくてもいい。
そう思ったんです。
「叶えるための妄想」にしなくてもいい
私はこれまで、
「こうなったらいいな」
という望みが湧くと、無意識のうちにその先を見張っていました。
いつ叶うかな?
何か動きはないかな?
そろそろ現実化するかな?
つまり、望んでいるようで、
ずっと「波」を監視していたんですよね。
だから疲れる。
そして最近、
もう波をそんなに見張らなくてもいいんじゃない?
と思うようになりました。
未来の旅行を想像するのも、
それを叶えるためじゃなくていい。
楽しいから想像する。
それだけ。
ニースの海辺を歩いている自分たちを想像して、
「ああ、いいなあ」
と思う。
ヘルシンキの知らない街を歩いているところを想像して、
「面白そう!」
と思う。
それで終わり。
妄想そのものが、今の遊びになっている。
未来は「待つ場所」ではなく「今のおもちゃ」にできる
以前の私は、未来に楽しみを置くことが多かったように思います。
旅行が決まったら嬉しい。
航空券が取れたら嬉しい。
旅行の日が来たら楽しい。
つまり、それまでは待ち時間。
でも、よく考えたらもったいないですよね。
まだ行っていないニースだって、今日の遊びに使える。
まだ見たことのないヘルシンキだって、今日の遊びに使える。
飛行機のルートを考える。
ホテルを眺める。
地図を見る。
夫婦で、
「こんなのどう?」
「それ面白そう!」
と話す。
それだけで、今の一コマが少し楽しくなる。
だったら、
未来は、叶える前から遊び場にしていい。
「叶わなかったらどうするの?」もいらない
ここで思考は言います。
「でも、期待して叶わなかったらガッカリするんじゃない?」
確かに、そういうこともあるかもしれません。
でも、それもまだ未来の話。
今は楽しい。
だったら今は、楽しいを味わえばいい。
実際に旅行へ行けなかったときには、そのときの一コマを生きればいい。
予定が変わったら、そのとき考えればいい。
もしかしたらニースではなく、まったく違う場所へ行きたくなるかもしれない。
それもわからない。
わからないから、面白い。
未来を先に決めてしまう必要なんてなかったんですよね。
「ワクワクすれば叶う」にもしなくていい
そして、ここは私にとって大切なところです。
「楽しく妄想していれば、きっと叶う」
にしてしまうと、また未来を見張り始めます。
こんなにワクワクしているんだから、そろそろ叶うかな?
いい気分でいるんだから、現実も変わるよね?
これでは結局、
今を、未来を変えるための道具にしている。
そうではなくて、
ワクワクしたからワクワクした。
楽しかったから楽しかった。
妄想したかったから妄想した。
それで完結。
結果は次の一コマ。
今の私の担当ではありません(笑)。
子どもの遊びには、目的がない
子どもって面白いですよね。
さっきまで夢中になって遊んでいたのに、
「もうこれやめた!」
と言って、突然違うことを始めたりする。
そこに、
「せっかくここまでやったんだから、最後まで成果を出さなければ」
なんてありません(笑)。
面白いからやる。
飽きたからやめる。
また面白そうなものを見つけたから、そちらへ行く。
とても軽い。
でも遊んでいる瞬間は、本気です。
本気だけど、深刻ではない。
この感じ、今の私にはとても魅力的です。
人生を、もう少し遊びに戻してもいい
大人になるにつれて、
ちゃんとしなくちゃ。
失敗しないように。
お金を無駄にしないように。
将来困らないように。
結果を出さなくちゃ。
そんなことがどんどん増えていきます。
気がつけば人生が、
遊び場ではなく仕事場
みたいになってしまう。
でも、もしかしたら私たちは、
もう少し遊んでもよかったのかもしれません。
今日行きたいところへ行く。
食べたいものを食べる。
面白そうなことを調べる。
未来の旅行を妄想する。
「こんな生活もいいな」と想像する。
何の役にも立たなくてもいい。
実現しなくてもいい。
今の自分が少し緩むなら、それでいい。
未来まで使って、今を遊ぶ
以前の私は、
未来をよくするために、今を使っていたのかもしれません。
今頑張れば、未来がよくなる。
今節約すれば、未来が安心。
今いい気分でいれば、望む現実が来る。
いつも未来が目的地でした。
でも最近は、反対でもいいような気がしています。
未来まで使って、今を楽しくする。
未来のニースを使って、今日ワクワクする。
未来のヘルシンキを使って、夫婦で笑う。
未来のファーストクラスを使って、旅程を妄想して遊ぶ。
実際にその未来が来るかどうかは、まだ誰にもわからない。
でも、
今日楽しかったことだけは、もう起きています。
叶うかどうかは、未来に任せておけばいい
行けるかな?
わからない。
マイルは取れるかな?
わからない。
予定どおりになるかな?
それもわからない。
だったら、
まぁ、いいっか(笑)。
今は、
「こんな旅、面白そうだね」
でいい。
実際に予約する一コマが来たら、そのとき予約すればいい。
状況が変わったら、そのとき考えればいい。
未来の私の仕事まで、今の私がやらなくてもいいんですよね。
人生は、叶ってから始まるわけじゃない
旅行もそう。
夢もそう。
人生もそう。
「こうなったら幸せ」
「これが叶ったら楽しもう」
としていると、それまでの時間が全部待ち時間になってしまいます。
でも、
未来そのものを遊び道具にしてしまえば、待ち時間がなくなる。
叶う前から遊べる。
決まる前から楽しめる。
わからないまま、ワクワクできる。
そして途中で気が変わったっていい。
私は今、このくらいの軽さが心地いいです。
未来を叶えるために、今を頑張るのではなく、
未来まで使って、今を遊ぶ。
そして明日になったら、また明日の遊びが始まる。
人生って、本当はそれくらい自由なおもちゃ箱だったのかもしれません。
未来は、まだ存在していないからこそ、何を描いても自由。
だったら今日くらい、
子どものように好き勝手に描いて、
「こんなのも面白そう!」
と遊んでみる。
叶える責任なんて背負わずに。
ただ、今が楽しいから。
最近の私は、そんな未来との付き合い方が、とても気に入っています。
🌿やさしい気づきの個別セッションについて
ココナラにて、メッセージでのやりとりを通して、
やさしく見つめ直す時間をお届けしています。
必要な方に届いたら嬉しいです☺
~ ようこのやさしい気づき ~
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!