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正気と狂気のあいだ / 「ジェイコブズ・ラダー」

近頃はずいぶん減ってしまったが、映画のなかには「現実の問題を観客に知ってもらい、考えてもらう」作品もある。大企業の不正を告発したり、差別や偏見を指摘するような映画だ。なかでも「軍隊」はその組織の性質上、ブラックボックスになりやすく、文民統制とはいえ実務は闇鍋みたいなものである。
1990年の映画「ジェイコブズ・ラダー」は、ベトナム戦争の最中に米軍は自国の兵士を被験者とする化学兵器の人体実験を行っていたのではないか、ということを告発する作品である。ベトナム戦争の帰還兵であいだで囁かれていた疑惑に応えるような映画だ。
しかし、本作を量産型の「告発系」と分け隔てたものは、その脚本である。主人公ジェイコブ(ティム・ロビンス)が戦地で瀕死になる冒頭から、映画のラストシーンまで、どのシーンが現実でどのシーンが夢なのか、区別が付かないよう処理されている。言い換えると、この映画は現実と夢を区別していない。これはキリスト教から距離を置いた価値観であり、東洋思想や仏教に近い。本作の脚本家はチベット仏教に傾倒していたそうだが、まさしくそのような世界観が表現されている作品だ。
また、こうして現実なのか夢なのか分からぬよう編集することにより、米軍が何らかの人体実験を行ったということを断定することにならない。あくまでもジェイコブの体験は夢かもしれないという姿勢でいることにより、事の重大が際立つようになっている巧みな構成だ。こうした現実と夢の交差は、たとえばロバート・アルトマン監督の1972年の映画「イメージズ」などが先行しているし、デヴィッド・リンチ監督の2001年の「マルホランド・ドライブ」に繋がるものだ。

メコンデルタ(ベトナム最南部)に派兵されていたジェイコブたちの部隊は奇妙な体験をし、帰還してから戦友たちは同じような妄想に悩まされていた。ジェイコブはそれが米軍による無許可の人体実験だったのではないかと戦友から耳打ちされ、訴訟しようとするものの、何か大きな力がはたらいていることに気付くーー。
ジェイコブが所属していた部隊は陸軍の第1騎兵師団である。第1騎兵師団といえば、本作と同じくベトナム戦争を舞台にした「地獄の黙示録」でのキルゴア中佐率いるヘリコプター部隊が思い出される。また、クリント・イーストウッド監督の2008年の映画「グラン・トリノ」の主人公ウォルトが若い頃に所属していた師団でもある。
なお、本件は「ほぼ実話」に基づくものの、中央情報局(CIA)の関わる案件ゆえ、もはやその全貌を知ることは不可能に近い。ただ、間違いないことは、こうした人間の「精神を操作する」という実験は、もともとナチスが行っていたものであり、戦後に多くの科学者たちが実験データや資料と共にアメリカやソ連へ渡ったということだ。ナチスに勝った連合国は「ナチスは悪だ」と国民に喧伝しつつ、その膨大な"遺産"を影でしっかり引き継いだ。
さておき、夢か現か分からぬ境地に連れていかれる本作は、主人公ジェイコブが生き地獄を巡る現代の『神曲』のようにも映る。米軍の実験が仮に全く存在しなかったとしても、このような兵士たちの「妄想」だけは疑いようがなく、そしてそれは戦争に起因することが明白である。
こういう映画を観ていると、いかに人間にとって精神が重要であるか、よく分かる。だからこそこの列島のように、精神をめぐる表現を片っ端から「差別だ」といってタブー視している場合ではない。僕が記事でたくさん紹介してきたように、欧米の映画では「精神疾患」は重要なテーマである。人のこころを語ることが差別にあたる訳がない。この列島では「差別だ」と主張する団体こそが、いらぬ差別を助長している。
ともあれ、天国と大地を繋ぐヤコブの梯子(Jacob's Ladder)のように、正気と狂気の間に架けられた橋の上を歩いているのが人間ではないか。あるいは、正気と狂気とは実は区別ができないものではないのかーー。

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