72歳の私が『ノルウェーの森』を観て感じたこと
皆さん、こんにちは。てっちゃんです。
若い頃に読んだ村上春樹の『ノルウェーの森』。
正直、内容はほとんど記憶の彼方でした。そんな私が、ふとAmazon Primeで映画を観たんです。何十年ぶり、というよりも、まるで「初めて出会った」ような感覚でスクリーンに向き合いました。
若い頃、この物語を読んだ時は何を思ったんでしょうね。
おそらく、あの独特の閉塞感や、出口のない青春の痛みとして消費していたんだと思います。でも、72歳になった今、改めてこの物語に触れてみて、自分の中の「受信機」が全く別の場所を捉えていることに気づかされました。
映画の中に描かれる、あの静かな、それでいて張り詰めた空気。
直子という女性が抱えていた、触れれば壊れてしまいそうな繊細さと、ワタナベが直面する喪失感。それらが、今の私の日常にある「畑」の感覚と、不思議と重なり合う瞬間があったんです。
私は今、5000平米の畑で、手掘りで土を耕しています。
そこでは、種をまき、芽が出るのを見守り、季節のサイクルの中で命が循環していく姿を毎日見ています。土に触れることは、生と死を極めてフラットな目線で見つめることでもあるんです。
そんな今の私から見ると、あの若者たちの「死」をめぐる彷徨いは、悲劇というよりも、ある種、命が芽吹くための切実なプロセスのように感じられました。
死は生の対極にあるのではなく、生の一部としてそこにある。物語の中の彼らの葛藤が、今は痛いほど静かに、そして美しく腑に落ちるのです。
若い頃の記憶なんて、忘れていて正解だったのかもしれません。
あの頃の自分が感じ取れなかったことが、今の自分の厚みの中で、ようやく咀嚼できるようになった。そう思うと、物語を「忘れる」ということも、悪いことじゃないですよね。
歳を重ねるというのは、蓄積することだけじゃなくて、こうやって昔読んだはずの言葉や映像と、新しい自分として出会い直せる特権を持っているということかもしれません。
皆さんも、もし若い頃に読んで「よくわからなかった」本があれば、今の自分でもう一度手に取ってみてください。
その時、物語はきっと、以前とは違う顔をして、あなたに語りかけてくるはずです。
さて、そろそろ畑の時間が近づいてきました。
今日という一日は、どんな物語を紡げるでしょうか。
それでは、また。てっちゃんでした。
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