「働けばお金が貰える」が当たり前じゃない人々――労働と対価が結びつかない世界――
レイカ・ディープブルー(経営学)
「働けば、お金が貰える。」
多くの人にとっては、ごく当たり前の話に聞こえるかもしれない。
仕事へ行く。
時間を使う。
決められた役割を果たす。
そして、給料が支払われる。
それが労働だと。
でも、世の中にはこの感覚が、あまり当たり前ではない人たちがいる。
研究をしているのに、自分がお金を払う。
文章を書いているのに、お金は発生しない。
家族の生活を支えているのに、それは「仕事」として扱われない。
誰かを助けるために大量の時間を使っているのに、それはボランティアとして無償になる。
価値あることをしている。
時間も使っている。
頭も身体も使っている。
それでも、
お金が貰えるとは限らない。
今回は経営学の立場から、
なぜ「働いたこと」と「お金が貰えること」は、自動的には結びつかないのか。
その構造を考えてみます。
⸻
◆◆レイカ「価値を生んだことと、対価を受け取れることは別問題よ」
レイカ・ディープブルーです。
いきなり結論から言います。
価値を生んだことと、対価を受け取れることは別問題よ。
これ、すごく大事です。
たとえばあなたが一日かけて、とても分かりやすい記事を書いたとします。
読んだ人が勉強になった。
面白かった。
救われた。
何かを知った。
その文章には、明らかに価値がある。
でも、その記事が無料公開されていて、広告もなく、有料販売もされておらず、誰かから執筆依頼を受けたわけでもないなら。
収入はゼロ。
価値がなかったからではありません。
価値をお金へ交換する仕組みがなかったからです。
ここを混同すると、
「お金にならない=価値がない」
という、とても危険な結論に行きやすいの。
違うのよ。
お金は、価値を自動的に検知して支払ってくれる装置ではない。
⸻
◆◆大学院では、研究しているのにお金を払う
研究の世界は、この違いがとても分かりやすい場所です。
大学院生は研究をします。
論文を読む。
資料を集める。
調査をする。
実験をする。
発表する。
論文を書く。
場合によっては、かなり高度な専門活動です。
でも多くの大学院生は、
「研究者として雇われている人」ではなく「教育を受ける学生」
という立場にいます。
すると、研究活動をしているのに、
学費を払う側
になることがあります。
レイカ「同じ『研究している』でも、契約上の立場が違えば、お金の流れは逆転するのよ」
大学院生。
研究員。
大学教員。
企業研究者。
外部委託された研究者。
同じように研究していても、
誰が誰に何を提供しているのか。
どんな契約なのか。
誰が報酬を支払うのか。
によって、経済的な位置は変わります。
だから、
「研究したから給料が出る」
ではありません。
正確には、
「研究という労働に対して、報酬を支払う契約関係に入っているから給料が出る」
のです。
⸻
◆◆文章も、書いただけではお金にならない
これは創作や執筆でも同じです。
文章を書く。
企画を考える。
資料を読む。
構成を作る。
推敲する。
投稿する。
かなりの時間と労力がかかります。
でも、
文章が存在すること
と、
文章が売買されること
は別です。
ブログ。
note。
小説投稿サイト。
SNS。
個人サイト。
そこに何百本、何千本の記事があっても。
無料で公開しているだけなら、それだけで賃金は発生しません。
レイカ「ここで『じゃあ書いても意味がない』に行かないことね」
文章には価値がある。
でも、
誰が買うのか。
何を商品にするのか。
どこで売るのか。
いくらで売るのか。
なぜその値段を払うのか。
購入後に何が得られるのか。
そこまで設計されて初めて、
文章が商品になる。
つまり執筆には、
書く能力
と、
売れる形にする能力
の両方が必要になります。
⸻
◆◆「仕事」と「活動」は同じではない
ここで言葉を整理しましょう。
人は一日中、いろいろな活動をしています。
料理。
掃除。
育児。
介護。
勉強。
研究。
創作。
相談。
地域活動。
ボランティア。
でも、それらがすべて「有給の仕事」になるわけではありません。
なぜなら、
活動の価値と、雇用契約の存在は別だからです。
家族の食事を毎日作っても、それだけで賃金は発生しない。
でも飲食店で同じように調理すれば、賃金が発生する。
自宅で文章を書いても収入ゼロかもしれない。
でも企業から依頼されて同じ文章を書けば、報酬が出る。
研究を自主的に進めれば無給。
研究機関に雇用されて同じ研究をすれば給与が出る。
レイカ「やっていることが似ていても、経済的には別物なのよ」
⸻
◆◆家事は価値がある。でも給料は出ない
無償労働の代表的な例が家事です。
料理。
掃除。
洗濯。
買い物。
家計管理。
家族の予定管理。
子どもの世話。
高齢者や病人の介助。
これらが止まれば、生活は簡単に崩れます。
つまり、
社会を維持するために必要な活動
です。
でも家庭内で行われている場合、多くは直接的な賃金が発生しません。
ところが同じ活動を、
家事代行。
保育。
介護。
調理。
清掃。
として市場で提供すれば、お金が動きます。
何が変わったのでしょう。
仕事の重要度ではありません。
市場取引として切り出されたかどうか
です。
ここを見ると、
「給料が出ない仕事は価値が低い」
とは、とても言えなくなります。
⸻
◆◆「好きでやってるんでしょ?」という危険な言葉
創作や研究では、よくある言葉があります。
「好きでやってるんでしょ?」
はい。
好きかもしれません。
でも。
好きであることと、
生活費が不要であることは別です。
レイカ「ここ、間違えないで」
絵が好き。
文章が好き。
研究が好き。
音楽が好き。
人を助けるのが好き。
だから無償でもいい。
そう簡単にはなりません。
好きな活動にも、
食費。
家賃。
電気代。
通信費。
道具代。
時間。
が必要です。
そして何より、
好きだからこそ、続けたい。
続けたいなら、生活基盤が必要です。
「愛があればお金はいらない」
と同じくらい、
「好きなら報酬はいらない」
も危険な考え方なのです。
⸻
◆◆お金は「価値の通知票」ではない
ここで、もう一つ大事なことがあります。
人はお金が発生すると、
「認められた」
と感じることがあります。
逆にお金が発生しないと、
「自分のやっていることには価値がない」
と感じてしまう。
でも、お金は万能の評価装置ではありません。
市場で売りやすいもの。
売りにくいもの。
公益性は高いが収益化しづらいもの。
将来価値が出るが、今は評価されないもの。
たくさんあります。
レイカ「経営学から言えば、価値には交換しやすい価値と、交換しにくい価値があるの」
たとえば、
誰かの孤独を減らした。
学ぶきっかけを作った。
文化を記録した。
研究資料を整理した。
すぐには売れないかもしれません。
でも、それで価値が消えるわけではない。
⸻
◆◆それでも、お金は必要
ここまで、
「お金にならなくても価値はある」
と話してきました。
でも。
だからといって、
お金を軽視していいわけではありません。
ここが一番大事。
生活にはお金が必要です。
家賃。
食費。
光熱費。
医療費。
通信費。
交通費。
研究や創作を続けたい人にも、当然必要です。
だから、
「価値はあるんだから無償でもいいよね」
では困る。
レイカ「価値があるからこそ、どうやって持続可能な形にするかを考える必要があるのよ」
ここで経営学の出番です。
⸻
◆◆「働いたらお金が貰える」には仕組みがある
雇用されて働く場合。
労働者は、
時間。
技能。
体力。
知識。
を提供します。
企業は、その労働を使って事業を行います。
そして契約に基づいて賃金を支払う。
だから、
勤務する→賃金が発生する
という分かりやすい構造になります。
この仕組みを長く経験している人からすると、
「働けばお金が貰える」
は当たり前に感じます。
でも自主研究や個人創作を中心に生きてきた人からすると、
こんなに直接的に労働とお金がつながる経験そのものが新鮮
ということがあります。
一日働く。
その時間に対して、
「時給○○円」
と明示される。
これは、かなり特殊な安心感でもあります。
⸻
◆◆時給は「あなたという人間の値段」ではない
ただし、ここでも注意が必要です。
時給1,000円。
時給1,500円。
時給3,000円。
この数字は、
その人間そのものの価値ではありません。
その仕事。
その時間。
その市場。
その契約。
その技能需要。
そこに対して付けられた価格です。
レイカ「時給を見て、自分の人間価値まで値札にしないことね」
同じ人でも、
倉庫作業。
記事執筆。
講師。
研究。
相談業務。
では、報酬体系が違います。
人間の価値が一時間ごとに変動しているわけではありません。
仕事の値段と、人の尊厳は別。
これは絶対に分けてください。
⸻
◆◆「文章を書く」から「文章を買ってもらう」へ
では、個人執筆で収入を作るには何が必要でしょう。
まず、
誰に何を提供するのか
を決める必要があります。
たとえば、
初心者向けの解説。
専門情報の翻訳。
世界観型コンテンツ。
キャラクター記事。
電子書籍。
有料記事。
依頼執筆。
構成作成。
編集。
同じ「文章を書く」でも、商品は違います。
次に、
どこで販売するのか。
そして、
なぜ無料ではなく有料なのか。
ここも必要です。
無料記事を10本読むより、
一冊に整理されたものを読みたい。
最新情報をまとめてほしい。
自分向けに書いてほしい。
編集済みの保存版がほしい。
そういう理由が生まれれば、対価が発生する可能性が出てきます。
⸻
◆◆大量に書けることと、売れることは別能力
これは少し厳しい話です。
たくさん書ける。
毎日書ける。
質の高い記事が書ける。
それだけで自然に収益が増えるとは限りません。
なぜなら、
生産能力と販売能力は別だから。
レイカ「工場が商品を大量生産できても、売り場がなければ在庫が増えるだけでしょう?」
文章も同じです。
大量の記事。
大量の研究。
大量の創作。
それは、
資産候補
です。
でも商品にするには、
分類する。
編集する。
パッケージ化する。
値段を付ける。
売り場へ置く。
読者へ知らせる。
必要があります。
これは文章力とは別の仕事です。
⸻
◆◆「働けばお金が貰える」は、実はかなり恵まれた構造
ここまで考えると、
「働けばお金が貰える」
という状態は、意外とすごいものです。
仕事へ行けば、
何をするか決まっている。
何時から何時までか決まっている。
いくら貰えるか決まっている。
そして、仕事をしたら報酬請求のために自分で営業しなくてもいい。
レイカ「個人事業を経験すると、ここがどれだけ楽か分かるわよ」
個人で仕事を作る場合は、
仕事そのものをする前に、
営業。
契約。
価格設定。
請求。
集客。
販売。
まで必要になることがあります。
雇用には、
仕事と賃金を結びつける仕組みを会社側が用意してくれる
という面があります。
⸻
◆◆でも、雇用されていない活動も「何もしていない」わけではない
ここで反対側も確認しておきましょう。
収入がない。
だから無職。
だから何もしていない。
とは限りません。
研究している。
創作している。
介護している。
学んでいる。
誰かを支えている。
プロジェクトを運営している。
市場から賃金を受け取っていないだけで、
大量の活動をしている人
はいます。
レイカ「社会的な肩書きと、実際の活動量が一致しないことは普通にあるのよ」
だから、
「無収入=無活動」
という見方も危険です。
ただし。
活動しているのに生活できないなら、
その活動をどう持続させるのかは考えなければならない。
ここで再び、
価値と収益の接続
が問題になります。
⸻
◆◆研究や創作を続けるためにも、収入は研究対象になる
陽浜研究所では、
研究とは成果だけではなく、研究を続けられる状態の維持まで含む
と考えます。
その立場から見るなら、
収入は研究の外側の汚い話ではありません。
食事。
住居。
休息。
そして、
お金。
全部、研究を続ける条件です。
レイカ「研究が尊いなら、研究者が食べられる仕組みも尊いのよ」
論文を書くだけ。
記事を書くことだけ。
それでは続かないことがあります。
だから、
どこで収入を得るか。
どの活動を有料化するか。
何を無料で残すか。
何を仕事として受注するか。
どこまで別の労働で生活費を確保するか。
そういう設計も、
研究を続けるための運営
です。
⸻
◆◆倉庫作業と執筆は、敵ではない
たとえば、
昼は倉庫で働く。
帰宅して文章を書く。
一見すると、
「本当にやりたいことを諦めて肉体労働をしている」
ように見えるかもしれません。
でも、違う見方もできます。
倉庫作業で得た賃金が、
家賃になる。
食費になる。
電気代になる。
通信費になる。
そして、
文章を書き続ける時間を守る。
ならば、その労働は創作と敵対していません。
むしろ、
創作を支えるインフラ
になっています。
レイカ「全部の収入を、好きな活動から生み出さなくてもいいのよ」
これ、とても大事です。
⸻
◆◆「文章だけで食べる」が唯一の成功ではない
創作者はときどき、
「文章だけで生活できなければ失敗」
と考えてしまいます。
でも本当にそうでしょうか。
文章で月3,000円。
別の仕事で生活費。
研究は継続。
それでも十分、文章は収入を生んでいます。
文章で月1万円。
週3日の別仕事。
残りの日は研究。
これもあり。
複数の収入源を組み合わせることは、経営的にはむしろリスク分散です。
レイカ「一つの収入源へ全部背負わせる方が、危ないこともあるわ」
愛する活動を、
いきなり生活費全部を背負う重労働にしない。
これも続けるための設計です。
⸻
◆◆最初の500円には意味がある
文章から月数万円。
月20万円。
そう考えると、遠く見えるかもしれません。
なら最初は、
500円
でもいい。
なぜなら最初の500円は、
金額以上の意味を持つからです。
「誰かが自分の文章へ対価を払った」
という事実が生まれる。
すると問いが変わります。
それまでは、
「文章で本当にお金なんて生まれるの?」
だった。
500円発生した後は、
「どうしたら500円を3,000円にできる?」
になる。
レイカ「ゼロと500円の間には、数字以上の壁があるのよ」
⸻
◆◆「働いたらお金が貰える」が不思議に感じる人へ
もし、
「働いたらお金が貰えるの、不思議だな」
と思ったことがあるなら。
それは、
あなたが怠けていたからでも、
経済の仕組みを知らなかったからでもないかもしれません。
これまで長く、
活動と報酬が直結しない場所
にいたのかもしれない。
研究。
創作。
学習。
家事。
支援。
そこで、
頑張る。
価値を作る。
時間を使う。
でもお金は増えない。
それが普通になっていた。
だから、
一日働いて、
「今日の労働分です」
と賃金が発生することが、
妙に新鮮に感じられる。
それは十分あり得ることです。
⸻
◆◆「価値がある」と「食べていける」の間をつなぐ
最後に。
価値ある活動をすること。
それは大切です。
でも、
価値があるだけでは、活動を続けられないことがあります。
だから経営学では、
価値を作るだけで終わりません。
その価値を、
誰へ届けるか。
どう交換するか。
どうやって収益へつなぐか。
そして、その活動をどう継続するか。
そこまで考えます。
「働けばお金が貰える。」
それは、自然法則ではありません。
誰かが労働を必要とし。
契約を結び。
価格を決め。
対価を支払う。
そういう社会的な仕組みがあるから成立しています。
逆に言えば。
今までお金が発生しなかった活動も、
価値がなかったとは限らない。
まだ、
価値と対価のあいだに橋がなかっただけ
かもしれません。
レイカ「だから、二つを分けて考えて」
『私のやっていることには価値があるか』
と、
『その価値からどうやって収入を作るか』
は、別の問いです。
前者に「はい」と答えられても。
後者がまだ分からないことはある。
それでいい。
後者は、
設計できる問題だから。
研究も。
創作も。
生活も。
続けたいものがあるなら。
ただ価値を作るだけでなく、
その価値を作る人自身が、生き続けられる仕組みを作ること。
それもまた、
経営なのです。
