歌詞は謎 椎名林檎『カプチーノ』
椎名林檎
カプチーノ

あと少し あたしの成長を待って あなたを夢中にさせたくて 藻掻く あたしを可愛がってね
そこまで歌い終わると史織はこちらを振り返った。「よっ!」と言ってみたが、すぐに前を向いてしまった。イントロはまだ流れている。
今度逢う時は コートも要らないと そんなに普通に云えちゃうのが 理解らない ミルクの白に 茶色が負けている
史織は歌がうまい。聞いていてとても心地が良い。さすが音楽の高等教育を受けている人間だなと思うが、音大に通っていれば歌がうまいというのもひどい偏見な気がする。
何よりもあなたに逢って 触れたいの 全て味わって 確かめて イーヴンな関係に成りたい 変わりゆく あたしの温度を許して もし我が儘が 過ぎて居ても 黙って置いて 行ったりしないでね
1番のサビが終わり、史織はレモンスカッシュをストローで吸い上げながらまたこっちを見てきた。
贔屓目に見ても、黙っておいて行かれるのはなんの取り柄もない僕の方だ。「よっ」とだけ言うと、明らかに不満そうに2番を歌い出した。
コーヒーの匂いを 間に挟んで 優位の笑みを 隠し切れない様子で居る ...苦いだけじゃ 未だ中庸が取れない
あまり歌詞を気にしたことはなかったが、この辺はさすがの表現だなと思う。2人のパワーバランスをコーヒーとミルクでうまく表現している。
梅の散る午後にもちゃんと二人は 今日と同じ様に人混みを 擦り抜けられるかしら それぞれが 只忙しくして居たら 引く手の加減も曖昧に 忘れちゃいそうで 不安なのに
ん?
なんだこれ。
これはさっきの歌詞と合わせると、かなり不自然なことにならないか……?
僕はポケットの上からスマホをなぞった。取り出したかったが、暇だと思われるのは心外だった。
あなたが此処に居る 約束など 1つも交わして居ない 何時の間にか 淡色が当たり前に香り 二人を支配しそう
「ここ好きー!」と史織が歌詞のように言った。ストローを吸って、レモンスカッシュのコップが空である音が響く。
誰よりもあたしを ちゃんと見透かして 口の悪さや 強がりは"精一杯"の証拠だって
変わりゆく あたしの温度を許して もし我が儘が 過ぎて居ても 黙って置いて 行ったりしないでね
「キュンキュンきちゃうねこの曲は、いつ歌っても」
史織が振り向くと、僕がスマホに向かってむずかしい顔をしていることに気づいたようだ。
「どした?なんかあった?」
「いや、ちょっと今の歌詞が気になって調べてた」
「あー、またアレですか。例の。国語探偵」
「よくわかんないあだ名をつけるな」
以前、なりゆきで山村暮鳥の詩を史織の前で解釈したことがあった。確かにあの時と似ている。この歌詞には、隠されたストーリーがあるはずだ。
僕は史織のコップを指差し、2人でドリンクバーに向かった。
「私はファンタメロンじゃい」と機械に宣言する史織をよそに、僕はカップを取り出してカプチーノのボタンを押した。
うん。確かに多いな、ミルク。
☕️
「それで? これから解決編が始まるのかな」
「うーん、まだよくわかってないところもあるけど、少なくともこの曲が単に【年下女性のかわいい心理】を歌ったものではないことは解釈できてきた」
「と、年下女性のかわいい心理を歌ったものではない〜?」年上女性はごきげんな様子で笑っている。
「登場人物は、"あたし"と"あなた"。2人は恋愛関係にある」
「そうね」言いながら史織は、明らかに健康に悪そうな色の液体を喉に流し込んだ。
「歌詞の中で、"あたし"は茶色のエスプレッソに、"あなた"は白のミルクに喩えられている。2人のパワーバランスは、ミルクの白に 茶色が負けているという歌詞によって不均衡だと示唆されている」
「それよね。すごい表現だと思う」
「余裕があって関係に執着していなさそうな"あなた"と、それをもどかしく思っている"あたし"の対立。たぶんこの辺から、年上と年下という関係性を思い浮かべる人が多いんだろう」
「みんなそういう苦い経験を抱えてるってこと」
史織は抱きしめるようなマイムをしてこちらを見た。そんな意味深な目で見るな。
「でも、不均衡なパワーバランスは、果たしてそれが理由だろうか。例えばここの歌詞」
今度逢う時は コートも要らないと そんなに普通に云えちゃうのが 理解らない
「これ、結構すごいこと言ってないか?」
「そう? 次会う頃には暖かくなってるかもね〜って普通の会話じゃない?」
「それだけならね。でも、"あたし"はそんなに普通に云えちゃうのが 理解らないと思ってる」
「せっかくいま会ってるのに、もう次会う話してるのあざといね〜ってことでは?」
なるほどな。僕もそうやって言えばいいのか。
「じゃあ、こっちは?2番の歌詞」
梅の散る午後にもちゃんと二人は 今日と同じ様に人混みを 擦り抜けられるかしら
僕はカプチーノを一口含んだ。
「梅の散る季節、だいたい3月下旬頃だよね」
「ん……。それくらいだね。桜のちょい前?」
「もしこの『今日』が1番のさっきの『コートもいらないと……』の日のことだとすると、次に2人が会うのは短く見積もっても1ヶ月以上先ということになる」
「……なるね、そりゃあ、そんなこと普通に云えちゃうのは理解らないわ」

「2人はあまり頻繁には会えない。なぜだろう」
んー、と言って史織はスマホの画面をなでる。
「忙しいってことじゃない?それぞれが 只忙しくしてたらって言ってるし」
「それもある。でも、"あたし"は会いたいと思ってるが"あなた"は1ヶ月先でいいと思ってる。ペースは完全に"あなた"が握ってるんだ。改めて、なんでこんなことになる?」
僕が問いかけると、史織は何も言わずニヤついて「探偵さんはもうわかってるんでしょ? 理由」
「……まぁね」僕は恥ずかしくなりスマホに視線を戻す。「ポイントは、『カプチーノ』だ。史織はカプチーノの作り方知ってる?」
なんか、が〜〜って、と史織が右手で工程を表す。僕はカプチーノのWikipediaのページを見せた。
ふうん、とつぶやいた史織は、突然顔を上げ、「えっ!? そういうこと!?」と目を丸くした。
僕も最初に調べたときは驚いた。この曲が『カプチーノ』でなければならない理由が、そこに書いてあったからである。
カプチーノにはエスプレッソとともに、スチームミルク(スチームドミルク、蒸気で温められたミルク)とフォームミルク(フォームドミルク、蒸気で泡立てられたミルク)との両方を用いる。
一般的には、カプチーノにおけるエスプレッソ、スチームミルク、フォームミルクの割合は1:1:1とされる
「『カプチーノ』の登場人物は3人なんだよ」

ミルクの白に 茶色が負けている
「不均衡になるのは当然だ。数的に不利なんだよ。"あなた"には既に別の恋人、それも本命がいる」
もうひとりの登場人物もミルク、つまり白だ。
白い、つまり後ろめたくない関係。
あなたが此処に居る 約束など 1つも交わして居ない 何時の間にか 淡色が当たり前に香り 二人を支配しそう
「うわ〜〜ここもそういうことか〜〜〜」史織が天井を仰いだ。「此処にいる約束など交わして居ないよな〜〜交わせないな〜〜浮気ならさぁ〜〜〜」
「淡色、つまりミルクとミルクの関係が、"あなた"だけではなく"あたし"にとってもノーマルになることは、2人の関係の終わりを感じさせる。だからそうならないように、"あたし"はなんとか茶色を差し込むんだ。精一杯の強がりを」
"あなた"にとって、刺激を感じられる存在として。コントロールできない小悪魔を演じて、恋愛のドキドキを感じてもらえる存在として。
「でもやっぱりさ〜」
史織は仰いだ姿勢で首だけこちらに向けた。
「やっぱこれ、年下女性のかわいい心理を歌ってるじゃん」
めっちゃかわいいじゃん、と言うので、別に年下とは限らないだろと答えた。
「……まぁ、それは、なきにしもあらずだね」
目の前のカップでは、泡がすっかり弾けて、きれいなライトブランが微睡んでいた。
「歌わん?」
史織が分厚い端末を寄越してきた。自分が歌うより、史織の歌声を聴いていたい気分だった。
「探しとくから、これ歌ってよ」
返事より前に予約してしまった。知らないアーティストの宣伝が止まる。曲名が表示された。
「あはは、いーよー」
史織はニットの右袖をまくった。
コレサワ
恋人失格
つづく
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