暴走する行政権力としての生徒会
日本のアニメーション作品、「生徒会」の権限があまりにも肥大化しすぎている。
生徒会なんて、せいぜい文化祭のスローガンを決めたり、目安箱に興味本位で投げ込まれた「食堂のパンの種類を増やして」とかいうノートの切れ端を読み上げたりする程度の、牧歌的な自治組織に過ぎないはずだ。
しかし、二次元におけるそれは、明らかに「国家」としての振る舞いを見せている。
アニメ『キルラキル』において、鬼龍院皐月率いる生徒会は、武力による恐怖政治で学園どころか周辺都市まで支配している。軍事政権だ。
『少女革命ウテナ』の鳳学園生徒会もすごい。専用の空中庭園やエレベーターを有し、「世界の果て」と結託してデュエルを取り仕切っている。一介の高校生が世界の理に干渉するなど、どのような権限のガバメントになっているのか。
その他、『生徒会役員共』や『かぐや様は告らせたい』のようなコメディ作品であっても、生徒会室の設備や予算規模は、中小企業のそれを遥かに凌駕している。
なぜ、学園アニメの生徒会は暴走するのか。
近代国家では、社会が複雑化するにつれ、専門的な知識を持つ行政機関(=官僚機構)に権限が集中する。学園アニメでも全く同じことが起きていると言えるだろう。
本来、学園の統治者は理事長や校長であるはずだが、アニメの中の大人たちは往々にして無能か、あるいは無関心である。
彼らは「学園の平和を守れ」という極めて抽象的で包括的な命令だけを生徒会に下す。明確なルールの縛りがないまま強大な権限を白紙委任された行政機関は、その裁量権を無限に拡大解釈し始めるだろう。
マックス・ウェーバーは、国家を「正当な物理的暴力行使の独占を要求する共同体」と定義した。
アニメの生徒会は「風紀委員」という名の実力部隊を指揮下に置いていることが多い(『とある科学の超電磁砲』のジャッジメントなどもこれに近い)。「平和を守るため」ならば、武装した風紀委員を組織することも、反乱分子を粛清することも正当化される。
警察権(風紀委員)と検察権(生徒会執行部)が癒着し、一体化している状態。三権分立のチェック機能が働かないため、生徒会長の「気に入らない」という恣意的な感情一つで、一般生徒を拘束・尋問することが可能になってしまうのだ。
我々はこの暴走するリヴァイアサンを無効化し、学園に立憲主義を取り戻さなければならない。しかし、いかにして?
主人公が特殊能力に目覚めて生徒会長を殴り飛ばすという暴力革命は、アニメの世界なら正解だろうが、法治国家としては最終手段にしたい。暴力は新たな暴力を生み、結局は別の独裁者を生むだけだ。
そこで我々が参照すべきは、政治学者ジーン・シャープの著書『独裁体制から民主主義へ』である。ついこないだ「100分de名著」を見たから、すぐに頭に浮かんだのだ。
「独裁者の権力は、民衆の服従と協力の上に成り立っている。ゆえに、民衆が服従と協力を拒否すれば、権力は霧散する」とシャープは主張する。
アニメの生徒会が絶対的な権力を誇れるのは、全校生徒が彼らを「特別な存在」として扱い、その支配を受け入れているからに過ぎない。ならば、諸君のようなモブ生徒が取るべき手段は一つ。「徹底的な非暴力・非服従」である。
私はここに、明日から使える革命的戦術を提言しよう。
戦術A:悲鳴をあげない
生徒会長が廊下を歩くだけで生徒たちが左右に割れ、「キャー!会長ー!」と黄色い声を上げるシーンが散見される。これこそが独裁の源泉だ。明日からこれをやめろ。うるさい。
生徒会長がマントを翻して歩いてきても、モーセのアレのように道を開けてはならない。ただのクラスメイトとして接しよう。「無視」ではない。「特別扱いしない」のだ。恐怖も崇拝も向けられない独裁者は、ただの「偉そうな制服を着たイタい高校生」に成り下がる。この精神的脱構築こそが、体制崩壊の第一歩となる。
戦術B:スパムを送れ
生徒会の行政機能を麻痺させる、最も合法的な手段が「過剰な服従」である。
例えば、生徒会が「目安箱」を設置しているなら、全校生徒1000人で毎日一人10通の要望書を投函せよ。内容は「廊下の隅のホコリが気になる」「カラスが鳴いていて怖い」「購買のパンの袋が開けにくい」など、極めて些末かつ対処可能な案件にするのがコツだ。
これはシャープの言う「政治的柔術」の応用である。彼らが「生徒の声を聞く」と標榜している以上、彼らは1日1万通のどうでもいい要望書を無視できない。
生徒会執行部のリソースを、無意味な事務処理でパンクさせろ。彼らが書類の山に埋もれ、優雅に紅茶を飲む時間がなくなったとき、支配力は物理的に停止する。
戦術C:帰れ
生徒会主催のイベント、全校集会、あるいは「御前試合」のような決闘イベント。これらに対し、「誰も行かない」という選択を取る。
生徒会長が高笑いしながらステージに登場したとき、講堂に誰一人としていなかったらどうなるか。スポットライトの下、無人の客席に向かって演説することの虚無感に、思春期の精神は耐えられないはずだ。支配する対象がいなければ、支配は成立しない。
「帰宅」こそが最強のレジスタンスなのだ。放課後のチャイムと共に、全員が無言で即座に帰宅する。これほど残酷で、効果的な革命があるだろうか。
そして真に重要なのは、強大な権力に対しても、社会構造は変わるのだということを私たち一人ひとりが強く信じることである。立ち上がれ。
