おまけは大丈夫です
ハッピーセットのピカチュウは、私も欲しいな…って思ったよ。
でも大人は買えないと思ってた!!
…買えるんだ。
大人もハッピーセット買えるんだ。
欲しい…ピカチュウ欲しい。かわえぇ…
でも我慢だ。大人だから。夏休みの子どもたちのために、近所のマックのポケモンが売り切れませんように。
お盆中は一組につき3個までって制限がついていた。おまけ目当てで大人買いする大人のせいで大混乱である。知り合いの子どもは4人兄妹だから可哀想だな。おばちゃんが1個買ったろか?お昼ごはん家族でハンバーガー、最高やん!!(転売ヤー最低やん)
おまけ目当て
おまけ目当ての消費は今に始まったことではない。みんなおまけが大好きだ。私の実家は昔、田舎の小さな商店だった。おまけのシールだけ抜き取ったビックリマンチョコや野球ポテトチップスが店先のごみ箱に捨てられているのを見た母は、買いに来る子どもに「お菓子もちゃんと食べるんだよ!」などと説教して目を光らせていた。
このお盆中、私は飲食店の手伝いをしていたけれど、そこでもシールがもらえるメニューがあって、明らかにシール目当ての客がいた。お店としては代金を支払ってもらえれば食べようが残そうが捨てようがどうでもいい、というわけではない。きっとマックだって、ビックリマンチョコだって同じだと思う。
レジでお会計の時、小さい子どもが私に聞いた。
「どうしてシールくれたの?」
純真無垢な天使の問いに、私はこう答えた。
「オムライスをたべてくれたからだよ」
おまえは神か。
バーガー目当て?
フリマサイトを覗いてみると、ハッピーセットのポケモンがたくさん出品されている。しかもあんしん価格というか何というか、、転売ヤーではなさそうである。この人たちは何故わざわざハッピーセットを買ってポケモンを売るのだろうか?
仮に500円で売れたとしても、手数料と送料を引くと200円くらいの利益にしかならないのではないか。ハッピーセットは500円くらいだから、ハンバーガーとポテトとドリンクを300円で食べたことになって……お得、なのか??
ハッピーセットを買ってポケモンを売る、この人たちの中にはたぶん、多分だけど、
おまけはいらないけどどうしてもハッピーセットが食べたい
という大人がいるのである。
バレンタインデーに自分でチョコを買う男子が本当にただのチョコ好き説と同じだ。だからおまけ抜きで販売すればいい。
「ハッピーセット1つください。あ、おまけは要りません」
「はい、ハッピーセットのおまけ抜きですね。300円です」
おまけがついているからハッピーなのに、ハッピーセットのハッピー抜きは……セット。
いかん、私は疲れているのだ。ウルトラマンシールのせいでヘトヘトである。こうなったら、、
助けて!
アンパンマン!
あ、アンパンのあんこ抜きでお願いします!そうそう、端っこのパンの部分だけな。私あんこ嫌いだから。
おまけは大丈夫です
かく言う私も、読み終わった本をフリマサイトに出品しているのだが、そこにおまけをつけている。
おまけをつける理由は、同じ本がたくさん出品されている中で差別化する事と、『手作りのダサイおまけ』がついてくるという可笑しみ&自身の愉しみなのである。また、フリマサイトの中には悪い人も紛れている事を考えれば「私は決して怪しいものではありません」というアピールでもある。
そうすると、手作りのダサイおまけがつくことを面白がる人もいて、「届くのを楽しみにしてます」とか、「おまけもありがとうございました」という声もちらほら届き、それはそれで嬉しいものだ。
しかし先日、こんな取引メッセージが届いた。
初めまして、購入させていただきました。
贈り物にしたいので、おまけは付けなくて大丈夫です。
\お ま け は 付 け な く て 大 丈 夫 で す/
これは・・・
今年の10大ニュース2025にランクインするであろう。手作りのダサイおまけつきの可笑しみを上回る、満点大笑い案件なのである。
数多ある同じ本の中から、なぜ私のおまけつきを選び、そのおまけを辞退するという行動に至ったのか。この面白すぎる展開に、早速その画面をスクショして娘にLINEで送った。なぜならその本は娘から
「これ今人気だからきっと売れるよ」
と貰ったものだったからだ。そう言うからにはと強気の価格設定にしたが、本当にすぐに売れたのである。おまけなど無用の長物ということだ。
いや、もしかしたらもしかだけど、おまけを付けたことによって『おまけを辞退する』という新しい付加価値を提供していたのか? そういや私だって、行きたくない飲み会でも誘われたい。そして断りたい。
娘からは「ちーーん」というご臨終スタンプがきたので、白目スタンプを返しておいた。
*
【私にとっておまけとは】
おまけはおまけであり、それ以上でもそれ以下でもない。
あぁそうだ。
大切なのは、これからもおまけは只のおまけであり続けることなのだ。
私は静かに本を閉じ、冷めたコーヒーを飲み干した。
2025年8月
台湾便を待つ空港のロビーで
