[GO→ST通信電子版まとめ記事]「1980年代の鈴木さえ子」
GO→ST通信電子版のまとめ記事を書きたいとずっと考えてました。 それはスマホを紛失したことなどがありまして、昔書いた記事について加筆修正ができない状態が何年も続いてしまってました。
特に「1980年代の鈴木さえ子」については何年もかけて、紙資料やCDを色々と入手できて、なんとか加筆修正したいな、と。
知らない間にwikipediaにリンクが貼られていたり、さえ子さんが読んでくださったり(しかもジャック達に加入したからではないらしい)と、一日も早くなんとかしたかったのですが、私の事情で先延ばしになってました。
2025年7月7日は『緑の法則』コンサート(at日本青年館)からちょうど40周年ということもありまして、なんとか形にしたいと、ようやく実行に移せました。
なお、紹介しているCDおよび雑誌は私所有のものでして、その選択には意味があるのですが、そのことに関しては後ほどまとめます。
前置きが少し長くなりましたが、それではしばらくお付き合いください。
・シネマ加入〜シネマ解散〜フィルムス加入
鈴木さえ子さんはシネマ加入前にはメドゥーサさやベアトリーチェというバンドに参加していたのですが、ベアトリーチェ時代、「DELUXEプレイボーイ」にインタヴューが掲載されています。
それによりますと、当時の夢は「アメリカのライブ・スポットでセッションすること」でした。
この後、シネマに加入するわけです。

・「DELUXEプレイボーイ 1980 SPRING」(集英社)
シネマのデビュー・シングル「グッバイ・ハートブレイク」とカップリングの「電話・電話・電話」(この曲は林美雄さんのパックインミュージック「ユアヒットしないパレード」にチャート・インしたとか)にはさえ子さんは参加していないのですが、それはまだシネマ加入前に録音された作品だからなんですね。
ちなみにベースも一色進さんではないんです。
ベースは中谷宏道さん、ドラムスは浜田文夫さんというPANTA&HALのリズム隊が参加してます。
これは一色さんが入院していたり、様々な理由があったので、プロデューサーの鈴木慶一さんの判断だと思います。
つまりPANTA&HALのプロデューサーも慶一さんだったからなんですが、PANTA&HALのレコーディングを見学しに行ったさえ子さんをシネマのドラマーに推薦したのも慶一さんだと伝えられています。
シネマはセカンド・シングルに「君のプリズナー」を録音するのですが、宮崎美子さん出演のCM曲ということもあって、作詞は糸井重里さん、作曲は慶一さんという斉藤哲夫さん「いまのキミはピカピカにひかって」のコンビによる作品なのでした。
このCMヴァージョンは後に『鈴木慶一 CM WORKS ON・アソシエイツ・イヤーズ』に収録されますが、レコード化されたものよりテンポが少しゆっくりめになっています。
CM自体はYouTubeにアップされてますから、興味ある方は探してみてください。
宮崎さんの切ない表情が素晴らしいです。
ちなみに同CDにはシネマが参加した楽曲がもう一曲収録されています。
石川ひとみさんをフィーチャーしたサントリーポップ「エメラルドシャワー」’81で石川さん、慶一さん、シネマ名義になっていますね。
おそらくこの曲のコーラスが慶一さんとシネマで、演奏はシネマと推測できます。
ムーンライダーズは慶一さん抜きで堀内孝雄さんなどのツアーに回っていた時期なので、シネマや(PANTA&)HALを起用したこともあったと推測しております。

・シネマ「君のプリズナー」 石川ひとみ、鈴木慶一、シネマ『エメラルドシャワー ’81」from 『鈴木慶一 CM WORKS ON・アソシエイツ・イヤーズ』(CDSOL-1194/ソリッドレコード)
アルバム『MOTION PICTURE』では、さえ子さんはドラムスのみならずコーラスでも大活躍していて、特に「HOTEL」ではほぼ松尾さんとのデュエットを披露しています。
サード・シングルの「雨のチャイナタウン」とカップリングの「おかしなレディ・キラー」ではヴォーカルのソロ・パートを担当しています。

・シネマ『ゴールデン・ベスト』(MHCL-823〜4/ソニーミュージック)
Disc 1 アルバム『MOTION PICTURE』&シングル「雨のチャイナタウン」「おかしなレディ・キラー」を収録
Disc 2 未発表のデモ、ライヴ、CM音源を収録、2006年リマスタリング
慶一さんがバラエティ(角川書店)に連載していた「2001 Bock‘n‘ Roll Club」に松尾さんとさえ子さんがシネマとして登場したのは1981年8月号でした。
同連載に大滝詠一さんが登場した回(1981年5月号)では、大滝さんがシネマのリハーサルを見学したことが話題になっています。
松尾さんの発言には当時台頭してきためんたいロック勢(シーナ&ロケッツやEX)についてなど触れています。

・「バラエティ 1981年8月号」(角川書店)
鈴木慶一連載「2001 Bock’n’ Roll Club」
ゲスト シネマ(松尾清憲&鈴木さえ子)
アルバムとシングルを発表したものの、ギターの中原安弘さんとベースの一色さんがバンドを離れていきます。
ということで、ギターのサポートには鈴木智文さんや錦織幸也さん、ベースには奈良俊博さんがサポートをすることになりました。
智文さんは8 1/2〜フィルムスのメンバーで、後にポータブル・ロックを結成します。
錦織さんは小滝さんの紹介でサポートをすることになり、後にタイツやヴァリエテに参加しますね。
奈良さんはサンハウスからEXに参加した所謂めんたいロックの代表的ベーシストだったのです。
「バラエティ」の対談によると、松尾さんとは旧知の仲だったのではないでしょうか。
サポート・メンバーを加えてライヴ活動を続けたものの、1981年10月の新宿ロフトのライヴでシネマは解散してしまうのでした。
さえ子さんはセッション・ドラマーとして活動しつつ、1982年にはフィルムスに加入します。
1980年にコロムビアからデビューしたフィルムスはメンバーの交代が激しいバンドで、YENレーベルからアルバムをリリースするということで、リーダーの赤城忠治さん、ベースの中原信雄さん、キーボードの後藤信夫さん以外のメンバーが交代することになったのでした。
ドラムスにはさえ子さん、キーボード(!)には智文さん、ギターには小松世周(後のブラボー小松)さんという親編成になったわけです。
当時、YENレーベルからリリースする予定があったアーティストにはサロン・ミュージックもいたそうですから、予定通りに作品を発表していたらどうなっていたのか想像してしまいます。
当時の雑誌にフィルムスは登場していて、「GORO 1982年No.13」(小学館)ではタンゴ・ヨーロッパやゲルニカなどとモノクロ・グラビアに掲載されてますし、「ミュージック・ステディ」にも小さくですが取り上げられています。
フィルムスが当時制作したデモ・テープは「ミュージック・ステディ」の市川清師編集長が1982年のMY FAVORITE RECORDに選出したのですが、様々な問題でリリースされなかったのでした。
21世紀に入って、そのデモ・テープらしき音源がCD化されると告知されたのですが、現在に至るまで発売されていません。
1980年代半ばにはドラムスに友田真吾さん、ベースに平賀淳一さん、キーボードは米田克哉さん(後に赤城さんとクレヴァー・ラビットを結成)などが参加して活動を再開しますが、かつてのメンバーは赤城忠治さんのみでした。
そして、1999年のイベント「DRIVE TO 2000」に歴代のメンバーが参加する形で再結成して出演しています。

・「GORO 1982年JUN.24 No.13」(小学館)
いまニューウェーブは女の時代
ゲルニカ+フィルムス+タンゴ・ヨーロッパ
・セッション・プレイヤー(主にドラマー)としての鈴木さえ子
シネマ加入前からさえ子さんはセッション・ドラマーとして活動していたのですが、シネマ加入後は慶一さんプロデュース作品にも参加するようになります。
まず野宮真貴さん「ピンクの心」はそのひとつで、野宮さんのデビュー曲である「女ともだち」はおそらくさえ子さんによるものだと思います。
先ほど挙げた『鈴木慶一 CM WORKS ON・アソシエイツ・イヤーズ』に収録されたヴァージョンの方でそう判断しました。
確実にさえ子さんのプレイだと断言できるのは松尾さん作曲の「美少年」です。
「ピンクの心」には曲ごとのクレジットがないので、あくまでも推測にすぎないのですが。

・野宮真貴『ピンクの心』(VICL-70095/ビクター)
SHMCD、ボーナス・トラックにライヴ2曲収録、2010年リマスタリング
杏里さんの『哀しみの孔雀』は曲ごとのクレジットが掲載されているので、このアルバムに参加したかしぶち哲郎さんとの個性の違いがよりわかるんですねぇ。
シングル・カットされた「エスプレッソで眠れない」、松尾さん作曲の「ヘッドライト」に「シルエット・オブ・ロマンス」にベースが奈良さんの「いつの日かHappy End」に参加しています。

・杏里『哀しみの孔雀』(FLCF-5035/フォーライフ)
BSCD2、紙ジャケット仕様、ボーナストラック1曲収録、2011年リマスタリング
だいたいここまではシネマが活動していた時期のセッションだと推測できます。
ザ・スクーターズの名曲「東京ディスコナイト」をシングル・カットするにあたって、慶一さん編曲で再レコーディングしていますが、それにもさえ子さんは参加しています。
ちなみにアルバム・ヴァージョンの編曲は(信藤三雄さんと共同作曲者でもある)村松邦男さんでした。
人気曲なので様々なオムニバス盤に収録されてますから、入手しやすい曲であります。

・ザ・スクーターズ「東京ディスコナイト(シングル・ヴァージョン)」from 『SCOOTERS COMPLETE COLLECTION』(CDSOL-1076/ソリッドレコード)
紙ジャケット仕様
1982年にはビートたけしさん『オレに歌わせろ』にも参加しているみたいですね。
リアル•フィッシュ『遊星箱』のさえ子さんインタビューによりますと、担当のディレクター小池清彦さんの指名みたいですね。
小池さんは元カシオペア、杉真理&レッド•ストライプスのメンバーであり、ビクター小池としてビートたけしさんファンの間では知られた存在なのです。
PANTAさん『唇にスパーク』にも参加していて、伊藤銀次さん編曲の「P-WAVE」は間違いなくさえ子さんのプレイだと思います。
もしかしたら「双子座にジェラシー」もそうかもしれませんが、こちらは自信がないです。
銀次さんが他のアーティストを編曲する時のファースト・コールはギター白井良明さん、キーボード岡田徹さん、ベース奈良俊博さんにドラムスは上原裕さんらしいのですが、上原さんではなくさえ子さんが参加しているのでは?と推測してます。
割とムーンライダーズ周辺の方々に奈良さんとさえ子さんの後期シネマのリズム・セクションなのがちょっと意外だけど素晴らしい組み合わせです(ちなみに先行シングル「レーザーショック」はEXの羽山伸也さんだとか)。

•PANTA『唇にスパーク』(HYCA-4011/HAYABUSA LANDINGS)
紙ジャケット仕様、2007年リマスタリング
1982年5月5日の「ヘンタイよい子集会」にはヘンタイよい子バンドのメンバーとして参加しました。
メンバーは忌野清志郎さん、坂本龍一さん、矢野顕子さん、仲井戸麗市さんに永田純さんにさえ子さんというスーパー・バンドで、この流れもあったのか、忌野清志郎さんと坂本龍一さんの「いけないルージュマジック」のテレビ出演の際もドラムスを担当しています。
プラスチックスを解散した立花ハジメさんのソロ・プロジェクト“H”に参加し始めたのもこの時期で、Hに坂本龍一さんが加わるとB2-UNITSになるのが、いかにも当時の流れですね。
ハジメさんはYENレーベルから『H』と『Hm』のアルバム2枚をリリーフしてますし、クリスマス・アルバム『WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS』に「WHITE AND WHITE」で参加しています。
この曲にもさえ子さんはマリンバで参加していますね。

・立花ハジメ「WHITE AND WHITE」from 『WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS』(MHCL-668/ソニーミュージック)
紙ジャケット仕様、2005年リマスタリング
1983年にさえ子さんはソロ・デビューするわけなんですが、レーベル・メイトになる大貫妙子さんのアルバム『SINIFIIE』に参加します。
このアルバムは複数のアレンジャーが参加していて、慶一さんが編曲した「アーニャ」でさえ子さんはドラムスを担当しました。
大貫さんの数少ないインスト・ナンバーのためか、どこかリアル・フィッシュを連想させる仕上がりになっています。
その後、大貫さんのコンサートやNHK FMのスタジオ・ライヴにもドラムスで参加しました。

・大貫妙子「アーニャ」from 『SINIFIIE』(MHCL 10152/ソニーミュージック)
ワイドケース仕様、2021年リマスタリング
さえ子さんのドラム・プレイをテレビで見かけた泉谷しげるさんと吉田建さんが新しいプロジェクトに誘ったのもこの時期のはずです。
それまでのバンドBANANAはドラムスの正木五郎さんが、アバンギャルドな方向に向かう泉谷さんと吉田建さんについて行けないと宣言して離れたり(平行して参加していたボイス&リズムのデビューが近づいたこともあるかも)、キーボードの中西康晴さんも多忙のためこれまた離れていきました。
そんな中で現れたのがさえ子さんでした。
泉谷さんのバンドにはサックス矢口博康さんとキーボード福原まりさんがリアル・フィッシュから参加して、BANANA時代とは一味違ったサウンドを展開することになります。
そんな中でさえ子さんと矢口さんが初めてレコーディングに参加したのがアルバム『39°8‘』です。

・泉谷しげる『39°8‘』(UPCY-6985/ユニバーサルミュージック)
2015年リマスタリング、ボーナストラック収録
このアルバムではさえ子さんはドラムスのみならず、キーボードにコーラスを担当。
鈴木慶一さんや武川雅寛さんに白井良明さん、岡田徹さんも参加してますから、ムーンライダーズの半分以上の方々が参加していますし、東京マザーズとの関係を考えると重要なアルバムですね。
その直後に発表されたライヴ・アルバムが『REAL TIME』です。
『39°8‘』の発売記念コンサートを収録したものですが、スタジオ・ヴァージョンよりこなれた仕上がりになっていますね。
今回、紹介したCDは初CD化の際、楽曲とMCが大幅にカットされたものを内容とブックレットをオリジナルの形に戻したものです。

・泉谷しげる『REAL TIME』(UPCY-6986/ユニバーサルミュージック)
2015年リマスマリング
このアルバムでのバンド名は2019Replicantsとなってますが、正式に名乗ったものではない模様です。
1985年のライヴ『エレベーターショック』(後に『EVIL LIVE』としてヴィデオ化される)を最後に泉谷さんの吉田建さんとのプロジェクトは一区切りを迎えました。
その時期、かしぶち哲郎さん『リラのホテル』コンサート、オムニバス・アルバム『陽気な若き水族館員たち』収録のポータブル・ロック「クリケット」などで演奏に参加しています。
1983年といえばさえ子さんがソロ・デビューした年なのでした。

・ポータブル・ロック「クリケット」from『陽気な若き水族館員たち』(TKCA-72866/徳間ジャパン)
紙ジャケット仕様、ボーナス・トラック3曲収録、2005年リマスタリング
・PSYCHO PERCHES結成〜鈴木さえ子ソロ・デビューへ
慶一さんとさえ子さんは共同作業をする今で言うところのユニット、当時は便宜的にバンドを名乗っていたようですが、PSYCHO PERCHESを結成します。
名前の由来はさえ子→PSYCHO、鈴木→(魚の)スズキ→PERCHEということからでした。
PSYCHO PERCHESは後に慶一さんとさえ子さんのユニットから矢口博康さん、渡辺等さんを加えたチームの名称へと変化していくのですが、それは少し後の話になります。
PSYCHO PERCHESはレコーディングを開始するのですが、慶一さんとさえ子さんはマルチ・プレイヤーであるのと、サンプリング・キーボードの元祖的存在のイミュレーターを導入したことで、殆どを2人だけで録音することができたのでした。
ただ、レコーディングが進むうちにやはり生音とは質感が違うということで、最小限のサポートをしてもらうことにはなりましたが。
そして、PSYCHO PERCHESでのデビューを目論んだものの、当時の契約上の問題でさえ子さんのソロ・デビューという形になったのです。
RVCレコードの女性アーティストが多数所属したディア・ハート・レーベルからのリリースとなったわけですが、そこには大貫妙子さんとEPOさんが所属していたことが、後のさえ子さんの活動にも大きく影響するのでした。
ちなみに同レーベルには越美晴(コシミハル)さんも所属する予定でレーベル・サンプラーには作品が収録されましたが、後にYENレーベルに参加したためディア・ハートには所属しなかったことになります。
1983年7月21日にアルバム『毎日がクリスマスだったら・・・』で、さえ子さんはソロ・デビューしたのでした。
坂本龍一さんのB2-UNITSや立花ハジメさんのH,泉谷しげるさんのバンドにさえ子さんがドラマーとして参加していた時期でしたから、FM誌(当時かなり有効なメディアだったことをここで強調しておきます)や音楽誌以外にも取り上げられています。
ちなみにこのアルバムが初CD化された際(1991年8月2日)、(おそらく)手違いで一曲目の「夜のウイウイ」のイントロがカットされたものが発売されてしまいました(BMGビクター/BVCR-5019)。

・鈴木さえ子『毎日がクリスマスだったら・・・』(BRIDGE088/BRIDGE)
紙ジャケット仕様、2007年リマスタリング
アルバム発売直後の7月28日には青山タワーホールで、リアル・フィッシュにムーンライダーズから慶一さん、鈴木博文さん、武川雅寛さんを加えた編成でファースト・ソロ・コンサートを開催しています。
既にこの時点で大編成によるライヴ構想があって、実現する方向になっていたことが伺えますね。
そして、プロモーション・オンリーでシングル盤が制作されましたが、カップリングは「蒸気がある街」と、後に市販されたものとはカップリング曲違いでした。
アルバム発売が夏だったこともあってか、タイトル曲「I wish it could be Christmas everyday」がシングル・カットされたのは11月21日と少し先になるのでした。
ちなみに市販されたシングルのカップリング曲は「フィラデルフィア」です。

・鈴木さえ子「毎日がクリスマスだったら・・・」(RAS-516/RVC dear heart)
当時掲載された雑誌は慶一さん連載「K1の胸キュンシリーズ」が「バラエティ」(角川書店)1983年9月号、「GORO」は19号9月22日号の「MUSIC STREET」、「平凡パンチ」(マガジンハウス)1983年10/17号です。
「バラエティ」には途中から立花ハジメさんが登場。
「GORO」の「MUSIC STREET」は中原めいこさんと白井貴子さんの三人で取り上げられてます。
「平凡パンチ」は日笠雅子(雅水)さんが文章を担当。

“「バラエティ 1983年9月号」(角川書店)
鈴木慶一連載「K1の“胸キュン“シリーズ」
ゲスト 鈴木さえ子 特別ゲスト 立花ハジメ

・「GORO 1983 NO.19 SEP.22」

・「平凡パンチ 1983年10/17号」(マガジンハウス)
1983年には『陽気な若き水族館員たち』がリリースされたこともあって、周辺のミュージシャン(特にリアル・フィッシュ)との交流が深まったことが、さえ子さんの翌1984年(勿論、それ以降も)の活動に多大な影響をもたらずのでした。
1984年に入りますと、文化放送のレギュラー番組「サウンド・キッチン」がスタートします。
番組で使われたテーマ曲が印象的だなと思いながら聴いていましたが、それがなんだったかわかったのはもう少しだけ後の話でした。
6月5日には先行シングル「恋する惑星」がリリースされました。
作詞は佐伯健三(サエキけんぞう)さんで、大貫妙子さんがコーラスに、リアル・フィッシュのメンバーが演奏に参加したポップな仕上がりに感動した記憶があります。

・鈴木さえ子「恋する惑星」(RAS-524/RVC dear heart)
この曲には当時としては珍しかったプロモーション・ヴィデオが存在していて、立花ハジメさんがディレクションしています。
私の記憶ではシングル盤ではイントロがエディットされていたように思いますが、確認できた段階で更新します。
6月21日にはアルバム『科学と神秘』がリリースされました。
アート・ディレクションはシングル「恋する惑星」(プロモーション・ヴィデオも含む)立花ハジメさんが担当してます。

・鈴木さえ子『科学と神秘」(BRIDGE089/BRIDGE)
紙ジャケット仕様、2007年リマスタリング
このアルバムには慶一さんは参加していますが、ムーンライダーズのアルバム『アマチュア・アカデミー』のレコーディングと時期的に重なったこともあり前作ほど濃密に参加できかったのでした。
それもあってか、リアル・フィッシュのメンバーや立花ハジメさん、大貫妙子さんが参加して、新しい魅力を引き出すことに成功しました。
特に福原まりさん作品の「魔法の国」と「天国の螺旋階段」を取り上げたことは、リアル・フィッシュのファンを公言しているさえ子さんにとっても重要なことでしょう。

•Real Fish『遊星箱』(BRIDE-103〜107/BRIDE)
鈴木さえ子インタビュー掲載ブックレット
このボックス•セットのブックレットにはさえ子さんインタビューが掲載されていて、リアル•フィッシュのメンバーとの出会いや楽曲を取り上げるまでの経緯が詳しく書かれているので、ファン必読の内容です。
さえ子さんがビクター仕事が多かったのはビートたけしさんや岡本舞子さんを担当していた小池清彦さんからということに触れているのがとにかく興味深いです。
そして、「サウンド・キッチン」のテーマ曲はと「おかしなフェリーボート」のイントロだったことに気づいたりのでした。
ちなみに発売記念コンサートはPSYCHO PERCHES+リアル・フィッシュ+中原信雄(from ポータブル・ロック)という顔ぶれでした。
このアルバムのプロモーションでPSYCHO PERCHES(?)は「11PM」木曜に出演しています。
放送された「血を吸うカメラ」はドラムス、「フィラデルフィア」ではマリンバ&パーカッションからドラムスに移動する形でした(ちなみに慶一さんは両曲でギター)。
雑誌では「GORO1984年No.18」(小学館)にPSYCHO PERCHESで登場。
ムーンライダーズのアルバム『アマチュア・アカデミー』(8月21日発売)のプロモーションも兼ねた形で、同時期の「FMレコパル」も同じ組み合わせでの記事でした。
「バラエティ1984年9月号」には慶一さん連載「K1の胸キュンシリーズ」にさえ子さんが登場しています。

・「GORO 1984年No.18」(小学館)

・「バラエティ1984年9月号」(角川書店)
鈴木慶一連載「K1の"胸キュン”シリーズ」
ゲスト鈴木さえ子
そして、アルバム発売から7年後には雑誌「POP IND‘S」最終号のピチカートファイヴ特集で、小西康陽さんがこのアルバムを絶賛しています。
「僕はムーンライダーズ系の人たちって好きじゃないんだけど、このレコードだけは感激した。ピチカートを結成した時期に聴いて、高浪くんと『真似しないようにしよう』と言った覚えがある」とコメントしています。興味深い発言ですね。
ちなみに結成当時のピチカート・ファイヴのデモ・テープを聴いた慶一さんが「ポータブル・ロックに似すぎている」と評したとか。

・「POP IND’S vol.7[no.08]」(スイッチ・コーポレーション)
・セッション・プレイヤー、コンポーザー、アレンジャー&観光地楽団のメンバとしての鈴木さえ子
1984年くらいからさえ子さんはセッション・プレイヤーのみならず、アレンジャーや作曲の仕事が増えてきています。
CM仕事もおそらくこの時期からのはずです。
リスト化されたものはあることはありますが、どうしても不明な部分が多いので、この件に関してご存知の方はご教示お願いします。
1984年には徳丸純子さんのセカンド・アルバム『青のないパレット』に参加します。
実質的に清水信之さんプロデュース作品で、作家として大貫妙子さんや村松邦男さんが参加しています。
「ガラスの靴はいらない」でドラムスを担当していることが判明しています。
発売元のTDKレコードが販売権の移転が激しかったからなのか、マスター・テープの所在が不明のため、オリジナル・アルバムの復刻はままならず、徳丸さんで現在唯一入手可能な『ゴールデン・ベスト』はレコード盤から起こした形でのリリした。
1984年にはレーベル・メイトになったEPOさんのアルバム『HI・TOUCH-HI・TECH』収録曲「RADIO DEAR HEART」でシモンズ(当時の電子ドラム、六角形)を担当してます。
元々はラジオ番組用の楽曲だったものをレーベルのイメージ・ソングせにした感じですかね。

・EPO『HI・TECH-HI・TOUCH』(MHCL30028/ソニーミュージック)
BSCD2、ワイド・ケース、2015年リマスタリング
同年には当時一部で流行していたカセット・ブックで矢口博康さんを中心にした観光地楽団というバンドで作品を初秋にリリースしています。
メンバーはサックス、ヴォーカルに矢口博康さん、ドラムスさえ子さん、キーボード小滝満さん、ベース中原信雄さん、バイオリン美尾洋乃さん、ギター白井良明さんでした。
冬樹社から発売されたのですが、同時期にムーンライダーズ『マニア・マニエラ』、細野晴臣さん『花に水』などのラインナップでした。
1984年12月18日には観光地楽団とムーンライダーズのジョイント・コンサートが行われ、交互に演奏する斬新な演出だったそうです(この日の観光地楽団のギターは鈴木智文さんが担当)。
ムーンライダーズのライヴ・アンソロジー・アルバム『THE WORST OF MOONRIDERS』にはその日の公演から共同演奏の「男と女のいる舗道」が収録されました。
後にBRIDGEからカセット部分のみ(ブックレットは抜粋されて収録)CD化されました。

・矢口博康『観光地楽団』(EGD-11/BRIDGE)

・ムーンライダーズ+観光地楽団「男と女のいる舗道」from 『THE WORST OF MOONRIDERS』(PCCA-01857/ポニーキャニオン)
紙ジャケット仕様、2003年リマスタリング
その他、松田聖子さんに細野晴臣さんが楽曲を提供した際、「天国のキッス」ではピアノを「ガラスの林檎」ではドラムスを担当したとの記事を読んだ記憶がありますが、詳細は不明です。すみません。
1986年に入ると、さえ子さんはアレンジの仕事が入ってくるようになります(1985年は個人的理由で音楽や雑誌のチェックがほとんどできなかったのでした、すみません)。
当時の雑誌によりますと、当初はさえ子さんにオファーがあったそうですが、結成以来ムーンライダーズ・オフィス所属だったポータブル・ロックに譲る形で、コーセー化粧品春のキャンペーン・ソングを担当することになったのです。
その曲「春して、恋して、見つめて、キスして」は作詞が慶一さんとさえ子さん、作曲と編曲をさえ子さんが担当しました。
この曲を制作するにあたって、さえ子さんは彼らのメジャー・ファースト・アルバム『QT』を何度も聴いて研究したとのことです。

・ポータブル・ロック「春して、恋して、見つめて、キスして」from 『QT』(LHAC-7001/LOST HOUSE ARCHIVE CLUB)
紙ジャケット仕様、ボーナス・トラック「春して、恋して、見つめて、キスして」収録、2006年リマスタリング
この『QT』はオリジナル・ジャケットなんですが、後に発売されたシングル「春して、恋して、見つめて、キスして」が追加収録された『QT+1』というLP(CDも)が存在しまして、新しいジャケットでリリースされました。
この2006年の再発は『QT』のジャケットで「春して、恋して、見つめて、キスして」をボーナス・トラックとして最後の曲で収録している珍しい形での再発になります。
1986年春にリリースされた大貫妙子さん「カミング・スーン』にさえ子さんはプレイヤー、アレンジャーとして参加しています。
大貫さんとはコンサートやNHK FMのスタジオで既にサポートをしていましたが、このアルバムではプレイヤーとしてだけではなく、アレンジャーとしても参加しています。
この『カミング・スーン』はどうやらオリジナル・アルバム扱いのようですが、過去のアルバムからの楽曲が収録されていたり、アナログ盤の初回盤には絵本が付属していたり、CDのみ収録の楽曲が存在したりと企画色が強いアルバムなのでした。
さえ子さんは大村憲司さん編曲「チェッカーくん」ではフェアライトCMIを演奏して、新曲の「お天気いい日」では編曲を担当し、演奏にも参加しています。
フェアライトCMIはアルバム『緑の法則』で導入したサンプリング・キーボードで、導入してから音楽制作が変わってしまった位に重要な役割を果たしていますね。

・大貫妙子「チェッカーくん」『お天気いい日」from『カミング・スーン』(MDC7-1013/MIDI)
ちなみにこのアルバム、2019年にアナログ盤ではリマスタリング盤がリリースされましたが、2014年の紙ジャケット再発からも漏れてしまってリマスター盤は発売されていない模様なのが残念です(現行盤はこのCD番号で、現在でも入手可能です)。
1986年夏にはEPOさんのアルバム『パンプ!パンプ!』収録曲「アレイ・キャッツ」の編曲を担当しました。
さえ子さんとギター窪田晴男さん、サックス矢口博康さんという顔ぶれで、後にシングル・カットされた際にはアルバム・ヴァージョンでフェアライトCMIだったリズム・パートがベース小原礼さん、ドラムスはスティーブ・ジャンセンという同年の高橋幸宏さんツアーのリズム隊に差し替えています。
さえ子さんがアレンジャーとしてシングル・チャート・インしたのはこの「アレイ・キャッツ」が初めてだったとラジオ番組「HEART ROCK QUEEN」で語っていました。
『パンプ!パンプ!』の2013年紙ジャケット再発ではボーナス・トラックとして、「アレイ・キャッツ」のシングル・ヴァージョンが収録されました。

・EPO「アレイ・キャッツ」(アルバム&シングル・ヴァージョン) from 『パンプ!パンプ!』(MDCL-5012/MIDI)
紙ジャケット仕様、2013年リマスタリング
現在、朝のテレビ・ドラマの音楽を担当していることで注目の野見祐二さんのソロ・プロジェクト、おしゃれテレビにドラム・アレンジで、さえ子さんは参加しています。

・『おしゃれテレビ』(MDCL-1343/MIDI)
再発盤
同年9月にはビクターの人気シリーズ「ファンタスティックワールドの『アクマくん魔法・SWEET』に「Misty 50」と「少年よ、天使をめざせ」を曲提供し、キーボードとコーラスでも参加しているとクレジットにあります(楽曲ごとではなく、アルバム全体での)。
ちなみに矢口博康さんがこれらの曲で編曲を担当されてます。
「Misty 50」にはナレーションが被さっているのですが、声優の塩沢兼人さんが担当されてますね。
「Misty 50(reprise)」はナレーションがない構成なので、楽曲自体の魅力はこちらの方がよりわかりますし、この曲のコーラスはさえ子さん自身だと思います。

・「Misty 50」「少年よ、天使をめざせ」「Misty 50」from 日渡早紀『アクマくん魔法・SWEET』(VDR-1257/ビクター)
そして、1986年12月にはムーンライダーズ『DON’T TRUST OVER 30』ツアーのエレクトリック・パートに出演してます。
スーパームーンライダーズ(ベース中原信雄さん、エレクトリック・パーカッション金津宏さん、ドラムス石坪信也さんにコーラス野宮真貴さん、濵田理恵さん、本間哲子さんが加わった編成)に更に加わったわけですから、演奏は圧巻でした。
PANTAさんが新宿ロフトで開催したシリーズ・ライヴ「PANTA風雲録」も1986年12月の出来事です。
ボブ・ディラン「雨の日の女」などの日本語カヴァーなどを披露しました。
1987年秋には(通称)ハードロック・ツアーを名古屋、神戸、大阪で開催してます。
アマチュア時代からの知り合いであるベース七田康治さん、ドラムス西山喜治さん(PANTAさんのサポートを長らくしていらした方です)、ギター大槻弘之さんに慶一さんとさえ子さんが参加しました。
東京公演がなかったので、雑誌「Chart」のレポートを読んだだけですね。

・「Chart 04」(switch)
ハードロック・ツアーのレポート掲載
その少し前になる時期には(渚十吾名義で活動された)黒田日出良さんが野田幹子さんや渡辺美奈代さんの担当ディレクターに就任して、岡田徹さんや慶一さんをプロデューサーとしたからなのか、さえ子さんが楽曲提供をしています。
渡辺美奈代さんには慶一さんプロデュースのアルバム『My Boy 歌え太陽』には「ガラスの一秒」で作曲と編曲を(作詞は滋田美佳世さん)。
アルバム『恋してると、いいね』では「ウソよ!」の作曲(渚十吾さんと共同名義)を担当してます。

・渡辺美奈代「ガラスの一秒」from『My Boy 歌え!太陽』(32DH 5099/CBSソニー)

・渡辺美奈代「ウソよ!」from 『恋してると、いいね』(32DH 5193/CBSソニー)
野田幹子さんにはかしぶち哲郎さんプロデュースのシングル「哀しみのダンス」のカップリング曲「WITH」を作曲(渚十吾さんと共同名義)していますね。
この『Smile』は野田さんのシングル・コレクションCDです。

・野田幹子「WITH」from 『Smile』(SRCL 2726/ソニーレコード)
そして、ほぼ同時期には渡辺満里奈さんにも曲提供してますね。
人気アルバム『EVERGREEN』収録曲「鏡の国のI Love You」です。
作詞は沢ちひろさん、編曲は山川恵津子さんです。
同年冬にリリースされたミニ・アルバム『CHRISTMAS TALES』に「水面のフォーレスト」を提供しています。
作詞は川村真澄さん、編曲は門倉聡さんです。
門倉さんはこの年のさえ子さんのツアーに参加したり、ポータブル・ロックのライヴのサポートをしていた時期でした。
この辺の曲発注は美奈代さんのシングルが発売された後なのかな?その時期について興味があります。
ディレクターは篠崎惠子さんなのか?とか、満里奈さん作品についてはもう少し調べます。

・渡辺満里奈「鏡の国のI Love You」from 『EVERGREEN』(32・8H-133/EPICソニー)

・渡辺満里奈「水面のフォーレスト」from 『CHRISTMAS TALES』(28・8H-156/EPICソニー)
1988年4月には前年の『STAGE ROMANTIC』ツアーに参加した北川晴美さんがソロ・デビューしました。
北川さんが参加していたプリシィ・タンのライヴのサポートをさえ子さんがしていたことがあったり、東京マザーズの一員でもあったわけですから、かなり注目されていましたね。
プロデュースは矢口博康さん。
門倉聡さん、渡辺等さん、石坪信也さんに、当時アーバン・ダンスの(活動休止前のリアル・フィッシュのサポート・メンバーでもあった)寺谷誠一さんが参加(ちなみに編曲の名義は矢口さん含めた方々の共同名義)した作品です。
さえ子さんは収録曲「MAKE ME UP」と「霧色の埠頭」の作曲を担当しています。
前者の作詞は北川さんご自身で、後者の作詞は滋田みかよさんでした。

・北川晴美「MAKE ME UP」「霧色の埠頭」 from 『FATIMA DANCING』(MED-34/メルダック)
さえ子さんはイメージ・アルバム『ファンシィダンス』の赤城忠治さん参加部分にドラムスで参加していますが、ベースには中原信雄さん、キーボードには米田克哉さんと新旧フィルムスの顔ぶれなんですよね。
フィルムス〜クレヴァー・ラビットへの架け橋というのにふさわしいラインナップだと思います。
フィルムスの1999年「DRIVE TO 2000」への布石だったのでは?とかついつい考えてしまいました。

・赤城忠治「Fancy Dance」「Marcury Impulse」from 『ファンシィダンス -デラックス・エディション』(BRIDGE293/4 BRIDGE)
紙ジャケット仕様、ボーナス・ディスク収録、2020年リマスタリング
手塚眞さんと赤城忠治さんの組み合わせといえば、つい「星くず兄弟の伝説」を連想してしまうのですが、後に「星くず兄弟の新たな伝説」が実現したのも興味深いです。
メンバーが複数集まることが後々の再結成の布石になることは割とありますが、タイツの「ハロウィン」もそんな感じだったと思います。
タイツの代表曲である「ハロウィン」にシネマのメンバーだった松尾清憲さんとさえ子さんが参加したのも1988年なのは偶然にしてもよくできた話だと思います。
アルバム『ラジオ・デリカテッセン』は滋田美佳世さんが脱退後初めての作品です。
スクリーンの宮崎裕二さんがギターで加わった新しいタイツはより骨太になった印象でしたが、このアルバムで一番華やかな印象だったのが「ハロウィン」でした。
当時、ミニコミ誌の「IND’S No.19」にレコーディングのレポートが掲載されたのですが、メンバー勢揃いの写真掲載だけでワクワクした記憶があります。
しかもライヴで何度も聴いた「ハロウィン」に松尾さんとさえ子さんが参加するとは!と思った私です。

・「IND“S No.19」(switch)
タイツ RECORDING REPORT

・タイツ「ハロウィン」from 『GIRLIC REPLICA』(EGD-19/20/21 /BRIDGE)
紙ジャケット仕様、3枚組(8cmCD1枚を含む)ベスト・アルバム、2006年リマスタリング
1988年にはさえ子さんにとっての重要作品がまだあります。
ここまで何度も登場してきた矢口博康さんのファースト・ソロ・アルバム『GASTONOMIC』です。
リアル・フィッシュや東京マザーズ以外にもサザンオールスターズや高橋幸宏さん、大沢誉志幸などのレコーディングやライヴに参加してましたから、待望のソロ・アルバムがようやくリリースされたという印象があります。
レコーディング・メンバーはギターにXTCのアンディ・パートリッジ、ドラムスがスティーブ・ジャンセン、キーボードにリチャード・バルビエリ、ベースはブルー・ナイルのロバート・ベルにさえ子さんというものすごい顔ぶれによるロンドン録音のアルバムです。
1988年春のアルバム発売記念ツアー・メンバーは矢口さん、ギターが堀越信康さん、ベースが中原信雄さん、ドラムスが矢部浩志さんにさえ子さんでした。
ツアー・パンフレットがヴィデオ・テープだったことや、東京公演はオープンしたばかりの日清パワーステーションだったし、さえ子さんが着ていたMICHIKO LONDONの水色のダウンコートが印象に残ってます。

・矢口博康『GASTRONOMIC』(EGD-18/BRIDGE)
矢口博康インタヴュー掲載のブックレット、2005年リマスタリング
1988年5月27日にはインクスティック芝浦で矢口博康さんのFUJI AV LIVEが開催されます。
当初はPSYCHO PERCHES名義のライヴになるという話だった記憶もありますが、諸般の事情で矢口さん 名義のライヴになりました。
ヴィジュアルはメトロトロン・レコードの諸作のアート・ディレクションを担当した上原則博さんです。
結局ゲスト出演にPSYCHO PERCHESという形になったわけなんですが、この時期はPSYCHO PERCHESの定義が曖昧だった時期で、1990年1月発売のさえ子さん表紙の「POP IND’S No.28」では慶一さんとさえ子さんのみならず、矢口さんと渡辺等さんもメンバーとなっていて、2人以上参加ならPSYCHO PERCHESを名乗ってよいとなっております。
ちなみにこの号の表紙と巻頭特集はさえ子さんなのでした。

・「POP IND’S No.28」(スイッチ・コーポレーション)
表紙・巻頭特集 鈴木さえ子
さえ子さん関連作品、提供曲などは手持ちの盤や資料中心で作成しました。
調査しきれなかった部分もありますので、重要作品でも抜けているものが多いはずです。
参加作品や提供曲などについてご存知の方はご教示よろしくお願い致します。
・MIDIレコード設立〜『緑の法則』〜東京マザーズ〜ソロ・アーティスト鈴木さえ子
1984年、ディア・ハート・レーベルが発展する形でMIDIレコードが設立されます。
記者会見には後にレーベルを離れたムーンライダーズ(鈴木博文さんが欠席していることを含めて、色々と彼ららしいと言われたとか)も出席しています。
YMO散開の翌年ということもあって、彼ら周辺のアーティストでビジネスをする目論見があった方々も存在したのは間違いないでしょう。
翌1985年6月にはMIDIレコード移籍第一弾シングル「夏休みが待ち遠しい」がリリースされます。
アルバム『緑の法則』の先行シングルで、さえ子さんのシングルA面では初のインスト・ナンバーで、カップリングの「Come Wonder With Me」はアルバムとは別ヴァージョンなのでした(2013年紙ジャケット盤にボーナス・トラックとして収録)。
見本盤なので書き込みがあります。
そして、後にリリースされたオムニバス『ミディ・シングルス1.1985年』のジャケットを。


・鈴木さえ子「夏休みが待ち遠しい」(MIS-4/MIDI)
「COME WONDER WITH ME(The End of Summer Mix)」

・鈴木さえ子「夏休みが待ち遠しい」「Come Wonder With Me」from 『ミディ・シングルス 1.1985年』(MDC-1081/MIDI)
アルバム『緑の法則』のリリースが7月21日ですから、『緑の法則』ツアーは発売前に行われたことになるんだ、と今さらながら気づきました。
観客の反応が物足りないと「ミュージック・ステディ」のレポートかありましたが、東京マザーズのあの演奏に圧倒されてしまったのかもしれないと思いました。
7月7日の日本青年館での公演の模様はFM東京「ゴールデンライブステージ」(1時間番組)で放送されています。
東京マザーズはさえ子さんと慶一さんのPSYCHO PERCHES、リアル・フィッシュからサックス矢口博康さん、キーボード福原まりさん、ベース渡辺等さんが参加して、ムーンライダーズからはバイオリンとトランペット武川雅寛さん、ギター白井良明さんが。
ギターにエキゾティックスの柴山和彦さん、パーカッション小野雅司さん、トロンボーン宇都宮明美さん、ドラムス石坪信也さん、コーラスにはCHILDRENの根岸道郎さんという12人編成でした。
これまでもさえ子さんのライヴではリアル・フィッシュのメンバー中心にした大きめのバンド編成でしたが、よりメンバーを増強した形になったわけです。
「フィラデルフィア」の「11PM」でのパフォーマンスが目指していたのはこれだったのか!と東京マザーズのライヴ映像を初めて見た時ようやくわかった!と思いましたねー。
ちなみに7月7日の公演は映像にも残されてますから、なんとか発売してほしいものです。
当時、予備校生だった私はライヴに参加することなく、「ミュージック・ステディ」のレポートでテンションを上げていただけでした。
アルバム『緑の法則』を買ったのは当然7月20日でした(レコードの入荷は発売前日というのが恒例になっています)。
オリジナル盤はカラー・レコードで、ジャケット含めてすぐにお気に入りの1枚になりましたね。
フェアライトCMIを使用したことで前作『科学と神秘』に比べ参加メンバーは減ったけど、バンド感は失われていない印象がありました。

・鈴木さえ子『緑の法則』(MDCL-5007/MIDI)
紙ジャケット仕様、ボーナス・トラック「Come Wonder With Me」(シングル・ヴァージョン収録、2013年リマスタリング

・鈴木さえ子「緑の法則コンサート・パンフレット」
1985年には「ミュージック・ステディ」の編集長が交代したからなのか、扱いが小さくなったり、「バラエティ」の慶一さんの連載が終了したりで掲載雑誌をあまり見つけることができなかったです。すみません。
『緑の法則』は翌1986年にアンコール・ライヴをPARCO劇場で3日間行っていて、ゲストには泉谷しげるさん、松尾清憲さんにオナッターズが出演しています。
泉谷さんのライヴをさえ子さん、矢口さん、福原さんに柴山和彦さんは1985年春までずっとサポートしていましたから、久々の共演ということになりました。
松尾さんのライヴ・ハウス・ツアーやレコーディングで、白井さんてま柴山さんのツイン・ギターがレギュラーになるきっかけはこのライヴだったはずです。
オナッターズについてはよくわかりません。すみません。

・鈴木さえ子PARCO劇場コンサートのフライヤー
1986年には初の12inchシングル「HAPPY END」がリリースされます。
当時の12inchはダンス・ミュージックのそれこそダンス・ミックスものが多かった記憶がありますが、普段通りのポップ・チューンという印象が強いです。
前作「夏休みが待ち遠しい」はインストゥルメンタル・ナンバーだったからか、プロモーション・ヴィデオは制作されなかった模様ですが、この曲では制作されていて、「月刊MOGA1986年8月号に制作レポートが掲載されています。
それによりますと、成田のホテルに朝7時集合だったそうな、大変でしたね。
それが掲載されたのははMIDIレコードのファンク・ラブ・ペーパーの出張版「MIDI COMI SPECIAL」の企画でした。

*「MOGA 1986年8月号」(東京三世社)
MIDI COMI SPECIAL 「HAPPY END」プロモーション・ヴィデオ撮影レポート掲載
あと、「HAPPY END」にはプロモーション用の7inchシングルが存在してまして、『HAPPY END」モノラル・ヴァージョンがカップリング曲として収録されてます。



・鈴木さえ子「HAPPY END」(MDR-10/MIDI)
For Promotion 7inch Record coupling with 「HAPPY END」monoral version
当時はアナログ盤とCDの売上が拮抗していた時期で、「HAPPY END」をCDで聴くことができたのはオムニバス『MIDI FILE ’86』だけでしたし、バック・カタログでCD化されていたのは『緑の法則』だけでした(しかも定価は3800円)。
「HAPPY END」発売記念ライヴの東京公演は1985年に続いて7時に日本青年館でした。
フロント・アクトして登場したのは矢口さん。
この日の公演は「出演:鈴木さえ子featuring矢口博康」だったはずです。
矢口さんのパート終了後には東京マザーズを従えてさえ子さんが登場しました。
メンバー含めトランプの衣装でしたね。
この日の「HAPPY END」はNHK FM「サウンド・ストリート」金曜に放送されています。
あと、来場者全員に『緑の法則』コンサートで撮影されたらしきさえ子さんがシンバルの合間から写っている(ドラムスを叩いている姿の)ポスターがプレゼントされました。

・鈴木さえ子「HAPPY ENDツアー・パンフレット」

・鈴木さえ子「HAPPY ENDツアー」名古屋公演限定のフライヤー
そして、このツアーで演奏されたTHE BEACH BOYSのカヴァー「GOOD VIBRATIONS」と三木鶏郎さん作品「吟遊詩人の歌」がFM番組のプレゼント用シングルとして100枚プレスされました。
後に東京太郎名義でCD化されましたが、メンバー全員が変名を名乗っています(ちなみにさえ子さんは国立花子名義)し、松尾清憲さんも九州二郎名義で参加しています。

・東京太郎「GOOD VIBRATIONS」「吟遊詩人の歌」from 鈴木慶一 『THE LOST SUZUKI TAPES Vol.1』(XOCG-1901/Run,Rabbit,Run Records)
東京公演のレポートが雑誌「MOGA 1986年10月号」に掲載されていて、さえ子さんの写真と矢口さんの写真が載っています。

・「MOGA 1986年10月号」(東京三世社)
1986年7月日本青年館のライヴレポート掲載
翌1987年4月からFM横浜でさえ子さんDJの番組「HEART ROCK QUEEN」がスタートします。
毎週水曜22時からの2時間番組で、松尾清憲さん「ポップス泥棒」や伊藤銀次さん「POP FILE」などが曜日違いの同じ枠にあったり、毎週楽しみに聴いていました。
ゲスト出演も多数で、選曲含めてかなり豪華なプログラムだったと思います。
6月21日には『スタジオ・ロマンチスト』がリリースされました。
一部ロンドン・レコーディングで、しかもXTCのアンディ・パートリッジを迎えて制作した楽曲が3曲収録されたことはかなり話題になりましたね。
アンディがテレキャスターを抱えてさえ子さんがピアノに向かっている写真が記憶に残っている方は多いはずです。
しかもその3曲がまた素晴らしいわけですから。
サンダークラップ・ニューマンのカヴァー「SOMETHING IN THE AIR」はストリングス・アレンジがXTCのデイブ・グレゴリーが担当して最高の仕上がりです。
「HAPPY FAMILIES」はXTCの(当時)未発表曲に日本語詞を乗せたものでした。
「I WISH IT COULD BE CHRISTMAS EVERYDAY IN THE U.K.」ファースト・シングルでファースト・アルバムのタイトル曲の歌詞に手を加えたセルフ・カヴァー・ヴァージョンですからね。
他にもヴァーナ・リントやポール・キャラックにリチャード・トンプソンも参加してますから、さえ子さんの音楽が魅力的だったのと、円がまだ強い時期だったということでしょう。
ちなみにこのアルバムはCDの方が収録曲多いのはいかにもこの時代ならではだと思います。
ちなみに(当時)ボーナス・トラックとして収録されたのはシングル「HAPPY END」のカップリング曲「DEAR WALT」と「ADVENTURE IN SOUTH PACIFIC」でした。
1987年のアルバム発売記念ライヴは7月7日ではなくなったのと、東京マザーズも若干顔ぶれが変化しました。
ギターの白井良明さんが近藤研二さんに、キーボードの福原まりさんが門倉聡さんになって、コーラスで北川晴美さんが参加しましたね。
ライヴの直前の7月4日には「かしぶち哲郎 3Nights IN スペース7」に東京マザーズの半分のメンバーとゲスト出演しています。
さえ子さんと慶一さん、矢口さんに渡辺さん、門倉聡さんと北川晴美さんですね。
まず「21世紀の精神異常者」をカズーで、「トラベシア」はさえ子さんと慶一さんが交互にヴォーカルで「YOU ARE MY SPECIAL」の3曲を演奏しました。
確かその日、かしぶちさんのサポートだったパール兄弟の松永俊弥さんがドラムスだった記憶がうっすらあります。違ったらゴメン。
「STAGE ROMANTIC」と銘打たれた日本青年館でのライヴはチケットで確認したところ、7月9日18時開場、18時30分開演、全席指定3500円でした。

・鈴木さえ子「STAGE ROMANTIC」ツアー&「Real Fish ツアー87」プロモーション・ポストカード

・鈴木さえ子「STAGE ROMANTIC」&
この日の模様は翌年のお正月(1月4日だった記憶が)にNHK FM(1時間番組)で放送されてますから、聴いた方も多いはずです。
ステージは布で覆いかぶされていて、さえ子さんの姿が見えないまま「SOMETHING IN THE AIR」と「YOU ARE MY SPECIAL」が演奏されて幕が上がったのかな?
FMではこの部分は放送されず「HAPPY FAMILIES」からでした。
記憶をたどってみますと、北川さんヴォーカルの「銀のエンゼル」や柴山さんが2階席まで移動してのギター・プレイが印象に残ってます。
それに現在までスタジオ録音が発表されていない「TGIF」がラジオで放送されたのを聴いていたのでなんとなくですが覚えてますね。

・鈴木さえ子「STAGE ROMANTICツアー・パンフレット」
7月9日の日本青年館でのライヴ・レポートが「IND'S NO.14」に掲載されています。

・IND'S NO.14」(SWITCH)
1987年12月には渋谷LIVE INNでの松尾清憲さんのマンスリー・ライヴにゲスト出演してます。
当時の松尾さんをサポートしていたのはベース中原信雄さん、ドラムス宮田繁男さんにキーボード宮原慶太さん、キーボードとコーラスにカーネーションの直枝政太郎さんたちでした(他にギタリストが2人いらっしゃったけど途中で交代したこともあって失念しました、すみません)。
そこにゲストでギターに慶一さん、ドラムスにさえ子さん、ベースに一色さんが加わったのでした(中原さんと宮田さんは一旦退場)。
「君のプリズナー」では松尾さんと慶一さんが交互にヴォーカルを担当。
「HOTEL」「クリームソーダベイビー」の3曲を演奏しました。
もしからしたら、これが後にシネマが再結成する布石になったかもしれませんね。
1988年は映画「ノーライフノーキング」の撮影と音楽担当でソロ名義の作品やライヴはなかったのかな?
参加作品については若干触れているので、読み返してください。
1989年2月にはオムニバス・アルバム『les enfant 2』にThe Archies『Sugar Sugar』のカヴァーで参加してます。
井出靖さんプロデュースのこのシリーズのコンセプトは「21世紀の子供達に捧げるスタンダード集」でした。
ちなみにこの曲を取り上げた理由はGSの「ピーターズというバンドがよくやっていた」と後に語っています。

・鈴木さえ子「Sugar Sugar」from 『les enfant 2』(POCH4004/ポリドール)
2000年再発盤、オリジナルとはジャケット違い
この年にはいとうせいこうさん原作の映画「ノーライフノーキング」が公開されました。
さえ子さんは音楽担当のみならず、大沢まみ子役で出演されています。
アルバム『ノーキングライフ・ノ・ミュージック』は純粋なサウンドトラック盤ではなく、「映画にインスパイアされた鈴木さえ子の極上インストゥルメンタルミュージック」と帯にある通りの作品です。

・鈴木さえ子『ノーライフキング・ノ・ミュージック』(MDCL-5016/MIDI)
紙ジャケット仕様、ボーナス・トラック3曲収録、2013年リマスタリング
1989年12月にはもう1枚、さえ子さんは作品をリリースしています。
このCDの存在を知ったのは数年前でして、たまたまネット通販に出品されていたので入手できました。
「活力〈エナジー・リラクゼーション〉』には鈴木さえ子名義で4曲参加しています(残りは井上誠さんと山下康さんのイノヤマランドによる作品です)。
さえ子さんのキーボードのみならず、バンドで演奏された曲も収録されていて、特に4曲目「AFTER DREAM」はリアル•フィッシュを彷彿させる仕上がりです。
さえ子さんならではの仕上がりですし、一部配信で聴くことができるようですから、是非検索してみてください。
ちなみに帯やCDの惹句によると「血圧が低めの人のためのリラクゼーション•ミュージック」とのことです。

・『活力〈エナジー・リラクゼーション〉』(TOCZ-5145/東芝EMI)
1995年盤、オリジナルとはジャケット違い
1989年春には雑誌「IND’S」が発展した形の雑誌「POP IND’S No.23」の表紙に佐野元春さん、杉真理さん、松尾清憲さんと慶一さんにさえ子さんが登場。
岩本編集長のあとがきによると「日本版トラヴェリング・ウィルベリーズを目指した」とありますから、イベント“TURN TO THE POP FINAL*に出演した鈴松カネ太郎(さえ子さん、松尾さん、カーネーションの直枝政太郎さん、馬田裕次さんに鳥羽修さんが参加)の理想形はこの表紙の顔ぶれだったのかな?と想像してしまいます。

・「POP IND’S 1989 Apt.-May . No.23」(switch)
9月には慶一さんの対談本「火の玉ボーイとコモンマン」(新宿書房)が発売。
鈴木昭生さん、博文さん、さえ子さんとの対談集です。
はちみつぱい〜ムーンライダーズ・ファンのみならず、日本のロック&ポップス・ファンには必読の内容だと思います。

・鈴木慶一「火の玉ボーイとコモンマン」(新宿書房)
年明けて1990年1月発売の「POP IND’S No.28」の表紙に登場し、巻頭特集が組まれています。
この記事では非常に参考にさせていただきました。ありがとうございます。

・「POP IND’S No.28 Feb.-Mar 1990」(switch)
同年7月発売『カナディアンワールド〜赤毛のアンのふるさと』収録曲「森の信号」で作曲を担当してます。
作詞は当時ボーイ・ミーツ・ガールの尾上文さん、編曲は福田裕彦さん、歌は野宮真貴(真紀とありますが、明らかにミス・クレジットですね)さん。
野宮さんは当時ピチカート・ファイヴ加入前ではありましたが、コーラスでライヴやレコーディングに参加していました。

・野宮真紀「森の信号」 from 『カナディアンワールド〜赤毛のアンのふるさと』(TOCT-5774/東芝EMI)
東芝レーベルからの発売なので、もしかしたら『活力』制作の流れでオファーがあったのかもしれませんね。
同年12月には初のベスト・アルバム『ザ・ベスト The Very Best of Saeko Suzuki』をリリース。
RVC時代の楽曲はこれが初CD化でしたし、「日清チキンラーメン」CM曲はこれが初音盤化です。

・鈴木さえ子『ザ・ベスト The Very Best of Saeko Suzuki』(MDC8-1115/MIDI)
この他にも1986年に創刊された音楽雑誌「Chart」(正確には別冊「IND’S」という扱いでしたが、後の雑誌「POP IND’S」につながる重要な雑誌なので、そう定義しました)のインタヴューにおける「ロック印象派」はかなり重要だと思いますから、後日アップしていく予定です。
音楽雑誌でいえば「サウンドール」や「TECHII」も重要なのですが、近年は入手困難になっている号が多いので、ある程度集まった段階で記事化する予定です。すみません。
・CM作家としての鈴木さえ子
さえ子さんのCM仕事で一番有名だと思うのは『ザ・ベスト』にも収録されている「日清チキンラーメン」だと思います。
他にも自ら出演された冷蔵庫「日立フィットレディ」という方がいらっしゃるかもしれませんが(当時のカタログにも登場されてました)。
他にもプロモーション・オンリーのカセット・テープにCM作品が収録されたこともありますから、それをお持ちの方ならその中の作品を推されるのかな?
ちなみに2007年に発売された田家秀樹さんの「みんなCM音楽を歌っていた」という大森昭男さんについての本の巻末には「大森昭男のCM作品リスト」が掲載されていて、延々とチェックしていますが、これが実に興味深いんですねー。
大森昭男さんについて簡単に説明すると、CM音楽プロデューサーで、三木鶏郎門下だったそうです。
そのため慶一さんが「吟遊詩人の歌」について調べた際、大森さんに確認したそうです。
大森さんといえば大瀧詠一さんとの交流が知られていて、「みんなCM音楽を歌っていた」では対談しています。
ムーンライダーズ周辺とも多数仕事をしていて、斉藤哲夫さん「今のキミはピカピカにひかって」やシネマ「君のプリズナー」も大森さん仕事です。
巻末のリストからピックアップすると、1984年には西武秋のキャンペーン(有楽町西武「ティーザー」)、’84 秋 日清チキンラーメン「南伸坊」美尾洋乃さんとの共同名義、有楽町西武 OPEN、タイガー リビングラック&ケース「君達の城」、フマキラーベープ「裸で眠れる夏」、SONY WALKMAN「着がえる8色」、高砂殿スペシャルパッケージ 歌 美尾洋乃さんと共同名義、キッコーマンデリシャスソース「ズズンバ」、ファミリーマート「年末」「年始」、資生堂ヘアコロン ブロー&グロウ「お待たせ」、日立館第2劇場 鈴木慶一と共同名義。
1985年には象印多機能マイコン炊飯ジャー「いろいろ炊ける」 歌 小川美潮、サントリー料理天国「「料理がよろこぶ」歌 Linda Hennrick、高砂殿スペシャルパッケージ「羊とオットセイ」 歌 美尾洋乃と共同名義、ワコール ソフィ・ブラ「手のひら」、生活劇場アピタ、コーセー ’86 春のキャンペーン 歌 ポータブル・ロック。
1986年にはグリコカフェゼリー 歌 清原正姫、PARCO グランバザール 歌 PSYCHO PERCHES名義、ブルボンのぼりっこ 歌 小川美潮、ブルボンウィズバーガー「まんなか」 歌 美尾洋乃と共同名義、サントリー料理天国「どうぶつランチパックプレゼント」。
1987年にはPARCO「ボクサーと女」、味の素「おいしさキャンペーン」、日立インターフェイス「ポプリーヌ」、THE BREND 114,117「ゲスト」。
1988年にはブルボン・モナード「おいしい顔」、資生堂スーパーマイルドシャンプーPart2。
1989年には資生堂スーパーマイルドシャンプー「図書館」、資生堂モーニングフレッシュスピーディ「太極拳」、フジテレビ「冬のキャンペーン」 歌 ERIと共同名義、資生堂スーパーマイルドシャンプー Part5「お知らせ」「やさしくたのむよ」。
1990年にはNTT「東京4D化計画」、SAKURA CARD「SAKURAくん」 歌 野宮真貴、TOTOのシャワー、NTT「100年めの電話生活」 歌 若月明人、JR東海「京都遊学」 歌 Michael Guinn、ANA’S CARDIB、タイガーマイコン沸騰ポット「光る・ザ・ポット」、SONY family studioという具合です。
勿論、ON・アソシエイツ以外にも依頼があったはずですから、他にもまだまだあるはずですよ。

・田家秀樹「みんなCM音楽を歌っていた」(徳間書店)
具体的にには2009年リリースの『伊藤アキラCMソング傑作選』にも1曲収録されています。

・鈴木さえ子「カゴメ『ヤッサイマーチ』」from 『伊藤アキラCMソング傑作選』(CDSOL-1312/ソリッドレコード)
・あとがき
とりあえずこれで一区切りにします。
見つからなかった資料(雑誌やCD)については後日アップしたり、修正する予定です。
まず、なによりも鈴木さえ子さんに感謝します。
資料を読み返したり、CDを聴き返す度に新たに感動しました。お世辞抜きで。
あと、今回画像をアップしたCDのライナーノートはどれも素晴らしいので、細かい部分はCDを聴いて、ライナーを参照してください。
ライナーを執筆された小暮秀夫さん、古澤清人さん、松永良平さん、中嶋勇二さんに平澤直孝さん深く感謝します。
前回のGO→ST通信電子版にご教示いただいた工市蠟さんにもありがとうを。
GO→STレーベル・ディレクター宙GGPキハラさんがいなかったら、フリーペーパーを出すことはなかったし、まとめようという発想も出なかったはずです。本当にありがとう。
まとめ記事をやれる体力も気力もまだありますから、今週末にはまたやろうかな?
いつアップするかはまた別の話ですが。
「1980年代の鈴木さえ子」については資料と情報が入り次第アップしていきますので、皆さまよろしくお願いします。
ではまたー。
