♯20 そこに天守はないでしょ・富山城
富山のシンボル的な建築といえる富山城。往時の姿を復元したものと思っていたが,そもそも天守閣が存在したのかも不明なので,復元というわけではない。しかも,建っているのが本丸入り口の枡形の上という不思議な位置。そこに天守はないでしょ!と突っ込みたくなる。でも,富山を代表する景観になっているのだから,いいんです。それにしても,何かと不思議な富山城なのである。(富山県富山市本丸)
富山城の築城
越中富山といえば,織田信長麾下の猛将・佐々成政のイメージが強いが,成政の居城した富山城が現在城跡として残る富山城と一致するわけではないらしい。そして,そもそも成政が富山城に在城したのも数年のことらしい。
富山城は,戦国時代に越中守護代・神保長職(ながもと)が,放生津から進出して築城したのが始まりのようだ。その後、上杉と織田の狭間で争いが繰り返され,やがて,佐々成政が越中を平定し富山城主となる。しかし,天正13(1585)年に羽柴秀吉に攻められ,戦わずして開城,成政の富山城は破却される。
現在見られる富山城は,前田利長が慶長10(1605)年から築城に着手したものだ。その後,大火や地震に見舞われて荒廃した時期を挟み,加賀藩からの分藩にあたって再度大掛かりな改修が行われた。富山城については,富山市埋蔵文化財センターのwebページ「富山城研究コーナー」に詳しい情報が掲載されている。

鉄門跡の枡形(2015.10.9)
佐々成政と富山
佐々成政と富山が強く結びつくのは,成政の富山在城時代に生まれたエピソードが強烈な印象を残しているからだろう。
富山城下を洪水から守るために「佐々堤」を造ったなど,治水に関する成政の業績を,富山の子供たちは学んでいる。富山にとっては,大恩人という側面もあるということか。
佐々成政にちなんだ酒もある。その名も「成政」。酒造会社のwebページには,「成政が水を求め,鑓をふるって地を突いたところ,そこから水が湧き出たという謂れを持つ「槍の先の水」」というのがあり,それに因んで名付けられたことが説明されている。佐々成政と水は,深い関係にあるのだ。

豊臣秀吉と徳川家康が激突した小牧・長久手の戦いに関連するエピソードも強烈だ。秀吉と織田信雄の和議がなったことで停戦の態度をとる徳川家康に対し,戦いを継続するよう説得を試みるため,厳冬の北アルプス,ザラ峠を越えて会いに行ったという,常識を超えた行動が伝わっている。
さらに,強烈なインパクトを残すのが,「早百合姫の伝説」だろう。早合点で惨殺してしまった愛妾が怨霊となり,佐々成政を無念の死へと導いたという。これは,さらに北の政所と淀君をも巻き込んだ「黒百合伝説」にもつながっており,様々な芸能,絵画等の題材となりながら,佐々家滅亡の原因が怨霊の仕業であることをまことしやかに今に伝えている。
富山城の構造
かつての富山城はどのようなもので,その姿はどのように移り変わって今に至るのか,富山市郷土博物館が作成した『富山城址の変遷 富山城と私たちが暮らす街~どのような糸でつながっているのでしょうか~』で確認することができる。
現在の城址公園が,かつての本丸で,その北側には神通川が流れ敵の侵入を防いでいた。本丸の東には東出丸があり,西には西の丸,南には二の丸が馬出し状に配置されて本丸を囲み,さらにその外側に三の丸が配置されていた。連郭式と梯郭式が組み合わさった形の平城であったようだ。
基本的には,土塁と水堀で囲まれた城で,石垣は,主要な門となっていた本丸の鉄門(くろがねもん),搦手門,二の丸二階櫓門の3ヶ所のみに築かれていたらしい。最大規模の防御施設が,二階櫓門で古写真も残っているようだが,防御のための建築物は移築も含め現存しているものがない。城内にあった建物としては,藩主の隠居所として東出丸の東側に置かれた千歳御殿の門が城址公園に移設され,唯一富山城内の様子を偲ばせてくれる。

鏡石が存在感を放つ石垣
富山城は,基本的に土の城だが,残された石垣から読み取れることは,様々あるようで,『富山城石垣マップ』が,詳しく伝えてくれている。ただし,石積みの様子を観察してみると,公園整備の関係で土塁を石垣に改修したのではないかと思われる部分もある。千歳御殿の門の両脇にある石垣も,新しく造られたもののように思われるが,間詰め石に使われている丸い河原の石が,早月川や常願寺川などの玉石を石材として利用していた富山城の特徴を伝えてくれているように思える。


特徴的なのは,鉄門(くろがねもん)跡の鏡石だろう。権威を示すために据えられた大きな石を鏡石というが,鉄門跡には5つもの鏡石があり,富山城本丸入り口としての鉄門の重要性を知ることができる。また,鉄門枡形の城内側に設けられた,合坂も残されている。ただ,これだけ立派な石垣で構成した枡形だが,櫓門がのっていたわけではなく,鉄門は,薬医門形式の門だったらしい。


富山城の石垣について
富山城の石垣は、富山を隠居の地とした加賀藩第二代藩主前田利長が、慶長一〇年(1605)以降に整備した石垣がはじまりと考えられています。その後、江戸時代前期の寛文元年(1661)以降に、富山藩初代薄主前田利次が改修し、現在見られる石垣となっています。
富山城は土塁主体の城郭であり、石垣は、城内中枢部を守る鉄門、搦手門・二階櫓門(現存せず)の三ヶ所に築かれていました。現存する石垣は、富山県内の早月川や常願寺川産の玉石などを割って使用したり、あるいはそのままの形の石が、「野面積み」技法で積まれています。それらは、石の丸い面を表に向けていることが特徴です。また、石と石の隙間は、小石や割石などで埋められており、排水や積石の安定をはかっています。ただし、鉄門の内枡形では、方形に加工した石材を水平に積む「布積み」技法の部分もみられます。また石垣の内部は、外側から積石、栗石、土塁の三重構造となっています。
富山城の石垣の特徴として、鉄門内枡形の鏡石をあげることができます。鏡石とは、石垣の石材の中でも特に巨大な石を指し、設置目的については、城主の権力を見せつけるためなど、いくつかの理由があげられています。富山城の場合、慶長期の整備の際に据えられ、寛文期の改修の際、現状のように配置したと見られています。
富山といえばお薬
富山城址公園には,富山藩第二代藩主 前田正甫(まさもと)の銅像が建っている。江戸参勤の折に,江戸城内で腹痛に苦しむ大名に,常備していた「反魂丹」を飲ませたところ,たちまち腹痛が治り,その効能に驚いた大名たちが自領内での販売を求めたことから富山の薬売りが始まったのだとか。それで,正甫は「売薬を花開かせたお殿様!」ということになっている。
「反魂丹」を販売する池田安兵衛商店の売り広告には,「お酒の悪酔いを防ぎます!」とある。もちろん,「反魂丹」を服用してみたが,確かに,散々飲んだ後も安らかだったように思うが,気のせいか。



国登録文化財としての富山城
さて、鉄門跡の石垣の上に造られた通称・富山城だが,これは,あくまでも富山市郷土博物館の建物である。けれども,国の登録文化財,そう,文化財でもあるのだ。空襲で甚大な被害を受けた富山市が,戦後復興事業の一環で建てたものが,建設から半世紀もの時を経て戦後復興のシンボル的建物としての価値が認められ、文化財登録に至っている。神保氏や佐々成政の富山城,前田氏の富山城,そして市民の富山城と,富山には3つの富山城があるということか。様々なイベントの舞台ともなり,富山市民に愛される富山城は,まさに富山市のシンボルなのだ。


国登録文化財 富山市郷土博物館(富山城)
昭和二十九年、富山城址一帯で富山産業大博覧会が開催されました。これは、昭和二十年八月二日未明の空襲によって、壊滅的な被害を受けた富山市街の復興事業完了を機に開催されたものです。その際、記念の恒久建築物として建設されたのが富山市郷土博物館(富山城)です。旧本丸鉄門跡の石垣上に建てられた、鉄筋コンクリート造りの建物で、望楼を乗せた三重四階の天守、二重二階の小天守など、城郭の意匠でまとめられています。その外観は、彦根城や犬山城などの現存天守を参考に設計されており、戦後の天守閣建設のさきがけとなりました。博覧会の会期中は、「美の殿堂」として各種の展覧会が開催され、最上階の展望台からは富山市街のみならず立山連峰が一望できたため、多くの人で賑わいました。
会期終了後は郷土博物館として活用され、郷土のことを紹介する中心的な博物館であるととともに、中心市街地のランドマークとして広く市民に親しまれています。
平成十五年からは約二年をかけて耐震改修工事を行なうとともに、内装を一新し、富山城の歴史を紹介する常設展示が整備されました。
建設から半世紀を経た平成十六年、本建物は富山市のシンボルとして、また戦災復興期を代表する建築物として国の登録文化財として登録されました。
まさか,これも富山城?
城址の搦手には,石垣の上に,いかにも天守閣風の3階建ての建物がある。1層目は鱗壁となっていて,3層目には高欄まで備えていて風格がある。えっ,まさか,これも富山城なのか!と目を引く建物である。実は,昭和36年建築の佐藤記念美術館の建物で,富山城の建築遺構ではなかった。
館内には,砺波市出身の実業家で,茶人であったという故佐藤助九郎氏が収集した古美術品が展示されているほか,「助庵」「柳汀庵」という2席の茶室,総檜造りの書院座敷が移築されているらしい。まだ,一度も中に入ってみたことがないのだけれど。

富山の美味しいもの
富山には美味しいものがたくさんある。富山湾寿司とか,白エビ,ホタルイカ,ブリしゃぶ,ゲンゲの唐揚げとか,きりがない。ここに,その写真を並べ立ててみたくもなるが,旅の終わりに富山を味わうなら,これもいいなと思っているのが,富山駅の立ち食い,立山そば。白エビ天と鱒の寿司まで付く。なんとなく,旅情を掻き立てる逸品だ。

