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焼くとは何か

時々考える。

焼くとは何だろう、と。

火を入れることだろうか。

焦げ目を付けることだろうか。

中まで火を通すことだろうか。

もちろん、それも間違いではない。

けれど20年以上焼き鳥を焼いてきて、
私は少し違う答えを持つようになった。


焼くという言葉は不思議だ。

私たちは肉を焼く。

魚を焼く。

パンを焼く。

そして陶芸家は皿を焼く。

瓦を焼く人もいる。

レンガを焼く人もいる。

日本酒も生原酒を火入れする。

焼く対象は違うのに、同じ「焼く」という言葉が使われる。

なぜだろう。

共通しているのは、元に戻らないことだと思う。

生の鶏肉は焼けば生には戻らない。

パン生地はパンになる。

土は器になる。

焼くという行為は、

何かを別の状態へ変化させる行為なのだ。


だから焼くことには面白さがある。

そして怖さもある。

焼く前には完成形が見えない。

火を入れてみなければ分からない。

中まで火が入ったか。

水分は残ったか。

香りは乗ったか。

思い描いた状態になったか。

最後は結果を見るしかない。


焼き鳥も毎日そうだ。

この串はうまく焼けたと思っても、

食べた瞬間に「あれ?」と思うことがある。

逆に、
不安だった串が驚くほど良い仕上がりになることもある。

経験を積めば失敗は減る。

でも、ゼロにはならない。

だから焼くことは面白い。


職人には頭の中に完成形がある。

この色。

この香り。

この食感。

この焼き加減。

その理想に近づけるために火を使う。

炭を動かす。

串を返す。

休ませる。

煙を当てる。

焼き鳥を焼いているようで、

本当は頭の中のイメージを形にしようとしている。


陶芸家も同じだと思う。

だから陶芸家は皿を割る。

完成した皿が悪いのではない。

頭の中の理想から遠かったのだろう。

他人から見れば十分に美しい。

売ることもできる。

使うこともできる。

それでも割る。

理想を知っている本人だけの特権。


焼き鳥も同じである。

食べられないわけではない。

お客様に出しても気付かれないかもしれない。

それでも職人は分かってしまう。

頭の中にあった一本と違うことを。


だから焼くとは火を入れることではない。

素材が持っている可能性を、

より良い形へ変えていくこと。

そして、

頭の中にある理想へ近づこうとすること。

焼くとは、

理想を追い求めながら、

矛盾を楽しむ行為なのかもしれない。

🔗 公式サイト 
https://yakitorisuginoya.com/
📍 深井本店 https://maps.app.goo.gl/s847rfof5TeWjxCt8
📍 なかもず店 https://maps.app.goo.gl/ggxF86Q4UvMME1NY8
📍 北花田店 https://www.google.com/maps/place/炭火焼鳥+杉の屋+北花田店/
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