苦しい時期をどう乗り越えるか〜サイクリングから得た“今を生きる技術”〜
苦しい時間が長く続くと、私たちは“時間の感覚”を失っていく。
「あとどれくらいこの状況が続くんだろう」
「いつまで耐えれば終わるんだろう」
そんな思いにとらわれて、目の前の今が見えなくなっていく。
でも、サイクリングを通して私は、そんな“長い登り坂”の途中でこそ、「今に意識を戻す」ことの大切さを学んだ。今回はその続きを、少し深く語っていきたい。
■ なぜ「先を見すぎる」と心が疲弊するのか
人は不確実なものに不安を感じる。
目の前が霧で覆われていたら、その先に何があるのか分からない。
もしかしたら崖かもしれないし、救いの場所かもしれない。分からないから怖い。
だからこそ、「先を見ようとする」。
それはある意味、本能的な防衛反応でもある。
だけど、人生の登り坂、つまり苦しい時間が続いているときに“先を見すぎる”のは、時として逆効果になる。
なぜなら、「まだこんなに登らなきゃいけないのか」と思うたびに、私たちは絶望を積み重ねてしまうからだ。
しかも、その“先”が見えるとは限らない。
状況が変わる見通しが立たないまま、「耐え続けるしかないのか」と考え始めると、心がじわじわと摩耗していく。
だから私はこう考えるようになった。
「今、目の前のことだけに集中する方が、むしろ心は楽になる」
それが、坂道を登っていて足元だけを見つめる理由であり、人生に応用できる“技術”だ。
■ “淡々とやる”ことの力
「モチベーションが続かない」「やる気が出ない」
そんな言葉をよく耳にする。かつての私もそうだった。
でも、サイクリングで数十キロを走るとき、ずっとやる気満々でペダルをこぎ続けることなんてできない。
大事なのは、やる気があろうがなかろうが、ペダルを回し続けることだ。
ここに、大きなヒントがあると思う。
人間が苦しいときに必要なのは「がんばる」ことじゃない。
**「がんばらなくてもできるように、習慣を整えること」**だ。
たとえば、気持ちが落ち込んでいるときにやるべきことは、歯を食いしばって無理をすることではない。
・起きたら顔を洗う
・冷たい水を一杯飲む
・布団を整える
・5分だけ散歩する
そんなふうに、「今できること」に目を向ける。
それが、「登り坂の途中で足元を見ること」にあたる。
■ 「この時間はずっとは続かない」と信じる
坂道には、終わりがある。
当たり前のように聞こえるかもしれないが、それを「体感」したことがあるかどうかは大きい。
私がかつて150kmのサイクリングイベントに参加したとき、残り数km地点で勾配の強い上り坂があった。距離にして数百メートル。脚を止めたくなるような苦しさだったが、ただ前を見ず、足元だけを見ながら進んでいくうちに、やがて下り坂に差しかかった。
そのとき、ふと安堵感に満たされた。
「本当に終わりが来た」と実感できたからだ。
この体験が、それ以降の人生で何度も支えになった。
「あのときも終わったんだから、今回もきっと終わる」と。
目の前の苦しみに対して、「ずっとは続かない」という信念を持てるかどうか。
これは、いざというときに踏ん張れる“精神の根っこ”になる。
■ 心が折れそうなときの処方箋
私が実践している、苦しい時期の「心の持ち方」をいくつか紹介したい。
① 足元だけを見る
「今日は、何をするか」「今、何ができるか」だけに集中する。
未来のことは“見ない”。
見るとしたら、良いイメージを思い浮かべるくらいでいい。
② 小さな達成感を意図的に作る
「今日は洗濯できた」
「5分だけ本を読めた」
「誰かにありがとうと言えた」
どんなに小さなことでも「できたこと」を自分に報告するだけで、心は少し軽くなる。
③ 苦しさを“敵”にしない
「この苦しさがあるから、自分は弱い」とは思わない。
むしろ、「今この経験をしている自分は、何かを得ようとしている最中なんだ」ととらえる。
サイクリングで登り坂に出会ったとき、「ああ、成長の時間が来た」と思えるように。
■ おわりに 〜人生の坂を登るすべての人へ〜
人生には、思いもよらない登り坂がある。
「なんで自分ばかり」と思いたくなる日もある。
下り坂に差しかかっている他人が、うらやましく思えることもある。
でも、それぞれの人生に、それぞれのコースがある。
登り坂が多い人は、それだけ足腰が鍛えられている。
いずれ来る下り坂では、きっと風のように走れるだろう。
だから、苦しいときこそ、ペダルを止めないでいてほしい。
漕ぐスピードが遅くても、立ち止まってもかまわない。
だけど、絶対に「完全にあきらめること」だけはしないでほしい。
前を見ず、足元を見て、今日という日を淡々と生きる。
その積み重ねの先に、あなたの坂の終わりがある。
そこから見える景色は、きっとあなたにしか見えないものだ。
