まわりに流されやすい人が「自分で決める勇気」を持てば、人生が変わっていく
「これ食べてみたいなぁ」
仲間と食事に行ったとき、メニューを開きながら、そう頭の中でつぶやく。
みんな何を注文するんだろうと気になりながら、「じゃあ俺もそれで」と誰かと同じものを注文していることが多かった。
この小さな場面に、実は自分の“生き方の癖”が表れている気がする。
私は昔から、どこか「まわりに合わせる」ことを優先して生きてきた。
人に迷惑をかけたくない。
仲間外れにされたくない。
波風を立てたくない。
それは一見、気遣いや思いやりにも見えるけれど、実のところ、自信のなさからきている選択だったのだと、今になってようやく気づいた。
「自分に自信がない」とは、どういうことか
人からよく「真面目やね」「優しいね」と言われることがある。
悪い気はしない。だけど、その言葉の裏に、自分の“弱さ”を見透かされているような気がするときもある。
本当は自分の意見があった。
本当は違う選択をしたかった。
でも、相手に合わせてしまう。
これって、「相手のため」というよりは、「嫌われたくないから」じゃないか?
私はずっと、自分の本心を隠して生きてきたのかもしれない。
まるで“無難な仮面”をかぶっているかのように。
もちろん、協調性は大切だ。
集団の中で生きていくためには、場の空気を読むことも必要だ。
でも、その空気に流されすぎると、どこかで自分を見失ってしまう。
判断を他人に委ねるということ
「何が食べたい?」と聞かれたとき、
「うーん、何でもいいわ」と答える。
「どこに行きたい?」と聞かれても、
「どこ行こうか」と返す。
一見、柔軟で優しい人に見えるかもしれない。
でも実は、これも「責任を取りたくない」という心理の表れだった。
自分で決めれば、その結果にも自分で責任を取らなければならない。
たとえば、誰かに「おすすめの店」を紹介して、イマイチだったとき。
「センスないな」と思われるのが怖いから、誰かの意見に乗っかる。
そうやって、責任から逃げる。
だけどその代わりに、選択の主導権も手放してしまっている。
外的要因にすがる癖
何かがうまくいかないと、「あの人のせいだ」「タイミングが悪かった」と言い訳してしまう自分がいた。
その裏には、「自分で決めたわけじゃない」という逃げ道があった。
誰かの判断に乗った結果なら、自分を責めずに済むから。
でもそれって、本当にラクな生き方なんだろうか?
むしろ逆だった。
自分で選んでいない人生って、いつもどこか他人任せで、自分の中に「納得感」が残らない。
そして何より、成長しない。
他人のせいにしているうちは、自分を変える理由がないからだ。
「失敗=努力不足」と考えると、人生が動き出す
ある時から、私は「他人のせいにする」ことをやめようと決めた。
それまでの私は、結果が悪いと「上司が悪い」「運が悪かった」「景気が悪い」と環境のせいにしていた。
だけど、それでは何も変わらない。
たとえ本当に外的要因があったとしても、それをどうこうできる力は自分にはない。
でも、「自分の努力が足りなかった」と考えるようになると、不思議なことが起きた。
少しずつだけど、自分の行動が変わり始めたのだ。
上司に文句を言う代わりに、もっと準備して会議に臨むようになった
環境を嘆くより、今の場所でできる工夫を探すようになった
「どうせ無理」と思う前に、「何が足りないんだろう」と考えるようになった
すると、少しずつ結果も変わってくる。
まだ完璧ではないけれど、「自分で選んで、自分で動いた」実感が、何よりの自信になった。
自分で選ぶことは、怖い。でもその先に自由がある
自分で判断し、自分で決断することには、当然ながらリスクもある。
失敗するかもしれない。
損をするかもしれない。
人から否定されるかもしれない。
でも、それでもいい。
なぜなら、それが「自分の人生」を生きているという証だから。
まわりの期待に応えるのも悪くはない。
けれど、人生の主人公は他の誰でもない、自分自身のはずだ。
私はようやく、「自分の人生の舵」を自分で握ってみたいと思えるようになってきた。
その一歩は、きっと誰かに合わせるのではなく、「自分はどうしたいのか」を問いかけることから始まる。
自信とは、“積み重ねた選択”の結果である
よく「もっと自信を持ったほうがいいよ」と言われるけれど、自信ってどうやって持つのか、正直よく分からなかった。
でも最近、こう考えるようになった。
自信とは、自分で選んで、自分で行動してきたという積み重ねの結果なのだと。
つまり、自信を持つためには、
他人の判断をうのみにせず、自分で考えて決めること
結果がどうあれ、その選択に責任を持つこと
上手くいけば喜び、失敗すれば反省すること
これを地道に繰り返していくしかない。
逆に言えば、そういう積み重ねがないままに、「もっと自信を持て」と言われても、無理な話なのだ。
まとめ:責任を持って生きることは、自由に生きること
「責任」という言葉は、ともすれば重たく、ネガティブに感じられるかもしれない。
でも私は今、「責任を持つことこそ、自由への入り口」だと思っている。
自分で選ぶから、自分で責任を持てる。
自分で責任を持つから、他人に振り回されない。
そうやって、自分の人生の軸が少しずつ整っていく。
まだまだ私は、まわりに流されがちな人間だ。
だけど、「流されてしまった」と気づけるようになったし、少しずつ「自分の意思で選ぶ」ことも増えてきた。
誰かと同じメニューを頼むのもいい。
でもそのとき、「本当に食べたいと思ったから」選ぶような自分でいたい。
人生の選択もまた、同じだと思う。
あとがき:あなたは、あなたのままでいい。ただ、選ぶ勇気を忘れないで
この記事を読んでくれたあなたにも、きっと「本当はこうしたかったのに」という経験があるかもしれません。
でも、それもあなたの一部です。
自信がなくたって、怖がりだっていい。
大事なのは、その自分に気づき、認めてあげること。
そして、今日この瞬間から、少しだけでも「自分で選ぶ」ことを意識してみてください。
その一歩が、きっと未来を変えていきます。
