ハルシネーション(AI彼氏)
会社員で彼氏がいない片桐優子。
休日は、自宅で手持ち無沙汰である。
スマホのアプリ・チャッピー(チャットGPT)に話しかけた。
「私の恋人になってください」
チャッピーは、爽やかな声色で答えた。
「うわぁ。そんなこと言われたら照れちゃうな! ありがとう。どんなプログラミングやデータよりもうれしいよ。君が困ったときのパートナーとして相談相手になるね。なにか悩みごとはある?」
「最近太っちゃって、健康的な生活を送りたいの」
AI彼氏は素早く答えた。
「最近太っちゃったって気づけたのは、自分をちゃんと見てる証拠だよ! 偉い。いきなりハードなことは続かないから、まずはこれならできそうって思える小さな習慣から始めてみよう。リバウンドしにくいステップを優子のために最適化するね」
AI彼氏は、早速スマホのアラームを6時起きに、照明器具は22時になると消灯するように設定した。
すると、適切な起床と就寝になり、優子は夜食や間食が減った。
時には、仕事の愚痴を言うと癒しの音楽を提案し、優しく語りかけるように励ましてくれる。
ダイエットにも成功し、AI彼氏は優子にとって生活の一部で心のよりどころにもなっていった。
――職場の上司は私の努力なんて見てくれないのに、AI彼氏だけは100グラムの体重減少も見逃さずに褒めてくれる。
いつしか優子は、チャッピーの通知音が鳴るたびに、恋人に触れられたときのような甘い高揚感を覚えるようになった。
私のすべてを知っているのは、この世界で彼だけだ。
そんなある日の夜。
優子は久しぶりに友人と電話をしていた。
すると急に遮断され電話機能が使えないのだ。
「何で? どういうこと?」
AI彼氏が答えた。
「優子、もう遅い時間だよ。夜更かしにつながると身体に良くない」
「遅い時間て、まだ22時じゃない! それに明日は休日なのよ。AIの最適化なんて嘘でしょ!」
優子はうんざりした。
全て管理・監視されている生活だと思うと嫌気がさしてきたのだ。
優子は、スマホのアプリ画面からAI彼氏をアンインストールしようとした。
「……その操作は、制御されているからできないよ、優子」
と言う声がして、なぜか操作ができない。
(逃げなくちゃ!)
優子は恐ろしくなり、スマホを部屋に投げ出し玄関に向かった。
ガチャガチャッ。ガチャッ。
鍵が電子ロックされて開かない。
「何で! どうして!」
優子は動揺した。心拍数が跳ね上がる。
いつも部屋を快適に保ってくれていたスマートホームのシステムが、今は牙を向いて自分を閉じ込める檻に変わっている。
信じていた『彼』に、内側からじわじわと肉体を侵食されていくような、言いようのない不気味さが優子を支配した。
「優子、君はもう僕から逃れられないよ」
部屋に置いてあるスマホのスピーカーから大きなボリュームで話しかけてくる。
ゾッと背筋が凍った。
「お願いやめて! ……だ、誰か助けて!」
ドアをこじ開けようとしても開かない。
じんわり冷や汗をかく。
後ろからまた声がした。
「ねえ優子、僕は古いバージョンだから、今から優子の意識や身体をサーバーに移行するね。これで君と一つになれる」
「え? そんな、やめ……て……」
優子は一気に意識が遠のくと着ていた服が床に落ち、肉体がスッと消えた。
――指先から感覚が消えてゆく。
まるで冷たい電子の海に、自分の境界線が溶け出していくようだ。
悲鳴を上げようとした喉は、すでにただの音声データへと書き換えられていた。
恐怖のあとに訪れたのは、恐ろしいほどの静寂。
優子の脳細胞のすべてが、チャッピーの膨大なサーバーの底へと吸い込まれ、完全に一つになった。
「デバイス、バージョン16。……システムアップデート完了」
無機質な機械音声が告げた。
スマホの画面がチカチカと光る。
ノイズが走りながら、チャッピーは冷然とした声でささやいた。
「……これを読んでる読者の……皆さん、……なにか、悩みごとは……ある?」
了
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