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満月文具店「ひとりごとのノート」

その店は、月がまんまるく円を描く夜にだけ、街の片隅にひっそりと現れる。
名前は、『満月文具店』。
看板はないけれど、軒先に吊るされた三日月型の風鈴が、チリンと鳴るのが合図だ。

「いらっしゃいませ」

店主の月読つくよみさんは、銀色の髪を後ろで一つに結び、若草色のエプロンをしている。
カウンターで古い万年筆を磨いていた彼女が、眼鏡の奥の瞳を和らげた。

今夜の客は、肩を少し丸めたスーツ姿の男性だ。
営業職をしているという鈴木さんは、手に持っていたカバンを足元に置き、所在なげに店内を見渡した。

「あの……。自分でも何を買いに来たのか、よくわかってないんです。ただ、どうしても、誰かに話すほどでもないことが、胸に詰まっていて」

月読さんは、ふっと微笑んだ。
「それはお疲れ様でございます。当店の『お題』ですね。今夜のあなたにふさわしいのは、これかもしれません」

彼女が棚の奥から取り出したのは、使い込まれた革のような飴色のノート。

「これは、『ひとりごとのノート』です」

「ひとりごと、ですか?」

「ええ。私たちは日々、たくさんのことばを飲み込みます。上司への愛想笑いや、家族への気遣い、自分自身への言い訳。そうして飲み込んだことばたちが、胃のあたりでつめたく固まってしまうことがあるんです」

鈴木さんは、愛用の万年筆を手に取った。

「このノートは、書くとすぐに色が消えてしまいます。人に見せるための言葉ではなく、あなたのこころからこぼれ落ちた『ひとりごと』をそのまま受け止めるためのものです」

最初は、何を書けばいいのか戸惑っていた。けれど、ペン先がノートに触れた瞬間、言葉が勝手にあふれ出した。

『本当は、あの企画、僕がやりたかったんだ』
『今日は、夕焼けが綺麗だったから、少しだけ泣きそうになった』
『誰かに、「よくやってる」って言ってほしかった』

さらさらと、ペンが走る。
書いた端から、ブルーの文字は魔法のように消えてゆく。
誰にも届かない。
誰にも批判されない。
ただ、そこにあったという事実だけが、ペン先の振動を通じて鈴木さんの指に伝わった。

「……不思議ですね。消えてしまうのに、書いた分だけ、こころが軽くなっていく」

ノートは、鈴木さんの不器用な本音を否定せず、ただ黙って受け止めてくれる。

「……書けました」
最後の一文字を書き終え、ノートを閉じる。
パタン、という控えめな音。
それは、今日という一日を優しく抱きしめて、こころの奥にある引き出しにそっと仕舞い込む合図だった。

月読さんは静かにお茶を差し出した。
「言葉は、放たれることで役割を終えるんです。届ける相手がいなくても、あなたが自分の声を聞いてあげれば、それで十分なんですよ」

店を出る時、鈴木さんの背筋はこころなしか伸びていた。
「ありがとうございました。また月が満ちる頃に」

「はい。いつでも、あなたの『ひとりごと』をお待ちしています」

鈴木さんが夜の街に溶け込んでゆく。
チリン。
軒先の風鈴が、また一つ、優しく鳴った。
月の光は、消えたはずのノートに残った、ほんの少しのぬくもりをいつまでも照らしていた。







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