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ゴーユース・フィクション[3]

7月19日放課後。
『先輩夏休みの予定無いですよね』
『最初から無いって決めつけるなよ…』
『つまり無いってことですね?』
瀬戸がにやりと笑う。
『安田先生が畑の世話やってくれるって言うし、まぁ…』
『無いんですね!じゃあ明日時間ください!』
『明日は終業式だろ』
『夏休みが始まる前に言っておきたいことがあるんです!』
『今日じゃ駄目なのか?』
『今日は朝、寝癖直しきれなかったので駄目です。』
『はぁ…?よく分かんないけど、僕は良いよ。』
やった、とガッツポーズをしたあと彼女はこう言った。

『絶対明日も来るんで、約束!』

 その笑顔の理由に、僕は少し時間が経ってから気づいて顔が赤くなる。

 明日、僕はきっと人生で初めての告白を受けるんだろう。そんな嬉しいことに気づいてしまっては、この口角が上がりきった頬を元に戻すのに、まる一日はかかる。

 そのときは、明日でよかったと思っていた。



 岸先生が追いかけてくる気配は無いが、手からだくだく血を流している人間が冷静でいられる訳ない。焦ってるときほど、色んなことを思い出してしまう。
 瀬戸が隠していること。僕に話しかけてきた岸先生。瀬戸のクラスの女子が言ってた話。事実を思い返して脳味噌に詰め込んでいると、あることに気づいてしまった。

『本当にごめんね』
瀬戸の言葉を思い出す。

 悪いのは僕だった。終業式の日も園芸部の畑で待ってたら、瀬戸が来るはずだった。来ると思ってた。僕はずっと受け身だった。
「…こんなんだから、死んだ人間にすら気を遣われるんだ」
校門から出て最寄りの交番に飛び込もうとしてたが踵を返しある所へ向かう。

 お前が喜んでくれるって分かってたら、僕は小指くらいしかない勇気のカスを搾り取って
「僕も好き」とか
「付き合ってくれ」とか言ってやったさ。けど、もうそんな気持ちの擦り合わせはいらないんだろ。前から僕も好きって分かってたんだろ。

 僕が、お前にしてやらなきゃならないことに今更気づいた。

 制服の袖が肘まで赤色に染まる。僕の怪我を見て呼び止める人もいたけど、足を止める余裕は無かった。血が止まる気がしないけど、体が走ることを優先している。右手はどくどくと脈打っている。

 岸先生の担当教科は化学。園芸部のブースにやってきた女子生徒の話…冷蔵庫が、壊れて使えない。
 1階旧校舎、東廊下の行き止まり、一番奥の理科準備室に辿り着く。引き戸を開けようとすると、鍵が掛かっていた。エプロンに入れていたニッパで鍵ごと壊す。

 冷蔵庫は、おそらく壊れていない。

 開けた途端、そこには嗅いだこともない、何と言っていいか分からない説明しがたい匂いが充満していた。

 ドアを開けた小さな教室の奥には冷蔵庫があった。準備室を軽く見回すが、やはりそれ以外に『人間が入る大きさの容量があるもの』はない。考えられるのが、ここしか無かった。冷蔵庫の扉に手を掛ける。

「なんで、来たの」

どこかともなく声がした。
「無視しないで。開けないで。私には、止められないんだから。聞いて。お願い。」
でも、開けるしかないだろ。

「開けたら、一生先輩の前に出てこない。先輩が死ぬまで。」
それは、嫌だな。

でもごめん。僕は、この扉を開けるためにここに来た。だから開けるよ。
「やめて、開けないで!!!」
冷蔵庫の縁がねとっとしているようで、少し力任せに腕を引いてやっと扉が開いた。

 冷蔵庫は決して壊れている訳では無く、むしろそこに収められる最大容量の「あるもの」を、冷やしていた。冷やしていても、冷やしきれていなかったが。冷気が切り傷をなぞる。足元に大量の保冷剤がぼとぼとと落ちる。

虫と蛆、それに彼女が腰に巻いていたセーターが冷蔵庫の縁をはみ出ないように押し込まれていた。緑色のおろしたてのようだったが、ひどく汚れていた。

そこには確かに、あった、死体が。

「…死ぬってこういうことだよ。」
呆然としているとまた彼女が話しかけてきた。

「ドロドロのぐっちゃぐちゃ。せっかく爪綺麗にしたり、靴下も新品履いたのに。」
瀬戸の声が背中越しに聞こえる。立っている。理科準備室の入り口辺りに。
「嘘吐いてごめん。けど、殺されたなんて言ったら、この『死体』を最初に見つけることになるのは、先輩になるかもしれなかったから。
なんで、先輩だけだったのか。私が見えたのが。学校中探して先輩だけって。他の誰かだったら、全部話してすぐに死体見つけて貰ったのに。」

 終業式の日、岸先生は瀬戸を殺した。学校の敷地内じゃ瀬戸をどこかに隠すこともできず、担当教科の準備室にあった冷蔵庫に、瀬戸を隠した。
「あのさ、そんなもの、あんまり見ないほうが良いよ。久しぶりに可愛い後輩が出てきてあげたんだから、こっち向いて?」
「お前、ずっとここにいたのか」
「………。」

しばらく口をつぐんでいたが、少し経ってから返事をしてくれた。
「…たぶん。死ぬまでは記憶朧げだけど。終業式の日、日付が変わる前に死んだ。
休みが終わる頃にはもう見るには耐えられなくなってたな。暑かったしね、夏休み。私には臭い分かんないけど、多分くさいでしょ、ここ。」
押し込まれたときは瀬戸はまだ生きてた。死んだのは、冷蔵庫の中で。

「ふふっ。死って平等に来るだろうけど、こんな死にかたないよね」
僕には彼女がなんで笑っていられるのか分からない。「死ぬって、ただの腐った肉になるだけ。これが、先輩に好かれる女の子な訳ない。告白の返事を貰う資格なんて死んだときにとうに無い。バレたくなかった。だから、そんなもの見るのやめて。お願い。…お願いだから。」

 幽霊の自分と、死体の自分との決定的な違い。
多分瀬戸は、幽霊になってからの長い夏休みでそれを酷く実感してしまった。

「僕がどんな思いで好きになったか知らない癖によく言うよ。」
冷蔵庫の前に膝をついて手を伸ばす。

 合点がいったとともに僕は怒っていた。
「それでも僕は、会いたかったよ。待ってるだけじゃなくて迎えに行けば良かった。瀬戸は学校でずっと待ってたって言うのに。」
びくりとも動かない彼女の手を握り、拾い上げると冷たかった。
「僕だって、お前が好きだ。」
目の前にいる瀬戸は、いつもの瀬戸と何も変わらなかった。

「…あ、僕が好きなのは、もう知ってるのか。じゃあ、えっと…」
人に好きだと言ったことが無いから、その後の言葉に詰まる。
「…あはは。いいよ。充分だよ。お腹いっぱいだよ。」
「え?な、なにが…」
「私、やっと分かった。先輩にしか、私が見えなかった理由。」

幽霊は、涙が出ない、息も吐かない。けど、後ろに立っている彼女は、息をぐもらせ、目頭にこみ上げてくる何かを必死に止めようとして、結局止めることが出来ないようだった。

「見つけてくれてありがとう、私も好き」
鼻水が混じったような声でそう言った。後ろで、瀬戸が泣きながら笑っている気がした。
「ううん、違う、大好き」

僕は、やっと瀬戸に会えたんだとようやく分かって、それから、彼女の手を握ったまま泣いた。
幽霊の瀬戸にはもう二度と会えないと分かった。


10年後。

「つまり、こっち戻ってくるってことか?」
「うん、異動が決まったんだけど勤務先が実家からのほうが近くて。」
電話越しに話しているのは高校からの旧友、塚本だった。彼は地元に残って親の仕事を手伝っているらしい。
「なんかさぁ、大学卒業してから忙しい忙しいって碌に帰省しなかったのにいきなり『実家戻ります』ってずいぶんあっさりしてんな。安田とこの間商店街で会ったけど、すっげぇお前のこと心配してたぞ。」
「…そう、だね。あんなことがあったからね。」
段ボールにガムテープを留める手が止まりかける。

 あれから僕は、瀬戸の言っていた『立派な大人』になれたのだろうか。正直就職活動もこれまでの仕事も、ただ、必死に熟しただけだった。要領よくなかっただろうから家族には迷惑をかけたし、唯一の友人にはこうやって呆れられる始末だ。
 …ちなみに、大学でも塚本以外の友達は全く作れなかった。
「安田先生、元気にしてた?」
「すげぇ元気だった。正直、あの事件があってよく同じ高校で教師続けられるよなって思う。」
「そっかぁ。今度学校に挨拶に行ってみようかな。」
「そういやさ、変なこと言ってたんだよ。」
「…誰が?」
「安田が。なんか、最近学校に幽霊いるって生徒が騒ぎ出して困ってるって。」
「……は?」

荷造りをしていた手はついに完全に止まって、僕は塚本にまともな相槌すら打てなった。
「ま、それは本人から直接聞け。てか、まず戻って来たら俺に挨拶しに来い。来ないとブン殴る。絶対連絡しろ。」
不可解な言葉を残してぷっつりと呆気なく電話は切れた。

幽霊。

 あれから僕は瀬戸以外の幽霊を見ることは無かった。だから、『あの学校に瀬戸って幽霊がいたかどうか』や『そもそもこの世に幽霊なんて存在するのか』確かめる術も思いつかないまま、大人になってしまった。
 最近では、僕にとって都合のいい虚構だったのではと思い始めていた。幻覚のような、夢のような。瀬戸の死体が学校から出てきたことのみが真実で。
 所詮僕にしか見えていなかった訳だし、他の人に『実は幽霊が見えていました』と言う必要も無いと思っていた。

だが。

 いま僕の心を揺らしている、この気持ちはなんなのか。
 ねぇ、瀬戸。僕は大人になったかもしれないけど、それは肩書きだけで、正直僕のどこが大人か分からないままなんだ。あの学校に何か大事なものを忘れてきているような気がする。
 あっと言う間に10年経ってしまった。


 これはあのとき、手に入らなかった
『青春』っていう曖昧なものを手に入れる物語だ。

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