見出し画像

カノンアート 第六話

〈本当の旅 前半〉

町を出たカノン達は考えていた。と言うのも、この『オリオンの面』はとても広大で、端から端まで普通に歩いていれば優に4年はかかる。
この星は、神々が住むと言われる神淵の方向から見ると、三角錐を逆さにしたような見た目で、一つの宝石のように煌めいている。一つ一つの面でもその土地の特性は違い、それを遠くから見るとまるで一つの芸術のように見えてくるのだが、その中でも1番大きい面である正方形のような形のオリオンの面は、大きな湖が真ん中に盛り上がっており、アートの町はそのすぐそばに位置していた。
スコルピオスの面に歩いて2年。時間の歪みが多い町の人らは年月を軽く捉えるようになっていたが、やはり若いカノン達にとってはとても長い年であり、歩いている途中に道に迷っても困る、のである。これまで、転移魔法は哲学上の問題でされてこなかったが、幸運にも、魔法による移動手段は存在する。例えばカノンの母親であるコンが使ったものだ。
だが、彼女達は本を探さなければならず、しかも珍しく価値のある本は道の途中途中にそっと、存在していたりする可能性もあるのだった。

「マーテ、地図はあるんだよね。」
「流石に持ってきたよ。今出そうか。」
「お願い。」
カノンとマーテはとりあえず、スコルピオスの面に向かって歩いていた。神淵の光を頼りに、色とりどりの木の間を縫って進み、ただ山ばかり見える場所を歩いている。
「もっと計画立てて出た方が良かったかもしれないね。賢者様は何も教えてくれなかったから…。今思うと酷いなぁ」
「カノンの親も、魔法で助けられるからって、何にも言わずに笑顔で見送ってくれたもんな。山ほど食料とかハーブとか貰ったけれど。」
マーテが後ろに浮かんでついてきている荷物を見る。人間ほどのサイズもある白い模様が浮かんでいる硬質のバッグは、山の中を通っているのかと疑うほど真っさらで、思わず触れたくなるほどだった。
「とりあえず次の町に着くまでの分ぐらいは食料が持つわけだね。けれど本さえ見つけたら帰りたいな。どうしよう、空飛んでいく?」
「うーん。あ。」
マーテが指差した先には、苔で覆われているが確かに祠にみえる小さな石があった。
「この辺りにも、昔は町があったのか。確かに、そもそも道があるんだからな。」
草の生えた道か判別のつかないようなところばかりだが、確かにそこに人が住んでいる、という証拠であった。
「苔、とろうか。」
「いや、このままでもアートな感じがしていいのかもしれない。」
カノンはマーテを見た。柔らかな土の上に立つ祠は、雨風に晒されていたが、温かみを感じさせる石の色が、その悲しさを薄めさせていた。神淵の光がそこだけを舞台のように木々の隙間から照らしている。
沈黙が流れる中を葉がそよいだ。マーテは珍しく微笑んだ。
「いいよ、カノンが好きなようにすればいい。俺は思ったことを言っただけだ。」
「わかった、苔は取らないよ。花を備えておこう。だけど。マーテはアートのことをどう捉えているの。私が考えるのとは、違う気がする。だって、影のことも。」
しゃがみ、近くに生えていた儚げな細い花をそっと手折り、そばに置きながら喋る。余りにも心許ないので、空に式を書いて木の花瓶を作り、カノンは花を差し込んだ。
ピーロロと、どこかで鳥の鳴く声が聞こえる。
「…俺は、アートの町はすごく綺麗だと思ってる。色んな職人がいて、沢山の技術が集まるのだし、何より、皆美しい所に住みたいものな。」
カノンは頷き、歩こうと言葉を使わず合図で促した。
「だからさ、アートの範囲ってあの町にいると狭くなっちゃうんだよね。」
「アートの町、なのに?」
トッ、トッ、と地面を蹴る音が続くのを感じながら、カノンはぼんやりと相槌を打った。マーテは頷く。
「あそこにいると、いつのまにか『綺麗なもの』『美しいもの』しか認められないように感じられるんだよな。まるでパッとしないようなもの、醜くて酷いものは存在しないように…だけどさ、俺はある意味醜い生き物だったんだよ。」
「ふーん。」
「小さい頃は自慢ばっかだったんだよな。いや、まあ、虚栄心だけ張ってても息苦しいだろ。俺はこれができる。なんでもできるって、わざわざ言うことじゃないしな。それに飽きてくると、その感情は正しいのかって考えていたんだ。」
「えーと、何歳ぐらいで?」
「8歳かな」
「なんにも言えないな」
カノンはクスッと笑みを漏らす。自らについて自問するなんて、カノンが12歳にやったことだ。マーテが、無事、神様によって時間の歪みに関係なく成長できて良かった。
けれど、カノンはその話題が出たことに無意識に恐怖していた。これから何を言うというのだろう。
「でも、アートは美しいものじゃないんだ。」
「美しいからこそアート、じゃないの」
暖かいコートを体に巻き付ける。『神淵の沈み』が近づき、思ったより寒くなってきた。
「醜いものも、アートなんだよ。賢者が言っていることと一緒だ。」
カノンはマーテを見つめた。
「私はそうは思わない、かも」
『アートとは、己の心を使い、物事を感じ、それを己のものとして表現すること。それは美しくとも醜くとも己の分身として作られたものである』
「どこか違うんだよ。賢者はアートをそう解釈した。けれど、町の人たちを見ていると、そもそも心の中に醜いことなんてない。私たちにはさ、醜さを抱えるような心なんて存在しないんだよ。どこかで皆、お互いのことを想ってる、そんな感じがする。マーテのその気持ちも、本当はただ美しい心を裏返しただけなんじゃないかな。」
「なるほどな。だけどカノン、カノンが…おまえが恐怖で体が震えていたとき、俺は破壊したい、そう思ったんだ。そして一瞬、その感情に飲み込まれそうになった。怒りとまた別に、そういう衝動が俺の中にあった。それで何かをなくしてしまいそうな気がした。そういうものなんだよ、人間は。」
「それとアートがいう心は違う。」
「いいや。賢者は、『己の分身』、だと言っていた。俺は、それを外に現して、俺の代わりを作り、醜い感情を外に出すんだ。アートは、それができる。俺は、見るに耐えない人間かもしれないし、優しそうに見える町の人たちだって、本当は違う気持ちを隠して生きているのかもしれない。」
「それは、感情では無いんじゃないかな。しかも、人の心は、見るに耐えないものなんかじゃないよ。誰でもどんな人であっても、正面から受け止められると思うよ。それは人間は純粋な心をどこかに持っているからなんだよ。」
歩いているうちに、彼女たちが歩く道が途切れて、昔人が住んでいたであろう荒廃した町並みが目の前にひらけた。崩れた塔が真ん中に立っているのが遠くからでも見える。蔦が所々に這っていて、どこか幻想的な雰囲気を漂わせている。二人はそこで立ち止まった。
「カノンが言う通りだったら良かったんだけどな…。俺は、身の回りのもの全てをアートだと思っている。そして最近の『影』も、その目で見たらアートに感じてくる。」
「それはおかしい」
それまでは笑っていた。なのに、マーテは顔を歪ませた。
「おかしくない。俺はそう感じているんだから。いいよな、否定できて。」
「私は否定しようと言ったわけじゃないよ。ただ、違うなって思っただけで。」
「否定される方の身になって考えられないのか、カノンは。俺はそんな人なんだよ。それをカノンに認めてほしいだけなんだ。」
「でも…」
「認めて欲しいだけなんだって。ごめん。もういいよ、この話はやめよう。カノンはまだわかっていないだけなんだ。」
「…ごめん」
カノンにとってアートは、ただ、自らを認めてくれる美しいものなのだと感じていた。マーテの話を聞いていてもそれは変わらない。けれど、確かにマーテの言葉はカノンの心に曇りを残していた。
ただ能天気に生きるのもいい。けれど時に息苦しくなる時には、いつもカノンだけの美しいアートを作り出し、それがカノンにとっては全てだった。これほど一緒にいても意見が違う。カノンは、マーテが全然違う世界にいるようで少し息苦しくなった。
二人は黙って顔を合わせず町の中に入って行った。

「やっぱり町があるんだね。ここの町には、本はあるのかな。」
カノンが遠慮がちに聞くと、マーテは何もなかったかのように答えてくれた。
「あるかもしれない。けど、とりあえず暗くなってきたし今日泊まる場所を作ろうか。」
「そうだね。」
敷き詰められていたのだろうレンガが崩れている中、草が大きく存在を示している。黄昏時の橙の神淵に照らされて、倒れかけた建物が鈍く反射を返していた。木々がさわさわと風に吹かれ、その冷たさが手足を冷えさせている。美しさの中に寂しさを見つけて、カノンはマーテの言葉のことを考えた。
「もう、ここの人はいないんだね。誰も見かけない。」
「道も荒れ果てていたもんな。なんていう所だったのかは知らないけど、かなり広かったんだろうな。」
「田んぼが残っているね。子供がいなくなっちゃったんだろうな。どんどん、この世界から人がいなくなっているんだね。」
「神があんなお告げを出すぐらいだからな…」
「うん…」
「よっこらしょっと。えい!取り出せたぞ。」
「ありがとう!今日は私が魔法をかけるね。マーテは食料調達よろしく。」
「まかぜたぞー!」
カノンは笑顔で頷き、手を組んだ。そして、式を唱える。
「水。火。風。土。基礎3。その力により、守りの力を与えよ。水は情報に。火は侵入に。風は天災に。土は物体に。」
すると、マーテが取り出した何かに、薄く青、赤、緑、茶の色が混ざり大きく膨らんだ。
「開け。」
カノンが唱えると、その球体に小さな扉が現れ、周りは石のように固まって瞬く間に蔦で覆われた。
これはとても小さいものであるが、寝る場所として機能する。そして簡単には見破れないように周囲のものを擬態するのであった。
ひんやりとした赤い糸が巻かれた腕を見て、カノンは前をみた。
中には所狭しと畳のような場所と二段ベッドが置いてある。どこからか安心するラベンダーのハーブの香りが漂う。カノンはそこに寝転がった。

アート、ね。本はアートなのかな。人が住んでいる街は無数にある。賢者が言っている通り、オリオンの面でずっと探しているより、ある可能性の高いスコルピオスの面に行った方がいいのかもしれない。
あ。そう言えばまたスパイスの本読むの忘れてた。読もうかな。

真っ暗な中に魔法で焦げない程度に火をつけ、カノンは日記をとりだした。
『今、私は学問の町に来ている。ここはアートの町に最も近いらしい。とりあえず私は本を探した。…そうだ、今手元にあるから移してみようと思う。』
茶色がかった紙に、赤いインクがスッと引かれ、その本が再現された。
『どうだ、再生魔法を手に入れたんだ!すごいだろ。でだな、この本は火の属性によって複製禁止魔法がかけられている、世界に一つだけの本なんだそうだ!中にはこの鋭星の歴史が書かれていて、読んでいて面白かった。だが、この町では重要な物なのだそうなので、また真ん中の建物にある玉座に戻した。ただいつかは図書館に渡したいのだそう。そのいつ、はお告げが降りるらしい。すごい本なんだな。宿はアートの町のガラスを渡すと貸してくれた。荷物のトランクを机代わりに浮かせて、今書いている。』
その絵に触れると、ふわりと情景が浮かび上がった。楽しそうなのにどこか寂しげな町の人々、沢山の本がずらりと並ぶ街並み、真ん中に位置する仕掛けのある塔…
カノンはその瞬間、その町がここであることに気づいた。300年前とは似つかない見た目になっているが、確かにその塔は見えていた。
「うわぁ」
カノンは思わず立ち上がり、頭をぶつけた。
丁度、外からマーテが帰ってきた頃だった。

「何やってるの?」
マーテがどこか笑いながら聞いてきたので、カノンは少し不機嫌になった。
「凄いこと見つけたけど、教えてあげないどこうかなー」
「じゃあ俺も料理しないでおこうかなー」
カノンは睨んだ後、笑ってしまった。
「いいよ、ありがとう。先に今日は何とってきたか教えて!」
「わかったよ。あのさ、最近はさ、あんまり大きな生き物見かけないじゃん。だけど、ちょっと奥の方に入ると大きめの鳥と卵がいたから、ちょっと拝借してきたんだよね。」
そう言って、すでに息絶えそうな白い鳥と、5つぐらいの卵を持ち上げた。
「あ、それってワニ鳥じゃん…卵産んでくれるし連れて行かない?場合によっては成長してくれるかも。」
「ああ、そうなんだ。見分けがあまりつかなくてさ。結構綺麗な鳥だな。」
「命はちゃんと守れるようにしといてね」
苦笑しながら、カノンは周りに落ちている木を組み立ててそこにワニ鳥を入れた。そして、巨大な荷物を入れた白いバックの中から乾燥したジャギイモとノコ、野菜達と、ため息が出るような光の屈折を作っている、ガラスの容器に入ったいくつかのハーブを取り出した。

空はすでに暗くなり始め、黒に少し青を混ぜたような広い空に、満天の星たちが顔を出していた。二人は更に上に服を羽織り、料理しながら話した。
「実はさ、この町は昔、学問の町っていうところだったらしいんだ。」
「へえ、なんでわかったの?何か落ちてた?」
「ひいおばあちゃんの日記に載ってたんだよね。ちょうど読んでいるところに。」
「…ふうん。」
マーテは小声で呟き、魔法で出した火の上に鍋を置く。そして、いつの間にか取り出した簡単な組み立て椅子の上に座ると、野菜を空中に浮かせて見えない速さで切っていった。
「それってさ、先の方は読めないの?俺たちの役に立つかもしれないだろ。」
「それがね、なんか警告が出てくるんだよ。マーテ、読むの早かったし、もう代わりに読んじゃってもいいよー」
「じゃあちょっと貸して」
そういうと、マーテは『グローブ』と私たちが読んでいるあの球体の中に入っていった。
その間にと、私はいい感じに水気が戻ったジャギイモとノコ、色とりどりの野菜を良質の油をかけて炒めていく。いい匂いがしてきたところで、とっておきのハーブ…コショーを入れた。
「岩塩は大切よね…」
そう言ってごそごそと調味料が沢山入った袋を探し、奥に入った岩塩のミルを一振り。満足、もう食べたいな、と思っていると。
奥の方で何かが揺れたと思うと、黒いモノが飛んできた。
ああ、またか…
一つため息をついて、魔法を唱える。
「闇の魔法よ、力を!暗闇、現世の形を、今、闇に。」
まさに襲い掛かろうとした影を魔法ですぐに止める。そしてそのまま、形を変えるように影は空間に消滅した。最近襲い掛かられる量が増えて、既に慣れてしまった。カノンは魔法の残り香を吸う。最近、イメージしながら魔法を使うとハーブの香りがするようになり、カノンは魔法が更に好きになった。命の危険は沢山あるが。

マーテが戻ってきた。
「さっき影がまたきてた。」
「え!ごめん。俺ちょっと本を開こうと躍起になってて…」
「いや、もう消滅させたから大丈夫だよ。てか本開かなかったの?」
「なんだか、お前は部外者だから開くな的な、圧力を感じたんだよな。それでも頑張って開こうとしたら極端に手が震えて開かなかった。」
「そっかぁ。」
カノンは皿に出来上がったものをよそいながら頷いた。
「私はひいおばあちゃんの血を受け継いでいるものね。あんまり、血がなんだとか運命が何だとか言いたくないけれど、私たちは何処かで役割を強いられているのかもね…っと、よし、食べよ!」
「たべるか。というか、さっきからワニ鳥が謎の声を出しているけれど」
「成長するハーブでも食べさせたらいいんじゃない。お腹いっぱいになるでしょ。」
二人は一口運び、思わず頷いた。
「卵が美味しい。卵がうまい。これは卵のおかげだ」
「家から持ってきた食材たち優秀すぎだなぁ」
二人はがっつきながら食べ、カノンはコッコーと鳴いているワニ鳥に成長する美味しいハーブを与えた。
「…寝るか。」
「…そうだね。」
火を全て消し、場を暗闇に戻す。星空に未練を残しながら、いや、睡眠は取らねばとグローブの中に入ろうとした時、カノンはふと後ろを振り返った。
「あ。」
あの塔が、ぼんやりと緑色に光っていた。カノンは目をこする。
光は消えていた。

星を割らなければならない。その星は鋭星。どう割るのか、どう割れるかもわからない。ただ、身の中に潜む戦闘用の魔法が今にも喉から出てきそうで、指から迸りそうで、それを抑えていく、しかない。
きっとそうだってことはわかっている。他の人には使えない、この魔法が…