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カノンアート 第九話

〈赤色の憂い 中間〉

「ダイズさん!スカイをありがとうございました。これから私たちは船に乗ります。」
「そうか。空は飛んでいかないのかい?」
「ええ、知らないのか?他の面に移る時、その境で地に足をつけ、魔法を唱えなければ、ずっと同じ面の重力を受け続けてしまうから空を飛んで行ってはいけないことを!これをもし失敗すればあるのは宇宙の空間だけ。」
「いや、冗談だって。あたしだってそれぐらい知っているよ。マーテ解説ありがと」
ひとしきり笑い、二人と1匹はダイズに別れを告げた。スカイはなぜか艶やかになった羽を自慢げに伸ばしている。手を振って少しだけ空を飛び、彼らはこの町の港へ到着した。濃い潮の香りが漂い、海がゆらゆらと揺れている。海岸にブロックが積み重なり、夕刻へ近づいてきている町の景色を美しく彩る。
「船、乗せてくださいー!スコルピオスの面行きはありませんかー?」
「今から出港だよー!乗るなら乗った乗った!ええと、2人と1匹だね?お代は後でもらうよ。ほらほら早く。」
「えええ!はやっ!」
あせって全力で走り、船までの渡りを駆け上って、大きく帆を張った甲板に乗り込むと、汽笛を鳴らして、船はすぐに動き始めた。
「この船の名は『ライン』。約5日ほどでこのオリオンの面とスコルピオスの面との境目に到着する。これからよろしくな。ええと、名は?」
「あ、カノンです。で、マーテと、スカイ。」
マーテがぺこりと頭を下げる。見るからに逞しいお兄さんが大きく笑った。
「そうかい。オレの名前はセイルだ。んで、寝床や食事やらのお代なんだが…」
その青いズボンから、彼は紙を取り出した。腰に手を当てながら額にしわを寄せて小さな字を読む。
「この船にいる間に、今1番だと思えるアートを作ってくれ。お題は『故郷』だそうだ。あとは、船の手伝いをしてくれよ?」
そう言われ船を見渡すと、何十人もの人が動いているのが見える。どうやらその半分ほどが乗組員で、船を動かしているようだ。下に降りる場所もあり、辺りには少し湿りを帯びた風がそよいでいる。何よりも迫力があるのは、一方を除いてあたりを取り囲む海と、はるか遠くに見える鋭星の縁だった。ここまで遠くを見渡しているのに、どこまでも海が広がる。さっきは焦っていて何か感じる暇がなかったが、初めてすぐ近くで見る海はとても迫力があってそれでいて、包み込むように優しかった。
カノンが辺りに気を取られている間に、マーテが言う。
「アートなんかでいいんですか?僕たちは未熟者です。そんなに上手く手伝えるとは思えないんですが。」
「にいちゃん。それはアートをちぃと舐めてますぜ。アートはこの世界の原動源。その昔は…特に王が収めていた国なんかはお金というものが人々の間にあったそうなんだが…それはな、人々が自分らの間で価値があると思い込むことで効力を発揮したんだよ。昔はその母数は大きかったから、個人が拒もうとしてもその空想はそのまま定着していた。」
スカイが跳ねている。その度に船が揺らいでいる。
「だがな、対価として発揮するには今の時代では難しいね。1000年前だったらまだ行けたかもしれないが、お金はその場にとどまっちゃあいけない。くるくる回り続けた方がいいって言われたらね、今の人たちは価値を見出せなくなったんだよ。どんな人でも己に得なものはずっと持っていたいものさ。でもアートは違う。価値はあるし、無駄にくるくる回るわけじゃない。感情に直接働くんだ。それが欲しいと思う人はその為に、生み出したいと思う人はその為に動くことを神に認められたんだよ。それがアートの素晴らしさだぜ。」
セイルはふぅ、と汗を拭った。マーテたちはポツンと突っ立っている。
「すまん、喋りすぎた。まあとにかく、アートはすごいってことよ。いいアートを期待してるぜ。」
カノンたちが話の意味を咀嚼しようと試みている間に、後ろから小さい子供が、暖かそうな袖をなびかせて走ってきた。
「おきゃくさんはこちらへきてくださいー」
下へ続く階段に導こうとするが、よく考えてみればスカイはとても大きいのだ。
「フガッ」
入ろうとして詰まったので、急いで魔法で取り出した。
「スカイはここで座っていてね。」
カノンたちは、白いバッグを従えながら下に降りて行った。天井には水色や緑色の目に優しい色が、まるで本物のような植物を描き出している。
「すごい…」
「すごい?すごい?これ、前のおきゃくさんがアートとしてかいたの!きれいなの。」
女の子が飛び上がって喜んでいる。上着を腕にかけて、白いワンピースを着たとても涼しげな格好になった女の子は、ゆら、ゆらとかすかに揺れている船内を案内してくれた。女の子は、ある部屋の前で足を止めた。
「ここです。」
扉の真ん中に鋭星の逆四角錐の絵が描かれている。まるで手に触れられそうな近さだ。手をかけてこちらに引っ張ると、中には広い部屋が広がっていた。そして壁には、なんと丸い窓が付いていて、外には海の中が見える。
「すっごい。」
カノンはマーテを押すようにして中に入って行った。

それから3日、何事もないように船は進んでいった。だが4日目にあることに気づく。
「あれは雨雲では…」
「なんと!しかしおかしいな。あんな低い位置に雨雲はできない。まさか…」
海面を真っ黒に染め上げるように、嵐が近づいてきた。ザザザと雨が降り、ほとんどの人が部屋の中に入る。だがカノンとマーテは船を手伝っていた。
「これでっ、大丈夫ですか!」
マーテが船の周りに膜を張っている。魔法で水を気体へ変化させる「水」属性の魔法だった。
「あんがとよ。」
他の人たちが帆をたたみ、急ぎ何かを伝えている。…とそこに、空から何かが降ってきた。
「?」
カノンはそれを拾う。何か手紙なのだろうか、瓶に入ったそれを取り出して広げる。
『赤いブレスレットをつけた少女一行を通すな。』
たった一行。それだけでカノンは理解した。アートの町の長に貰ったそれは悪天候だというのに、腕の中でギラギラと輝いている。
「マ、マーテ」
マーテにそれを渡す。さっと読むとマーテは顔を険しくして、船長の所へ歩いて行った。カノンは顔を青ざめさせながら船長を見た。
「そうか…やはり人為的なもの…セイル!お前はスコルピオス出身だろう!何か知ってないか?」
大きく雨が横に裂けている中、二人は目を見開いた。セイルが走ってきて、紙をみる。会った時よりも更にしわを寄せたセイルはこちらを困ったように見た。
「本当か…じゃあこの二人はあの呪われし宝石の所有者ってことなのか。その腕輪はじょうちゃん、強い魔法が使われた時、周りの魔法を吸い込んで無効化していんだよ。それで必ずどこかでそれを撒き散らす。オレたちスコルピオスの住民は特にこの世界でも魔法に頼っている部分が多い。その分、この宝石は災難とも言っていいほどだった。今も語り継がれているんだ、お告げとして…」
セイルは船長の方を見て言った。
「こいつらはスコルピオスの面に行かない方がいい。この二人と連れの1匹は一回、隣の如法暗夜の面に連れて行くべきだ。」
「い…いや、それは流石に危険じゃないか?あそこは命を落とす者が多い。少し考えた方が…」
セイルは勢いよく言った。
「いいですか、船長。他の客を巻き込んで、万一でもうちで死傷者がでたらどうするんだ。この二人は見ての通り、魔法を制限されるような腕輪をつけていても莫大な魔法が使える。きっと生きていけるよ。だから…お願いします。」
彼は3人に頭を下げた。カノンはもう何が何だかよくわからなかった。この腕輪はあれから、外そうとしても外れそうになかった。あの町長は何を企んでいるのか。この魔法のエネルギーを集めて、何をしようとしているのか。だが胸の中にはやはり、裏切られたという気持ちが渦巻いていた。

船は進路を変更し、如法暗夜の面とスコルピオスの面の境へと向かっていた。余計に5日かかるらしいと聞き、二人は騒ごうとするスカイをなだめて船の中にこもりアートを作っていた。
「故郷か。お母さんお父さん元気にしているかな。」
「俺はいないんだけどなぁ。まあ、カノンの家が俺にとっての故郷みたいなものかな。」
二人は協力して部分を作り上げていく。赤い糸が不気味に光っている中を、二人の魔法が通り抜けた。
「明るくて、優しい。広くて、暖かい。開放的で、活気の良い。」
「静かで、落ち着いている。ひんやりとして、爽やか。包容力がある。」
彼らが言葉を唱え、その度にイメージするように、形が具現化していく。元にバジルの葉とモロコシの種を置いていたアートは、球体となって浮かび上がり、中に世界を閉じ込めたかのような立方体を浮かばせている。その立方体は緑の葉が蔦のように絡み付いて、間を水が埋めている。球体と立方体の間にはキラキラと輝く何かが回っている。カノンが恐る恐る表面に触れると、それがトリガーになったかのように黄色い小さな球体が中に浮かんだ。それは立方体の周りを回っている。
「きれいだな。」
「うん。」
世界のような見た目をしたそれが、カノンには儚く感じられて、それがとても怖かった。すぐにでも壊せる、小さな脆いアート。まるでこの世界みたいな…
「暖かそうな場所だな。まあでもこれから行くのはかなーり寒い場所なんだけどな。」
マーテは中を覗き込んでいる。そういえば誕生日もそろそろだったなと、カノンは思い出した。季節はすでに、ルハの中旬ごろだ。マーテはルハとツナの間に生まれた、らしい。
「着こんでいこうね。最初に凍死する可能性は冗談じゃないものね。」
カノンは笑って返す。と、扉がノックされた。
「ご飯の準備ができました。」
二人は時間を確認した。もう夕刻だった。

「とっても美味しそう。」
食堂にて。カノンとマーテはバッグの中で、新たに育っていた幾つかのハーブを持ってきた。
大きな木製のテーブルが、沢山の食べ物に彩られている。ゆら、ゆらと地面が微かに揺れるのを感じながら、カノンは天井を仰いだ。
綺麗な光、どこまでも青い窓は、まるで昔の王が乗っていた船みたいに場を煌めかせている。外から見るとこんなに大きな部屋が入るように見えないのに、どうやらそれは部屋の配置で解決しているらしい。
がやがやと人々が談笑している。中には船旅が長引いてカノンたちに怒っている人もいるだろうに、誰一人としてこちらに厳しい顔を向ける人がいないので、彼らはとても感謝していた。
「今日のハーブです。このパスタには多分、このハーブ、このスープはこれ、肉に添えたいハーブは…」
アートだけでは申し訳ないとハーブをご飯に持って行った最初の日に、なぜか物凄く歓迎されたので、それから毎日、食事のたびに持参している。
「いやー、うちの料理人も確かに腕はいいが、やっぱり料理にスパイスは欠かせないね。」
船長が近づいてきて微笑む。
「本当は一緒にスコルピオスの面に乗り込んで、それこそ貿易をしてほしい程なんだけど、そういう訳にいかなくなっちゃってごめんな。」
「貿易…?」
「ああ、この世界には、山には滝が、海には港が、平地には農地と産業の街が広がっている。集落に分かれており、貿易は神を介して行われる、つまり神に誓って行われるため、争いが起こらない。基本、物々交換でやっているんだ。君たちのハーブは、どこでも重宝されそうなんだけれどね。」
「あー。」
カノンはニヤける。
「うちは世界でも、珍しいハーブも育てていますからね。まあ普段は使わないんですけれど。」
そっと首にかけたペンダントを触る。珍しいハーブの一つが蒼くひかって光っている。
と、若い女の人が近寄ってきた。その目が完全にハーブに釘づけている。
「あの…そのハーブは、どちらで手に入れたのでしょうか。」
「ええと、私の家です。」
みるからに落胆した女性をみて、カノンは慌てた。船長がそっと離れていくのを見て、カノンはとり直した。
「あの、何か気になるハーブがあるんですか?」
女の人はパアッと笑顔になり、早口で捲し立てた。
「あのですね、私は植物研究家でしてね、世界中の植物を見て研究し、本にまとめているんですけれど、あなたの植物は見たことがないものばかりなんです!歴史の中では植物や生き物など、食用にされる魔法はこの星鋭星の重さの均衡を変えてしまうと禁止されてきましたが、その合成や改良は許可されてきました。私は各地を巡り歩き、その特徴を全て書き記しています。どんなふうに作られてきたのか、どこに何があるのか、知りたいことがあればなんでも調べる!それが私の指針というか、まあそれで、あなたのハーブがとても気になったんです。」
「はぁ。」
「あ、なんなら、如法暗夜の面にも私は行ったことがありますよ。だから、それについて説明する代わりにそのようなハーブを少し分けていただくことは…できないですか?」
カノンはマーテを呼んだ。ご飯を食べにきた人たちにハーブを配っていたマーテは、目を細めてこちらに近づいた。
「それは本当なのですか?この星の中でも如法暗夜の面は特に危険が多いと聞きますが。まあどちらにせよその本には興味があります。そもそも俺たちの目的は本を集めることだ。その本を複製させて貰えるのなら、ぜひ協力させてください。」
「わかりました!あっ、私はボタニーといいます。ええと、カノンさんとマーテさんですね?如法暗夜の面について行くことは出来ませんが、それまでよろしくお願いします!」
そしてしばらく、食事の談笑は続いた。

「如法暗夜の面には、一時間ごとになんとも言えないような儚い色の光が、何本の道に現れるんですよ。それはね、とても美味しい、ンゴの実なんです。それを求めていろんな生き物が住んでいます。それが光らない時は本当に暗かったです。神淵の光が最も届かない面で、横から残光に薄く照らされているだけなんですよ。あとね、本のなる木がたまに生えているんですね。」
「本がなる木!?」
ボタニーは細く白い手を組んで、視線を彷徨わせた。ここはカノンとマーテの部屋だ。
「ええと、お二人は本を手に入れようとしているんですよね?この世界に、人間に危害を加えるものはそんなに沢山いるわけではないんですけれど、星の第五面に潜む生き物は白く光って人間を惑わすことがあります。そしてガブリとなって終わります。白くて幻想的な生き物が多いですけどね。本がなる木から本を取るのは、リスクが高いです。そういった生き物が、取ろうとした瞬間に牙を剥いてきます。とったら大丈夫なんですけれど…」
「中身はなにが書かれているのですか?」
マーテが少年のようなわくわくした顔をして問う。実際まだまだ少年ではあるが。
「他の世界の話とも、この世界の真理とも言われています。おそらく、面の真ん中にある〈ワールド〉と呼ばれる木にはそういったものが生ります。他の木はそこまで守りが強いわけではありませんが…」
ボタニーはそこで話を切った。そして姿勢を正し、真剣な顔をして言った。
「如法暗夜の面には、番人がいると言われています。強い使命を持った者に対して、彼らは謎を問うと。お二人も気をつけてくださいね。」
と、暖かいハーブティーが注がれた。その匂いを大きく吸い込み、カノンは優しくボタニーの前に差し出す。
「ありがとうございます。どうぞ、私の家特製のハーブティーを召し上がり下さいね。」
ボタニーは一口、そっと口に含むと笑顔になった。そしてその勢いのまま早口になった。
「美味しい!このハーブはなんと言うのでしょうか?ラベンダーを少し入れていますね?私は独り身なのでどうと言うことはないですが、この優しさは、そのまま檻の赤ちゃんにも分け与えられそうだわ。思い当たるハーブはたくさんある。もしかして、隠し味にあれを入れてたりして…いやあれか?」
ボタニーは一心不乱に本をめくった。
「このハーブですね!」
「あ、正解です。これは『七つの王』と呼ばれるハーブの一つ、『炎』を入れています。他には氷、嵐、地、雷、夜、麗があります。」
「そうです!魔法の属性を閉じ込めたハーブはとても希少。それを育てているそちらのお家はさぞ凄いでしょうね。」
カノンは嬉しくなって何度も頷いた。