カノンアート 第五話
〈手に入るようで入らないモノ 後半〉
カノンは朝起きたとき、自分がどこにいたのか一瞬わからなかった。たび…旅の準備…じゃなくて。天井を見上げると、魔法を覚えたてのころに頑張って作った綺麗な氷の電球が下がっている。
「もう、15歳か…」
カノンは起き上がり、階段を降りていった。重厚な作りの壁が、手のひらに冷たさを伝えてくる。
ふと前を見ると、マーテが立っていた。マーテは少し顔を背けながら、
「おめでとう。」
と言った。カノンはマーテの顔を覗きこもうとしたが、避けられる。カノンはあることに思いたち、急に気分が落ち込んだ。
「そっか…今日から命の危険にさらされるわけだ…私が生きていなければ、マーテも危険な目に遭わなかったかも知れないのに」
「…」
マーテが顔を上げ、無言でこちらを見つめる。
「ごめん…」
「そんなことない」
「そうだよね…えっ?」
「俺はそんなこと思っていない。カノンには生きていてほしい。お告げなんか関係ないし、この世界はカノンが必要なんだよ。俺が思ったのは、そう、いつかの時のためにも俺と一緒に成長してほしいのに、これからは、俺の成長が追いつかない…かも知れない…から……」
マーテが珍しく怒りを表し、本音を語ってくれたことに対してカノンは驚いた。そしてカノンは、微笑んでマーテに近づいていった。
「大丈夫。私たちは一緒にこの星を運命から救うから。マーテも成長するよ!身体的にも、精神的にも、ね!」
「今は未熟だって言うのかよ」
「いやそういうわけじゃないけど」
2人でひとしきり笑い、カノンはあることを思い出した。
「そうだ、旅!」
「旅?」
「ええと、あのね、昨日スパイスさん…ひいおばあちゃんの日記を読んで、旅に出ようって思ったの」
「まず理由を教えて。どういうことなの。」
カノンは手を叩いた。
「待ってて、とってくる」
ドタドタと階段を上がると、手前側には古い鏡がかかっている。カノンはそこに映った自分の姿を見て苦笑した。一目で寝巻きとわかる服装、ボサボサの頭、オッドアイの目は半開きだ。肩にかかる髪の毛を手で梳かしながら、カノンは机の上に置いていた日記を手に取った。
自分の部屋を出ると、丁度バジルが外に出てくるところだった。
「ああ、お誕生日おめでとう。もう何歳か?14歳だったか」
「いやいや、15歳だよー」
「そうかそうか、じゃああのお告げの日には…ああ」
バジルは一瞬真顔になった。だがすぐに笑みを浮かべる。
「まあ、今日まで生きてきてくれて嬉しいよ。オレの自慢の娘だな。ああそうだった、今日はユフ、の季節のハーブを収穫しないと!じゃあな」
バジルはドスドスと降りていった。小声でカノンはじゃあ、と言いゆっくりと下に降りた。
「旅、か。それが俺たちの運命を変えるかも知れないんだな。」
落ち着いた頃、2人は着替えて話し合っていた。コンはもう出勤したようだった。
「そう。どんなことであっても、行動する方が早いでしょ。私は親に許可を取る自信があるし、2人で『星を割らない方法』を探したい。」
マーテはうーん、とうなった。『ファ』という、魔法で作る柔らかくかわいい見た目の椅子に座っていたが、そこから本棚に手をつく。
「名のない賢者の判断は聞かなくていいのか?」
「あっ。そうだった。賢者は今の時間は魔法のトレーニングをしているだろうから早く行こう。」
そこで、2人は急いで走っていった。玄関で靴を履くのさえもどかしかったが、カノンはなんとか内側のデザインが凝っているかんぬきを抜くと、厳めしく優美な扉を押し開け、外に飛び出た。
「君たちは自分の立場というものをわかっておるのかね。場合によっては命を失い、そのせいでこの星が壊れる可能性もあるのじゃ、簡単には許可できない」
賢者に思いついたことを伝えた時、賢者は開口1番にそう言った。
「それでも、お願いです賢者…様。私はただ、星を救う手段を見つけたいだけなのです。これまでに町の図書館などや人の話を聞いてきましたが、この町だけではわからない。賢者様は『世の真実』を教えてくれるのではないのですか?私は言われた通り、魔法の技を磨いてきました。それではだめなのでしょうか」
賢者は俯き、先ほど作り出したように見える、小さく妖精のように美しい笛を手で転がした。
「覚えておるか。私がアートとは何かと問うたことを。小さくて覚えておらんかも知れないが」
「俺はわかる。『アートとは、己の心を使い、物事を感じ、それを己のものとして表現すること。それは美しくても醜くても己の分身として作られたものである。』そういうように言っていたと思う。」
「そうだ。アート、それを己の中に見つけてからでなければ、己の『芯』が揺らいですぐに、この世から消えてしまうじゃろう。」
「消える…」
「そうだ。私も、最初己のアートを見つける前に旅に出て、ものの3日で命からがら帰ったことがあるかのう」
賢者がいきなり真剣な顔でそう言い出し始めたので、カノンはプッと吹き出した。
「なんで笑ったんだ」
「だって、3日って…あの賢者様が?」
カノンがお腹を抱えて笑い出す。賢者は不貞腐れたように答えた。
「はるか昔の話だよ。とにかく、自らを命の危険に晒していくことには覚悟が必要なんじゃ。君らにはまだ早い。とにかくそのことについてはまた今後じっくり話そう。ほら、帰った帰った。」
「わかりました」
マーテがカノンの首を掴んで連れていく。カノンも少しがっかりしながら歩いて行った。
本当はわかっていた。スパイスさん…ひいおばあちゃんみたいに旅をして、世界を救えたらかっこいい、とか考えていたこと。でも、その行動自体が命にも関わることに繋がる。いつ、危険が訪れるかしれない。私には、とてもお告げは重荷だ。そんな不安を紛らせたいがために、私はただ、無謀とも言えるようなことを思いついては、それを行う空想ばかり膨らませ、マーテにそれを逃げるように話していた。
どんなことがあっても、覚悟をしなければならない。本当は祝う日なのだと思いたくても、お告げはそれを許してくれない。大丈夫なのか、そんな思考ばかりが頭を駆け巡ってばかりいたが、夕方にもなると気が緩んできていた。
もう、いいや。
美しい夕暮れが町を覆う頃、ハーブをしゃがんで見つめていると、背中に何かが当たった。
最初はマーテかと思った。でも違った。振り返ると、目を凝らさなければわからないような小さな影が、拳を握るように写っていた。
「なんだろう、これ…」
カノンは、そっと近寄ろうと、した。
その瞬間、影はとても大きくなり、実体はないのにまるでそこにあるように大きくなって、カノンに存在を認識させた。
カノンは本能的に後退り、言葉で魔法を放った。
でもそれは影をすり抜けていった。影は段々と近づき、カノンを捉えようとする。魔法も効かず、ただ、影は勝ち誇るようにカノンを痛めつけようと拳を挙げた。
あたりには誰もいない。少し町から離れているカノンの家は、とても静かな場所だ。
怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い……
魔法を放ち続ける。どこかで何かが爆発した。一つとして影に届かない。さらにカノンはもう一歩後ずさった。
これまでカノンは『怖い』、という感情は分かっているつもりだった。相手に対する恐怖。喧嘩などほとんどしていないし、家族と行き違ったこともない。けれど、常にお告げの不安は付き纏い、カノンはそれを恐怖だとも考えていた。
でもこの影は違う。ただ、危害を加える対象にカノンは含まれていて、そこにはなんの感情もないのだった。
カノンの中で恐怖は限界まで膨れ上がった。魔法を唱える声が掠れる。
「闇、基礎3、変換…ま…」
「闇の魔法よ、力を!暗闇、現世の形を、今、闇に。」
影が抵抗するように大きくなったかと思うと、薄れて消えて行った。
カノンは振り返った。
そこには無表情なマーテが手を大きく掲げていた。
カノンは思い出した。最初はマーテが何も答えてくれず、ただ不貞腐れたように、でも無関心に突っ立っていたことを。それでも段々と気持ちが融解するように、彼女たちは距離を縮めていた。
そう。最初は笑ってくれず、抵抗するように魔法を仕掛けられてばかりいたが、それは成長してくるとある時を境にしてなくなった。カノンに対して、感情が薄く、ただ軽い敵意のようなモノを持っているように感じられたマーテだったが、カノンが魔法で、自分の魔法で死にそうになっていたマーテを助けた時、小さい声でこう言った。(この言葉の術と単語を、一緒に考えてくれる?)マーテはその時からカノンを信用するようになった。どうやらそれ以前から言葉の研究をしていたようだった。
2人とも、全然何もわからない子供だった。だけどこの時、間違いなく二人は絆というのを知った。
「あれは、なんだったんだろうね。」
「影。危害を加える者。実体を持たない幽霊。なんとでも言えるんじゃない。まあ俺が退治したから気にしなくてもいいだろ…。今日は、誕生日なんだからもっと楽しみなよ」
家のファに座り、カノンはひっきりなしに手をさすっていた。暖かい家で、二人で話し込む。
「でも、怖いって、思った。綺麗なもの、美しいもの、アートなモノにしか囲まれないで、私は他のものを見ないできちゃったのかな。その存在を知らないと言うのは、残酷で、危険なのかもしれない。そんな私に今日から重い責任があって、それは私があの檻の中から生まれた日であって…」
マーテは自らの赤みがかった髪に手をやった。
「いいんだよ、そんなに深く考えないでも。それに俺より年上なんだからもっと堂々としてなよ。俺より沢山のことを知っているんだから。」
「頭はマーテの方がいいよ…」
「まあ、でも魔法はカノンの方ができる、だろ?」
「…。」
カノンは片手で耳を弄んだ。目が少し泳ぐ。
「私はね、さっき大規模魔法を使っちゃったの。普通だったら使えないはずの。それでも勝てなかった。」
「カノンは特別だからな。俺も使ってみたいけれど、新しい式を作る方が楽しいかな。別にいいじゃないか。」
「マーテ、さっきから饒舌だね。」
「…」
マーテは不意に無表情になってカノンを見つめた。次の瞬間、ふっと笑う。
すごく綺麗な笑みだった。
「まあ、遠慮してるってわけよ。普段、こんなに喋っていたら、せっかく才能があるのにカノンは俺に頼っちゃうだろ。でも今はいいんだよ。」
「あ、そう…」
「でさ、さっきのアレなんだけど、初めて使った呪文でさ、正直不安だったんだよな。だけど間に組み込んだ闇がさ、どうやら……」
話は続いている。だけど、私は目を背けることしかできなかった。
その日から段々と、影が出てくる頻度が増えて行った。最初はコンとバジル、賢者にも話していたが、慣れてくるにつれ対処も楽になっていったので、あまり話していなかった。とりあえずは旅のための勉強に集中しようと、私は図書館通いをしていた。
いつの間にか忘れていた日記のことを思い出したのは、それから3ヶ月経ってからのことだった。
『ああ、今思い出した!そういえば試しに忘却呪文をかけていたのだが、思ったよりも効果が強かったようだ。私は3ヶ月ほど日記のことを忘れていたな。今解除しておくよ。そうだ、その間についにアレを手に入れたんだ。』
私は深いため息をついた。このひいおばあさんめ…
『水に魔法の蝶を溶かすものが、旅をしている途中の町に売っていたんだ。とても美しくて、なぜか呼ばれたような気がしたんだよ。いつの間にかウチの街のアート一つと引き換えに、それを手に入れていたんだ。よく考えたら、これを手に入れるために旅してきたのかもしれないって思うほどなんだ。嘘じゃない。この絵はそれを描いてみたものだ』
そこには、薄く儚げな蝶が静かに羽ばたいて、水と融合している絵が描かれていた。まるで水は鎖のように、それでいて全てを受け入れるように光っている。
『どうやらこの中から精霊の蝶を取り出せるらしい。この水は、いつも透明なガラズの中に入っているんだ。凄いものだよ。さて、そろそろ人がいない面にも旅をしないとな。実は、予言の意味を探していると言うこともあるのだ。世界が終わるというのは、どう言うことだろうか、と考察しているんだよ。もう少ししたら考えを書こうと思うから、それまではまだいいや。』
カノンは、またため息をついた。その時、名案が閃いた。先を読んでしまえばいいのだ。
あれ、なんでこんなことに気づかなかったんだろう…そう思いながらペラペラとめくろうとすると。
本の上に文字が浮かび上がってきた。
『ー先読み禁止ー。本人以外は丁重に扱うこと!思想の解釈が歪む可能性あり!』
しかも赤文字である。カノンは頭に手を当てて、途方に暮れた。
その時。そこは図書館だったのだが、後ろでカタリと音がした。わかっている、古くいかめしく、なにより神が作った規律に沿う図書館は途方もなく広く、沢山の人が利用している。あの影なんかが図書館の中に侵入するはずがない、はずだ。
だがカノンは振り返ってしまった。
「ヒッ」
影が本を振り上げている。カノンは無心で頭に思い浮かんだ魔法を唱えた。
「火、大規模魔法、我に力を!焼失、全てを燃やし命をも過ぎ去る、冷たさの形を、今、火に。」
すると、カノンの周りに炎が踊るように回り始めた。影は消えて行ったが、熱い火の中次々と焼かれていく本を見つめて、カノンは呆然と立っていた。
「つまり、影を消そうとして間違えた魔法を使ってしまった、と。」
「申し訳ない…」
賢者が横から口を挟んだ。ここは図書館の中にある会議室である。長方形の形に並んだテーブルの、正面には図書館の管理長でありこの町の長でもある男が座っていた。
「そもそも、なんの魔法を使ったらこんなことになるのかね。ここまでの威力が出る魔法はあまり存在しないはずだ。身を守るためとはいえ、図書館の本を燃やされたのは困るな。カノン君。」
「ええと…炎の大規模魔法…です…」
「大規模魔法。」
そう言ったきり男は黙った。おでこに刻まれたシワが、男が何百年も生きていることを思わせる。
「影の生態はまだわかっておりません。少なくとも最近、カノン、マーテの周りに現れることしかわからないのです。カノンはおそらく、本能に従ってこの魔法を行使してしまったと思われます。」
「…だが、大規模魔法は、人間にはもう使えなかったはずだ。影も、其方が儂に報告するまで存在を聞いた事がない。」
泣きそうなカノンと、賢者は顔を見合わせて、賢者が弁解するように言った。
「カノンには使えるんです。おそらく、予言の事が関係していると思われます。だから、どうか許してやってくれませんか。」
男は完全に黙った。重い沈黙が、木で囲まれたひんやりとしたこの空間に流れた。
「…わかった。」
ほっ、と息をついたのも束の間、男は言葉を続けた。
「その代わり、そなた、旅に出ないか。」
「旅!?」
カノンは飛び上がった。そしておずおずと目を合わせる。
「それは…なぜですか。」
男はやんわりと、だが何かを隠すように笑っている。そして口を開いた。
「そうだな。影の生態と、カノン君の予言をどのように実行させるか気になるのだな。あと、本を手に入れてもらおうか。」
「ごめんなさ…はい…」
「それも、ここにあった本よりも価値のある本をだ。それで弁償してくれたら助かるのだがな。」
カノンは頭を抱えた。
「でも、どうやって探せばいいんでしょうか?」
「そうだな。名のない賢者、そなたはどうすればいいと思うか。」
「そうじゃな。このオリオンの面で探すのもいいじゃろうが、私の故郷であるスコルピオスの面を始め、日月星辰、如法暗夜の面を探しだせば、必ずそのような本も見つかるかと。そもそも言葉を覚えられるか知らないがね」
そう言ってカノンのことをチラとみる賢者。カノンは机に突っ伏した。
「言葉なら勉強しました…」
「よろしい。なら管理長様、カノンを旅に出させましょう。もともと私も行かせようと思っていた所だ。」
「本当ですか…」
男は立ち上がった。そしておもむろにポケットの中から薄い紙を取り出した。
「これは契約だ。どこにいても、これは実効性を持つ。『カノンが死す前に私に条件を満たすその本らを渡す。』ほら、私は書いたからカノン君も書いてくれ。」
管理長の名前ははるか昔の異国の文字で書かれていて、読むことができなかった。
カノンは少し震えながら、魔法で羽ペンを取り寄せ、そこにサインした。
管理長はゆっくりと頷き、賢者の方を向いた。
「証人もいるな。しっかり守ってくれ。まあ、旅に関しては少し不安ではあるがな。」
三人が部屋を出ようとする頃、扉を模る木の影で、管理長は賢者に見えないようにそっとカノンに何かを渡してきた。
「これはきっと役にたつから、身につけておいてくれ…」
それは赤くて見えないような、細く文字が描かれた糸の輪だった。光沢があるその輪は、宝石のように妖しく光っていた。
管理長は、なぜか悲しい顔をしていた。管理長がなぜ賢者に見せないようにするのかわからなかったが、何かがあるのだろうと思いカノンは黙って頷いた。
「カノンー。俺って成長してるかなぁ」
その日、マーテがカノンにそう聞いてきた。もちろんカノンの家である。すでにマーテは家族の一員のようになっていた。
「してるよ。精神的に。」
「そう言う意味じゃないことぐらいわかるだろー」
「はいはい、じゃあ一回立ってみてよ。」
マーテはファの上から立ち上がって、綺麗な細工が施されたドアに手をつける。
「どう?カノンより大きい?」
「いや、同じぐらいかな。大丈夫、これから伸びるから。」
「うん、だけど、ほら。」
「あー。」
何のことを言ったかというと、もちろん時間の歪みのことである。
「大丈夫でしょ。ほら、この間成長の呪文覚えたじゃん。あれ反動大きいらしいけど、毎日少しずつかけていけば大丈夫でしょ。」
「そうだな。…じゃあそうするよ。というか今日は帰りも遅くなって、どうしたのさ。」
「あ。伝え忘れてた。実はさ、旅に出る事が強制的に決まっちゃったんだよね。」
カノンがかくかくしかじかと伝えると、マーテは頷いた。
「わかった。一緒に行こう。」
そして旅の準備はされ、私たちは町と家と別れを告げて旅立ったのだった。
