三角座りと私の箱庭 ― どうでも良くない話
あの日、私は世界から外された。
クラスの男女6人──女子3人、男子3人で遊園地に行くという話が出たとき。私はその輪に入れなかった。
「僕も行きたい」なんて、もちろん言えない。
思春期に足を踏み入れたばかりだったのだ。
もう無邪気に口に出せるほど子どもでもなく、人の目を気にせず動けるほど大人でもなかった。
ただ、恨めしく悶々とするばかりだった。
なんで、私だけ誘われなかったんだろう。
それなりに仲はよかったはずだ。
男女のバランス? まさか手でも繋ぐのか? おませちゃんめ。
ひょっとして、サプライズで当日の朝、家に迎えに来てくれるつもり?
そんなわけないか。
それとも、うちが貧乏だから、遊園地なんて無理だと思ったの? 気を使わせてごめん。
考えても仕方のない妄想が、小さな頭の中をぐるぐる回った。
なにより辛かったのは、女子の中に、好きな子が2人いた。
みどりちゃんも、あみちゃんも、行くみたいだった。
「なんで僕だけ……」
そう言って枕に顔を埋めて泣いた。
これが、私の “最初の嫉妬” だった。
次の日の下校途中、ふとっちゃんのチャリンコを見つけた。
ふとっちゃんは、小太りのくせにクラスの人気者で、遊園地に行こうと言い出した張本人である。
私は、なんとなくチャリンコに近づき、おもむろに小便をかけていた。
どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからなかった。
報復のつもりだったのか。一体誰に? ふとっちゃんに罪はない。あるのは小便をかけた私の方である。
嫉妬というのは恐ろしいものだ。何をしでかすかわからない。本当に怖かった。いや、怖かったのはふとっちゃんの方だろう。ごめんなさい。ふとっちゃん。
私は「人の自転車に小便なんて二度としない。」と、誓った。おそらく人類史上最もくだらない宣誓だったに違いない。
あれから、私は嫉妬をしごく恐れるようになった。
自分が自分でなくなるのが怖かった。惨めに泣くのも、辛すぎた。
だったら、最初から感情なんてなければいいのに。
そのとき、心の中でつぶやいてみた。
「どうでもいい」
すると、少しだけ心が静かになった。小さな呪文のようだった。
「どうでもいい」と唱えると、私の心の中にぽかりと空間ができる。
その小さな空間に、私はちょこんと座った。とても静かだった。
誰にも邪魔されず、感情の波にも揺さぶられない場所。
私はその秘密の空間を“箱庭”と呼ぶことにした。
箱庭は、小さければ小さいほどいい。広い空間なんていらない。まして世界になんて、出たくなかった。
どんなに嫉妬が訪れようとも、箱庭で「どうでもいい」と唱えれば、心は整った。私は不動心を手に入れた。
それ以来、嫉妬の気配がすると、私はすぐにこの言葉を唱えるようになった。
レギュラーに選ばれなくても、「どうでもいい」
生徒会長に落選しても、「どうでもいい」
チョコをもらえなくても、「どうでもいい」
思春期に訪れる嫉妬の嵐を、私は箱庭で念仏を唱えてやり過ごした。
おかげで、中学校では誰の自転車にも迷惑をかけずに済んだ。
だが、高校生となり、思春期は最高潮を迎え、人生最大の嫉妬に出くわすことになる。
高校生にもなると、大人の女性を魅力的に思うようになる。
私の場合、生物の先生に、密かなる好意を抱いていた。
華奢で、守ってあげたくなるような女性だった。
透き通る白い肌に、グリーンフローラルの香り。可憐な花のように美しかった。
だから、生物の授業では、教室に漂う先生の空気を、すべて吸い込む決意で呼吸していた。夢心地だった。
むさ苦しい高校生活に現れた、一輪の月見草。まさに奇跡の日々の訪れだ。
だが、その先生が――
物理の先生と、不倫の末、結婚した。
私は箱庭に鎮座し、「どうでもいい、どうでもいい」と唱えてみるが、ぜんぜん整わない。
何せ、物理の先生は、真面目だけが取り柄のような、メガネをかけた小男である。どう考えても納得できない。あの可憐な先生がどうして?
きっと何か弱みを握られたのかもしれない。先生には莫大な借金が? 物理が盗撮? 催眠術か?あるいは……。
でも、生物の先生は、深刻そうな表情どころか、幸せそうだった。
先生の顔をまともに見れない。授業だってまるで頭に入ってこない。
「どうでもいい」
「どうでもいい」
嫉妬が私を乗っ取って、
危うく、物理の先生の車に放尿しそうになる。
「どうでもいい」
「どうでもいい」
「どうでもいい」
しかも、ややこしいことに、物理の先生の元奥さんは、化学の先生だ。理科教師の倫理観、どうなっとんじゃい。
「どうでもいい」
「どうでもいい」
「どうでもいい」
理科の職員室は、どんな空気だったのだろう。想像するのも恐ろしい。毒ガスを吸った方が、マシな気さえする。
物理の先生は、悪夢のように気まずい空気を、すべて吸い込む決意で、鬼畜の所業に及んだのだろうか。
……いや、それこそどうでもいい。
「どうでもいい」
「どうでもいい」
「どうでもいい」
四六時中、箱庭で過ごすうちに、何気なく三角座りをしてみた。すると、その姿勢がとてもしっくりきた。
そのまま「どうでもいい」と唱えてみる。すると、嘘みたいに嫉妬が消えていった。
箱庭にすら吹き荒れていたあの暴風雨も、今ではすっかり、無風となった。
もう、大丈夫だった。
だが、今度は別の理由で、授業がまともに受けられない。
「酵素と基質が鍵と鍵穴の関係」と言われても、あれのこととしか思えなかった。
「水兵 リーベ ぼく の 船」ときたときは、「もうあなたの船ではない」と悲しくなった。
ケプラーの法則が出たときには、「恋愛衝動の2乗は、若い女性との距離の3乗に反比例する 」と勝手に第四法則を捻り出したりしていた。
こうして、理科はすっかり、お笑いの時間となってしまった。
あれほど好きだった先生のことも、何も感じなくなっていた。
月見草の花言葉は、「浮気 」なのだと国語の先生が言っていた。今さらどうでもよかったが、なんとも、おあつらえ向きなことだと皮肉った。
思春期の私には、先生を愚弄できれば、もうなんだってよかったのかもしれない。
「あんな小男と略奪婚なんて、幸せになれるはずもない」
私の中の好意は、忌み嫌う感情へと変わった。
それもやがて、「どうでもいい」と消えていった。
箱庭で三角座りをして「どうでもいい」と唱える。
高校で”嫉妬を沈める術” を会得した私は、社会に出てからも嫉妬に悶えることはなかった。
そんなある日、私の他にも”箱庭”を持っている人に出会った。
その日、私はイベントでブドウの出店をしていた。
モデルで、イラストも描く知人に誘われて参加したそのイベントには、アーティスト気質の人たちが集まっていた。
アクセサリー作家、イラストレーター、モデル、フォトグラファー。
みな思い思いの作品を並べて、自分を表現していた。
服装も派手で、おしゃれで、何か“特別なオーラ”をまとっているようだった。
心がざわつく。私なんかがいていい場所じゃないような気がする。
強烈な劣等感と嫉妬。
「うらやましい」
その言葉が喉まで出かけたとき、私は即座に変換した。
「どうでもいい」
そう唱えて、そっと箱庭に三角座りをする。
嫉妬をやり過ごし、周りを見回せば、やっぱり皆キラキラしている。まるで自分だけモノクロの世界にいるような別世界の人たちだ。
だが、そんな中、ひとりだけどんよりと淀んだ雰囲気の男がいた。
彼も周囲と同じように談笑しているのだが、まったくキラキラしていなかった。服装はいわずもがな、どうにも場違いである。
どうしても気になり、私は彼に話しかけてみた。
歳は私と同じくらい。カメラマンを名乗っていた。
ただし、売れている感じはしなかった。
「奥さんが看護師で、なんとか食べていけてます」と笑っていた。
……まるで自分だ。
我が家の家計も、妻におんぶに抱っこだ。
彼とは、すぐに意気投合した。お互い、なんだか似ていた。
打ち解けたので、作品を見せてもらった。が、正直よくわからなかった。
風景写真や人物写真を撮るわけでもないらしい。
「うーん……個性的ですね」と言うのが精一杯だった。
それでも彼は気にする様子もなく、笑ってこう言った。
「いいんですよ、わかってもらえなくても。もう慣れてるんで。
誰にも評価されなくても大丈夫です。他人の評価なんて、どうでもいいんで」
「どうでもいい?」
まさか。と思った。
「昔は、評価されている人が羨ましくて仕方なかったんです」
「でも、あるときネガを見ながら、”どうでもいいか”って言ってみたら、何も映っていないフィルムの中に自分の居場所を見つけたんです」
なんと、それは形を変えた箱庭だ。
彼とは、初めて会った気がしないほど、何から何まで共感できた。だが、箱庭まで持っているとは驚きだ。感動すら覚えるほどだ。
私たちは、箱庭に住む者同士、お互いを讃え合い、励まし合い、大いに傷を舐め合った。別れるときは、心の友にまでなっていた。
帰り道も、彼のことが頭から離れなかった。
数年ぶりに親友に会ったかのように、打ち解けて話せたから良い気分で帰っていたのだが、少し引っかかっていた。
──彼は、このままで大成するのだろうか?
評価なんてどうでもいいで、写真で食べていけるようになるのだろうか。
そもそも、評価なんてどうでもいいなんて、それはウソなのだ。
私も同じだからよくわかる。どうでもいいは、心を整えるための方便なのだ
そこまできて、ようやく他人事じゃないと気がついた。
私も、本当は……他人の評価を求めているくせに。
「どうでもいい」と言ってごまかしているだけじゃないのか?
そう思った瞬間、心の奥がざらっとした。
家に帰って、妻に話してみた。
「自分と似てる人に会って、すっごく楽しかったよ」
妻に今日の顛末をかいつまんで話した。
「その割に、浮かない顔してるね」
夕飯の支度をしながら、妻が言った。じゃがいもを切る音が、小気味よく響いている。
「彼を見てたら、自分を見てるみたいで、なんかモヤッとね」
シンクに散らばったじゃがいもの皮をまとめて捨てた。
妻は煮込んでいたストウブの鍋にじゃがいもを入れている。
後入れの方が、食感が残って美味しいらしい。
「そっか。自分が嫉妬ニストだって、ようやく気がついたんだね」
「はい、蓋をして10分したら出来上がり」
そう言って、今度はサラダの準備に取りかかる。
「なんだよそれ」
私はテーブルを拭き、コップやスプーンを運ぶ。
妻はカレーをよそっていた。
「嫉妬をこじらせてる人のこと」
「そうやって“感じないフリ”して“どうでもいい”って言い続けるのって、不健全だよ」
「……」
「嫉妬って、感じちゃいけないものじゃない。
大事なのは、感じた後にどう動くか、でしょ?」
テーブルにはカレーとサラダが並べられている。
私はコップに水を注いだ。
子供たちはカレーの匂いに釣られて、二階から降りてきた。
「はい、じゃ、いただきます」
妻の号令で、子どもたちがカレーをぱくついた。
「いつもより辛いね」
娘がそう言って、水を飲んでいる。
「辛いけど、美味しいね」
末っ子が大人びたことを言う。
「ほら、カレーも一緒。辛いって感じたあと、“辛いから食べたくない”って思うか、“でも美味しい”って思って食べるか、選ぶのは自分」
「……」
「嫉妬も同じ。うらやましいって思って、悔しくて、それで自分の殻に閉じこもるか。
それとも、“なにくそ”ってエネルギーに変えるか。自分で決めるんだよ」
子どもたちはぽかんとしている。
私は黙って妻の言葉に耳を傾けた。まるでお寺で説法を聞いているみたいに、心が洗われていく気がする。妻はいつだって気づきを与えてくれる。
私は、神々しいものを見るみたいに、妻に羨望の眼差しを向けた。
説法中の妻の二重アゴは、年々ふくよかになっている。ひょっとしたら、説法に説得力を出すために、大仏様に寄せてきているのかもしれないな。とアホな考えが浮かんだ。
いつか、「パンチパーマにする」と言い出したら、全力で止めてあげよう。
「このスパイスの刺激がいいよね」と妻が言った。その笑顔は輝いている。
妻の言う通りだ。
嫉妬もスパイスみたいなものだ。刺激的だけど、使い方次第で、より豊かな味わいになる。
カレーも、人生も。
「どうでもいい」は、もうおしまいだ。
──箱庭を飛び出そう。世界はきっと自分次第だ。
私は舌に残るピリピリとした刺激を感じながら、スプーンを口に運び続けた。
(おしまい)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
このエッセイは、池松潤さんの企画「斉藤ナミさん新連載スタート推し祭り」に参加するために執筆したものです。
お題に沿ってエッセイを書くのは今回が初めてでしたが、とても勉強になりました。
普段は掘り返さないような記憶をたどり、「こんなのあったな……」と拾い集める作業が意外にも楽しく感じました。
斉藤ナミさん、はじめまして。新連載おめでとうございます。
作品、拝読させていただきました。そして、ちゃんと嫉妬しております。
池松潤さん、はじめまして。
企画のおかげで、良い経験をさせていただきました。
ありがとうございました。
フォロワーもいない新参者ですが、恐る恐る参加しております。
お忙しいところ恐縮ですが、フィードバックいただけると大変嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
そして「#嫉妬祭り」に参加されているクリエイターの皆さま。
はじめまして。読んでいただき、とても嬉しいです。
もしよければ、感想やご意見などいただけると励みになります。どんな形でも構いませんので、よろしくお願いします。
斉藤ナミさんの新連載はこちら!
赤裸々も赤裸々。もう開けっ広げです。ぜひ読んでみてください。
我が家の長男が妹に接するときの気持ちが、わかったような気がします。
兄弟姉妹のいる方は、ずっと頷きっぱなしかもしれませんね。こちらもぜひどうぞ。
ありがたいことに特別賞をいただきました。
喜びのエッセイはこちらからどうぞ。
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