私は仕事を栄養にするしかないんだな
仕事始めの一週間が終わりました。
いやー、新年早々しんどかった。
お正月休みが終わる頃に「今週はかるーーーーーーくやる」という目標を立てたのも虚しく、仕事のことを重々と考え込んでしまって、心にだいぶ負荷をかけた。
でも、木曜日くらいに、えいやっ(もう充分考えたやろ、どうせやってみんと分からんし!)と仕事を進めてからは、清々しい気持ちを徐々に取り戻せて、シンプルに元気になった。
数日前の悩んでいた自分が「おいおい私はただの茶番だったってわけかい?」と突っ込みたくなるくらいには晴れやかな気持ちで、今は三連休を謳歌している。
私はいつも、仕事がうまくいっていれば健康だし、行き詰まると不健康だ。
適応障害になってから、「仕事なんてどうでもいい、大切なのは人生だ」の精神で、仕事はある程度手を抜きながら過ごしてみたりしたこともあったけれど、そうすると途端にダメだった。
「仕事ができていなくても私の価値が無くなるワケじゃない」って言い聞かせてみても、全然ダメ。
全然ダメ状態になると、とにかく自分を責め続けて、責め続けることで許されようとしてしまって、前に進むことを拒絶してしまう。
で、この"ダメ"の本質は、できない自分に価値を感じないとか、劣等感とか無能感とか、そういうもんのせいだと思っていた。
今までの私を形作る記憶が、私の思考のレールを歪めて、ついでにカッチコチに糊付けしてしまっていて、だからこの"ダメ"を脱出するには長い年月がかかるぞと。
そんなことを考えている最中に、
「夜風さんって働くの好きですよね」
と、会社の先輩に言われた。
いやいやそんなことないっすよ、できることなら家でぐうたらしてたいですよ、と瞬発的には思った。
でも、自分を客観的に思い返してみると、私は結構仕事をしながら笑っている。愛想笑いとかではなくて、夢中になって笑っている。
だるい時も、しんどい時も、そりゃああるけれど、仕事が進むと楽しいし、人の役に立てるのは嬉しいし、自分で自分の生計を立てられることは誇らしい。
でも最近はどうにもしんどい時が多かったので、「べき思考とか、一般化とか、そのあたりの自分の認知の歪みをどうにかせねばー」と、(振り返ってみると)ややこしく考えていたけれど、もしかしたら私はシンプルに"仕事が好き"で、好きなことに全力を出せていない状態に悲しんでいるだけなのかもしれない。
働くの、好きなんだよな。しかも、真剣に働くのが好き。目の前のことと向き合って、お世話して、形にして、それが人の喜びになったらたまったもんじゃない。
昔のようながむしゃらな働き方をする体力はもうないけれど、工夫しながら、やりたい分だけの働きをこれからもやっていきたい。それを私の人生の栄養としたい。
