動機
私がnoteを執筆する上で、ここが楽しい、といったポイントはいくつかあるのだが、そのうちの一つが、記事にあった絵を選ぶことである。
私は元々絵心というものが壊滅的にない。絵を描いてください、と言われたら一瞬で固まってしまう。絵というものにもそれなりに描き方、というものが存在するのだろうが、生憎私はそれを勉強することもなかったし結局未だに知らずにいるままである。自由に描け、と言われても困ってしまうものである。
例えばnoteなんかも自由に自分の感じたことを綴ればいい、などと言われたりはするが、実際これを全員が得意とするかと言われたら確実にNoだと思う。私の場合は書きたいことが浮かんでくれば全く抵抗もなく描くことができるのだが、調子が悪い時とかにはあまり書けないし、そもそも最近は「よし、書こう」といざ思っても書きだせない、ということもある。
息を吸うようにごく自然にnoteの文章など書けます、という人のためにもう一例挙げるならば、いきなりピアノを弾いてください、と言われても何も知らない人からしたらどのように弾けばいいのか固まる、そんな感覚ではないかと思う。ピアノを好きに弾いてくださいと言われてとりあえず鍵盤に手を下ろしてその先の音を鳴らすことができる、という人は結構稀ではないかと思う。私の場合は好きに弾いてくださいと言われたら自分が覚えている曲の楽譜のうち一番最初に頭に浮かんできたものを弾く。真に自由にピアノを弾く、というのも、なかなかままならないものである。
まあそういうわけで、私は本当に絵を描くことそのものが苦手なのである。退屈な授業の合間に絵を描く、という貴重な暇つぶしの手段が一つ失われてしまった状態なので、本当に退屈な時はひたすら思索に耽るしかなかった。大学生になると、大きな教室ではスマホを弄る、という手段が増えたので、若干マシになったかもしれないが。
だから、授業中に絵を描くことができる人や、TwitterやInstagramで自分の絵を投稿できる人が心底羨ましいと感じるものである。
そんな私だが、絵が描けない、というのは技術的に描くことができない、という話であって、頭の中で全く絵を浮かべることができないかというと、そうではない。むしろ私の中では本を読んだときとか音楽を聴いた時とかにイメージ風景のようなビジュアルとかは大量に浮かんでくる方ではあるのだ。それを表に描き起こすことができないだけで。
それは自分が書いたnoteの記事を読んだときも同様で、書いた記事に合わせて自分の中でイメージ画像は大量に浮かんでくる。もはや止めようがないというレベルである。それに合わせて画像を検索し、自分の記事とぴったりハマる絵を見つけることができる瞬間は言葉にできない快感を覚えることができるものである。
まあそれには多少時間がかかってしまうし、そもそも今は多忙によりあまりnoteの記事を執筆できている方ではない。自分の記憶力がいいのか悪いのかよく分からないという認識ではいるのだが、最近は自分が考えたことがすでに過去の自分によって記事にされてしまっている、という現象が起きており、中々筆も進まなくなってしまった。同じことばかりをぐるぐるぐるぐると考えている様である。
ただ、この絵を選ぶ、という作業がもはや一番と言えるほどの醍醐味であり、この楽しみを味わうにはいつも連発しているつぶやきではなくそれなりの記事を書かないと味わえないなあと思ってしまう。検索過程で気に入った絵とかも結構あり、むしろそれに合わせて文章を書くというのも楽しいなあと思ってしまうのだ。時間が許し、気が向いたときに気長に続けられたらいいなと思う。
