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2/26 今日の「感情」

私が師匠に出会って、“感情の感じ切り”という方法を学ぶようになってから、早くも9年が経とうとしている今。
まさに、これからやろうとしている方の足枷になるつもりはないのですが、自分でも引くくらい、未だに上手く“出来る”ことがありません。


何が難しいかって、何か出来事が起きた時の、私の感情が揺れた一瞬の感覚に集中して、そこに素直になり続けられないこと。(ちなみに師匠は、「慣れてくると簡単」とよくそう仰る…)


特に私がやりがちなのは、それを避けたい(感じたくない)がために、“思考で原因(要は答え)を探しまくる”こと。
それをやると、行き着く先は、負の“エンドレス”。
「だから私には無理なんだ」「やっぱり出来ないんだ」のように、さらに思い込みを強化することになると師匠から今まで散々言われてきたその意味だけは、ここに来てようやく少し分かってきたっていう。


まさに今回、自分でやっていて、一周回ってそこに気付きました。(散々変な方向にいった)
「いや、なんかまた違う」って。


どんなに、自分の願いが叶わない思い込みの理由をあれもこれもと並べたてたところで、それで自分の悪い所をあぶりだしてそこだけを改善しようとしたって、残された感情(魂の声)はそこにあるまま。


感情の感じ切りの本質は、“ありのままを受け入れる”ことなのに、それでは本末転倒だったってこと、今更理解しました。

現に私は、“自分の思いが相手に伝わらない”ということに対し、「恥ずかしい」と感じていた自分を、今回初めて知りました。


たったそれだけ。
その「恥ずかしい」一言に、今まで何十年と気付けませんでした。
だってそこに気づいちゃったら、ある意味で自分のプライドを守るための“思い込み”の意味も、確かに無くなりますから……


とはいえ、そこにある自分の傷をいっこいっこ受け止めていく作業は、確かに途方も無く。
どこまでも根気と努力しかないのですが、そこまでしても“成し遂げたい”ことがある自分の思いに気付いてしまった今は、ひたすらそこに邁進する以外の選択が、いつの間にか無くなってました。



余談ですが、たった今ゴミ投げに行って気付いたんです。
自分の“好きな人”を“好きでいられる”って、本当は、とっても幸せなことだったなんて、私知らなかったって。
あの頃(過去世)の自分に、なぜかそう言ってあげたくなりました。


「いやあんた、なんだかんだで幸せだったよ」って。

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