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情報理解は身体性を伴う

情報をいとも簡単に入手できる、嫌でも目や耳に入ってきてしまう現代において、「情報理解」とは何を指すのだろうか?

インプット=理解、ではないのは明らかだとして、理解した状態とはどういう状態なのだろうか?

その鍵が「身体性」にあるような気がした。


あくまで僕の感想だが、本当に理解する時は「体や神経が理解する」感覚がある。

自分の体のアルゴリズムと一致し、鼓動が合ってきて勝手に身震いするような感じだ。

他者の話に本当に共感した時に、体がゾクゾクっとする感覚を一度は味わったことがあるだろう。

あれは体が理解した以外の説明がつかないだろう。


体が理解した状態、すなわち身体性はきっとインプット以外の行動から宿るのだろう。

たとえば街を歩いている時、人と話している時、建物の中にいる時、など。

その場の空気感、自分の動作、痛みなどいろんなものが加わって初めて情報が生身のものとなり、理解につながるのだと思う。

スマホでSNSや記事を見ただけでは到達できない状態だし、自分の中で咀嚼したり体験や感情と繋げたりするにはある程度時間がかかるものだ。


だから、外に出よう。

理解は自分の外側にある。

インプットは目や耳だけでできるかもしれないが、理解は全身を使って初めて生まれる。

そんな気がするので、インプットをしっかりしたいからこそ積極的に外に出ようと思う今日この頃です。

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