「できる」と言う人 【引っ越し前編(1/3)】
職場の引っ越しというものは、荷物を運ぶだけでは終わりません。
長年使ってきた事務所には、「いつか使うかもしれない」が山のように積み重なっています。
退去するとなれば、断捨離して、荷物を整理して、運び出して、掃除をして、最後は元の状態に戻していかなければなりません。
ただ、どこまでやるのか。
そこには、少し考え方の違いがありました。
今回、一緒に作業をした上司は、とにかく細かいところまで手を掛けようとする人でした。
「ここまできれいにしましょう。」
「これも運びましょう。」
「これも外しましょう。」
私は横で、
「いや、そこまでやらなくてもいいんじゃないですか。」
と思っていました。
フロアカーペットだって、次の入居者が入る前には業者が貼り替えるでしょう。
私たちはリニューアル業者ではありません。
引き渡しに必要なところまでやれば、それでいい。
私はそう考えていました。
ところが、その人は違いました。
やると言ったことは、自分もやります。
大きな荷物を運ぶ時も、自分が先頭に立ちます。
エンジンオイルをトラックいっぱいに積み込んで、
「これ、積み過ぎじゃないかな。大丈夫かな。。。」
などと言いながら、結局それを私が運ぶことになったりもしました。
そして、その人自身も、汗をかきながら現場で動いていました。
役職だけを見れば、もう自分で重いものを運ばなくてもいい立場です。
それでも、現場に出れば普通に作業員の一人になります。
そんな人です。
だからこそ、こちらも文句を言いながら付いていくことになるのだと思います。
その日のメインイベントは、大きな積層ラックを、解体する作業でした。
人が乗れるくらいの大きさで、もはや棚というより、小さな部屋のようなものです。
引っ越し業者にも断られました。
普通なら、メーカーなどの専門業者にお願いするような作業です。
私は、
「これはさすがに一日では無理でしょう。」
と思っていました。
でも、やることになりました。
四人で、ホコリまみれになりながら、一つずつ外していきます。
ボルトを外し、部材を支え、声を掛け合いながら、少しずつ解体していきます。
途中で、
「これ、本当に終わるのかな。」
と思いました。
それでも、気が付けば終わっていました。
それも時間内に、きちんと終わっていました。
終わった時には、全員が汗だくです。
引っ越し業者も驚くでしょう。
工事の仲間が見に来てくれたけど、
「こんなん無理やで!」と言ってたので、このエピソードを伝えると驚いてくれる顔が目に浮かびます。
私自身も、正直なところ驚いていました。
そして上司が最後に、
「いや、ホントにできるとは思いませんでしたよね。」
と言いました。(笑)
私も息を切らしながら、
「ホントっすね。すごいっすよ。」
と笑ってそのすっからかんになった倉庫を、
見ていました。
その日は、それで終わったのですが、
でも、あとになって少し考えました。
私は普段、仕事の予定を組むときに、
「この仕事なら、今いるメンバーで大丈夫だろう。」
とか、
「これはまだ一人では難しいな。」
とか、
そんなことを無意識に考えています。
誰に何を任せるのか。
どこまでなら任せられるのか。
どこは自分が入らないといけないのか。
いつの間にか、そんなことを考えながら仕事を組み立てるようになっていました。
たぶん、それは管理する立場になったからです。
自分一人で仕事をするのではなく、今いるメンバー全体で仕事をする。
だから、仕事そのものだけではなく、人の力量や経験、組み合わせまで含めて考えるようになったのだと思います。
そして今回、それと同じことを、上司もやっていたのかもしれないと思いました。
私は「そこまでやる必要がありますか」と考えていました。
でも、あの人は、その日のメンバーを見て、「これならやれるんじゃないか。」
と考えていたのかもしれません。
それが正しいかどうかは分かりません。
ただ、結果として、私たちは終わらせました。
そう考えると、あの人が普段言う「やりましょう」という言葉も、少し違って聞こえてきます。
単なる無茶ぶりではなく、
その仕事を、この人たちとならどう進められるか。そこまで考えたうえでの言葉だったのかもしれません。
もちろん、全部がそうだとは思いません。
本当に無茶な時は、無茶です。
でも、今回の一件で、一つ分かったことがあります。
私はいつの間にか、自分の部下たちの力量を基準にして、仕事を考えるようになっていました。
それは、部下を自分の力として見ているということでもありました。
そして同時に、自分がその組織の責任を持つ立場にいることを、意識しないまま受け入れていたのだと思います。
たぶん、これから先も、上司から「これ、やりましょう」と言われることがあるでしょう。
その時に、
「また無茶を言っているな。」
とすぐに思うのではなく、
「この人は、今いるメンバーを見たうえで、そう言っているのかな。」
と、一度考えてみようと思います。
仕事は、作業量だけで決まるものではありません。
誰とやるのか。
誰に任せるのか。
誰が支えるのか。
その組み合わせによって、同じ仕事でも結果は変わります。
今回の引っ越しで、私はそんな当たり前のことを、改めて実感しました。
そして何より、
あの日、ホコリまみれになりながら四人でラックをばらしたこと。
息を切らしながら笑ったこと。
汗でぐっしょりになった作業着。
最後に交わした、
「ホントっすね。すごいっすよ。」
という言葉。
何年か経ってこの文章を読み返した時に、きっと思い出すのでしょう。
「ああ、あの引っ越しの日か。」
まぁ、疲れましたけどね。

執筆後記
この文章を書き終えてから、あらためて思いました。
なぜ、こんな引っ越しの一日を、わざわざ文章に残そうと思ったんだろう、と。
仕事をしていれば、毎日のようにいろいろなことが起こります。
うまくいった仕事もあれば、失敗した仕事もあります。
誰かに褒められたこともあれば、腹が立ったこともある。
そして、そのほとんどは、しばらくすると忘れていきます。
今回の引っ越しだって、仕事として見れば、ただの移転作業です。
荷物を片付けて、運び出して、ラックを解体して、事務所を空にする。
それだけのことです。
でも、10年間使ってきた場所を空っぽにしていくというのは、思っていた以上に、いろいろなものが見えてくる作業でした。
「ああ、こんなものもあったな。」
「これ、いつ使ったんだっけ。」
「こんなところに、こんなものが残っていたのか。」
物を捨てているようで、実際には、その場所で過ごしてきた時間を一つずつ片付けているような感覚もありました。
そして、その最後の日に、よりによって引っ越し業者でも手を出さないような積層ラックを、4人で汗だくになって解体している。
なんだか、私たちらしい最後だったなと思います(笑)
きれいに終わるというより、
「最後まで、なんだかんだ自分たちでやったな。」
という感じです。
たぶん、何年か経てば、この日の細かいことは忘れてしまうでしょう。
何時から作業を始めたのか。
何をどこへ運んだのか。
何本のボルトを外したのか。
そんなことは、きっと覚えていません。
でも、
ホコリまみれになったこと。
汗で作業着がぐっしょりになったこと。
4人で声を掛け合いながらラックをばらしたこと。
そして、最後に空っぽになった倉庫を見た時の、あの妙な達成感。
これは、たぶん覚えていると思います。
だから、書いておこうと思いました。
仕事の記録としてではなく、
「あの頃、自分たちはこんなことをしていた。」
と、未来の自分が思い出せるように。
そして、もう一つ。
この文章を書いていて、少しだけ嬉しかったことがあります。
あの日の4人は、誰か一人が頑張ったから終わったわけではありません。
それぞれが、自分にできることをやっていました。
重いものを支える人がいて。
外す人がいて。
周りを見る人がいて。
声を掛ける人がいる。
そうやって、いつの間にか一つの仕事が終わっていました。
仕事って、案外そういうものなのかもしれません。
誰か一人の「すごさ」ではなく、何人かがそれぞれの場所で力を出した結果として、最後に「終わった」という景色が現れる。
今回の引っ越しで、私はそんな当たり前のことを、身体で思い出した気がします。
そして最後に、空っぽになった事務所を見て、
「ここで、いろんな仕事をしたな。」
と思いました。
10年間、お世話になった場所です。
たくさんの人が出入りして、たくさんの仕事が生まれて、たくさんの出来事があった場所。
それが最後には、すっからかんになりました。
でも、何もなくなったわけではありません。
そこで過ごした時間は、ちゃんと自分の中に残っています。
今回の記事も、その一つなのだと思います。
何年か後にこれを読んだ自分が、
「ああ、あの営業所を出た日の話か。」
と笑えたら、それで十分です。
まぁ、それにしても。
最後にあんなデカいラックまで解体するとは思いませんでしたけどね(笑)
すげえよ俺らは。
と、ここまで考えると。
引っ越しに携わるなんて、重労働で大変なんだけど、得れるリターンがすげえ事にも気づけそうです。
だから、なんでもやるやると言った方が得なんですけどね。
「なんでもやる」と言う人のところには、なんでもやった人にしか見えない景色が集まってくる。
登山もいっしょ。
なかなかわっかんねぇだろうなぁ。
じゃあ次にその話を掘り下げてみます?
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