空っぽのオフィス
無職だった。もう何年前になるんだろう、覚えていないけど。
一応、就職活動はしてた。そのとき見つけたのが、ウェブデザイナーの求人だった。
面接に行くと、暗い廊下にパイプ椅子がひとつ置かれていた。後ろに貼られたちぎれた紙には「ここでお待ち下さい」とある。もう少しだけ、ちゃんとした会社がよかったなと思った。でも、四十分、座って待った。ケツが痛かった。
呼ばれて入ったオフィスでは、若い社員たちが円陣を組んで夢を叫んでいた。「社長になる!」「一番を目指す!」「世界一になる!」声だけは景気がよかった。体育祭かな、と思ったけど違った。もっと、ズレた何かだった。
若い社員たちの目がギラギラしてて怖かった。
ここに混じって、夢を叫ぶ自分の姿が想像できなかった。
面接官が言った。
「最初は営業ね。健康食品とか牛乳とか。頑張ったら、好きな事業立ち上げられるから。そしたらwebの仕事させてあげるからね」
ありえねぇと思った。でも一応、職場体験に付き合うことにした。断りにくかったから。
若手社員と二人で、牛乳を売り歩いた。彼は車を運転しながら、上司の武勇伝を話していた。「札幌のタワマンに住んでるんですよ!」「ロレックスもらったんですよ!」「ベンツで成人式って、バカにしてた奴ら見返したんですよ!」マジっすか、すごいっすね!とだけ言った。どこをどう頑張れば、牛乳営業の先にタワマンやベンツが待ってるのか、自分には分からなかった。
牛乳は一本も売れなかった。インターホン越しに「要らない」と言われた。ああ、って思った。胸のあたりに、少しだけ風穴が空いた。
休憩で寄ったコンビニの駐車場で、彼は実家の話をした。潰れかけた家業のこと、変わらない親のこと、そのためにここで頑張って事業を立ち上げ、家業を救いたいと思ってること。「騙されてるっていう可能性はありません?」とは言わなかった。言えなかった。彼が本気だったから。
彼と別れて、僕は一人で会社に戻った。道に迷いながら、入社の課題である社訓の暗記をした。「本気になれば、未来が開ける」「辛いからこそ感謝が生まれる」──そういうよくあるやつ。
会社には帰った。でも、入社は断って高速バスで家に帰った。
一年後。近くを通りかかって、ふと思い出して見に行った。オフィスは空っぽだった。パイプ椅子も、叫んでた若者たちも、どこにもいなかった。
帰ってその会社のWEBサイトを見に行ったら404。
まあ、そうだろうな、と思った。
それでも、思う。あのとき本気で叫んでた彼らみたいな人たちの方が、環境と噛み合えば、きっと社会を動かす側に回るんだろう。自分みたいな者よりも、ずっと。
牛乳を売れなかった日のことは、今も少し引っかかってる。初対面の人に怪訝な顔をされて、疎まれるあの感じ。営業の人たちは平気なふりをしてるけど、本当に全部気にしてないのかな、と思う。もしかしたら、気づかないふりをしてるだけなのかもしれない。それでも立ち止まらないのが、仕事ってものなのかもしれないけど。なんかね。
「本気」とか「感謝」とか、そんな気持ちのいい言葉には、前から少し疑いを持っていた。この経験で、その感覚にさらに確信が持てた。ああいう言葉をぶら下げて、人を食い物にするやつらは、やっぱりいるんだと思った。
牛乳は売れなかったけど、たぶんそれもひとつの、未来だった。
