レゾンデートル第3話


 
 期末テストが終わり、あっという間に十二月になっていた。
 はたから見て高山さんはいじめられている様子もなく、また私も同様だった。
 日置先生との接触もなかった。
 風の噂で、日置先生と長谷田が付き合っているという話を聞いた。実際、高山さんも資料室で先生と長谷田が話し込んでいるのを見たらしい。本当に付き合っていたらどうしよう、と高山さんは心底あわてた様子だった。きっと、デマだよ、となぐさめたが、実際はどうなのだろう。日置先生だったら、生徒と付き合っているというのもありえない話ではないような気もする。
 あまり親しくなかったとはいっても、野坂が亡くなったことはショックだったが、以前よりは少し気持ちも落ち着いてきていた。きっとクラスメイトも同じ気持ちだっただろう。なにも殺人事件が起こったわけではないのだ。
 高校入試も近づいてきている。なにより余計なことで心を惑わされたくなかった。

 高山さんが浮かない顔をしている。
 お昼休み、階段に来るには来たものの、口を開くことなくただ座っている。隣には一応コンビニの袋を置いてはいるが、そこから一向に物を取り出そうとしない。
「食べないの?」
 箸を進めながらたずねる。
「あ、うん、あんまり食欲なくて」
「体調悪い? 大丈夫?」
 高山さんはふるふると首を振る。
「なにかあった?」
「うん、ちょっと」
 高山さんはそこで黙ってしまった。いったいどうしたのだろう。
「言いにくいこと? 言いたくなかったらいいんだけど、私でよかったら聞くよ」
「ありがとう。でも、今ここではちょっと」
 私に言いたくないわけではないとわかり、ほっとする。
「そっか、そっか。じゃあ、放課後は?」
 聞いた直後に思い出した。
「あ、手伝いがあるんだっけ?」
「うん、帰らなきゃいけない」
 そこまで言って、高山さんは消え入りそうな、それでいて訴えるような声でつぶやいた。「けど帰りたくない」
 帰りたくないよ、もう一度つぶやくと、高山さんは握り拳を作った。
「よし、決めた。今日、うち泊まってく?」
「いいの?」
「一応、おばあちゃんに確認してからだけど。たぶん大丈夫だと思う」
 ぱっと一瞬、高山さんの顔が明るくなった。けれど、またすぐに暗い顔に戻った。
「やっぱりやめとく」
「手伝わないと怒られる?」
「怒られはしないと思うけど、いつもと違うって思わせたくないというかなんというか」
 なかなか複雑みたいだ。
「あのさ、よかったらなんだけど」
 一呼吸置いて、高山さんは口を開いた。
「午後サボらない?」
「え?」
 耳を疑った。私が言うのならまだしも、高山さんの口からサボるなんて言葉が出るとは。いじめにあっていても休んだことなんてなかったのに。
「午後サボるくらいだったら、連絡だってきっといかないでしょ。日置先生だから、きっと察してくれるよ」
「日置先生はわからないけど、サボるのはいいよ」
 答えながら、おばあちゃんが頭をかすめた。迷惑はかけたくない。でも、高山さんの言う通り、午後にサボるくらいだったら大丈夫か、という気持ちもあった。なにより高山さんの力になりたかった。
「ほんと? そうと決めたら、すぐ行こう」
 コンビニの袋を持って、高山さんはすぐに立ち上がった。
 私も空になったお弁当をあわてて片づけた。腕時計を見やると、お昼休みが終わるまでもうあと五分だった。しかも、次は日置先生が担当する数学の授業だ。
「ヤバい、午後の授業始まっちゃう、急がないと見つかっちゃうよー」
「急げー!」
 高山さんは階段を駆け下りる。太っているとは思えない身のこなしだ。
 教室から鞄を持ち出して、私たちは笑いながら、校舎を出ていった。
 周りの目は気にならなかった。
 校舎を出てからも走り続ける高山さんを私は追った。しばらくして、やっと高山さんの足は止まった。息づかいが荒い。
 私も、はあはあ言いながら立ち止まる。校舎を出てすぐは、身震いするほどだったのに今は体が熱い。
「高山さん、どこ行くつもり?」
「わからない、適当に走ってたから」
「てか、こっちの方、私、あんまり来たことない。帰れるかな」
「大丈夫、大丈夫、私知ってるから」
「こんな時、スマホがあったら便利なのにね」
 私と高山さんは中学三年にしてはめずらしくスマホをもっていない。
 高山さんは欲しいけれど、なかなか言い出しにくいと言っていた。叔母か叔父から言ってくれたらいいけど、まあ、まず言ってくれないよね、なんて話してたっけ。
 一方の私は、おばあちゃんがスマホを買ってくれる、と言ってくれたけれど、友達という友達もいないし、特に使う機会もなさそうなので、いいよ、と断った。おばあちゃんの年金で暮らしているので、極力、節約したいという気持ちもあった。
 それで今までは成り立っていた。
 今ではちょっぴりスマホが欲しいと思う時もある。でも、スマホがあったら受験勉強に集中できなさそうだから、これで良いんだろうな、とも思い直した。
「あ、ここはどう?」
 長く走った反動でのろのろと動きまわっていた私たちは、住宅街の一角にある小さな公園を見つけた。誰もいない。置いてある遊具は滑り台だけだ。ちょうどいい具合にぽつんと一つベンチが置かれている。
 私たちはそこに座った。
 お弁当用に持ってきたマイボトルのお茶をごくごくと飲み干す。高山さんもコンビニで買ったペットボトルのお茶を飲んでいる。
 学校と違ってここは静かだ。社会と遮断された私たちだけの空間。
かいた汗が一気に冷えて、コートの下にもぐりこむ風がひんやりとする。
 ぽつぽつと高山さんが話し出した。
「今だったら勢いで言えそうな気がする。あのね、話したかったことっていうのはね、昨日のことなんだけど」
 うんうん、とうなずく。
 ちゃんと聞かなきゃいけないと、私は座り直したあとに姿勢を正した。
「叔父が夜中、部屋に入ってきてね」
「それで、それでね、襲われそうになった」
 ごくん、と唾を飲み込む。少しの間、言葉が出てこなかった。
「え、なにそれ? どういうこと?」
 そう返すのがやっとだった。
「すごくお酒くさかったから、多分酔っぱらってたんだと思う。体への重みで目覚めて、なんだろう、と思ったら叔父がいて」
 高山さんは表情を変えずに、淡々と答えた。
「それで……大丈夫だったの?」
「キスはされたけど、必死で抵抗したら、部屋から出ていった。普段は、お酒飲んでもそこまで酔っぱらってることはなかったんだけど」
「今までは? 今まではそういうことなかったんだよね?」
「うん、なかった」
「叔母さんは?」
「叔母は寝てたから知らないと思う。今日の朝もどんな顔して叔父にあいさつしようと考えてたら一睡もできなかったの。そしたらね、全然普通なの」
「覚えてないってこと?」
「たぶん。いつもと一緒だからびっくりしちゃった」
「なにそれ」
「気持ち悪いよね」
 あーあ、私は一体いつになったら好きな人とキスできるのかなあ、おどけて言う高山さんが痛々しく見えた。私は笑わなかった。笑えなかった。
「それじゃ、帰りたくもなくなるよ。私だったら、こわいもん。またそんなことがあるんじゃないかって。叔母さんには言えない?」
「うん」
「そりゃあ、そうだよね。二人とも普段は嫌がらせしてくるとかはないの?」
「それはないよ。親切にしてくれてる。ただ本当の親ではないし、やっぱり気は遣うけどね」
 少しだけ安心した
「やっぱり今日、うち泊まったら? でも、ずっとってわけにはいかないだろうし、うーん、難しいね」
 二人ともそれからは黙っていた。
 頭の中でなにかいい方法はないか考えたけど、出てこない。おばあちゃんに言う? でも、言ったからってどうなるんだろう。余計な心配事を増やすだけな気もする。
「ごめん、大丈夫。なんか聞いてもらったらすっきりしちゃった。私、学校終わるくらいの時間になったらいつも通り、家帰る。もうたぶんそんなことないって思うから。今までもなかったしさ」
 まだ叔父夫婦と暮らしはじめてから数ヶ月しかたっていないはずだ。これからなにもないなんて言い切れない。でも、わざわざ不安をあおりたてるようなことは言えなかった。
「帰るまでは一緒にいてくれる?」
「うん、もちろん一緒にいるよ」
なにもできない歯がゆさを抱えて、私は高山さんと別れた。

 冬休み直前。三者面談が始まった。
 私の家では祖母が、高山さんの家では叔父さんが来ることになっていた。
 廊下で初めて、高山さんの叔父さんを見た。中年太りとは無縁のスマートでスタイルの良い人だった。高山さんとは似ても似つかない。眼鏡の奥で柔和な目が光っていた。
 とても近親者を襲うような人には見えなかった。
 私の視線に気づくと、叔父さんは、にっこりとほほ笑んで会釈をした。私も軽く頭を下げた。
 三者面談の最中、私は気が気でなかった。先生が、なんらかのルートで学園祭の話を聞いて、それを祖母に話さないか不安だった。余計な心配をかけたくなかった。
 なんなく三者面談が終わり、ほっとしたのもつかの間、先生は私だけ少し残るようにと話した。祖母の手前、断りづらく、私はそれを受け入れた。
 祖母には先に家に帰ってもらうように伝えた。祖母が教室を出て行ってすぐに、先生は語り始めた。
「学園祭の話、聞いたぞ」
「誰からですか?」
 間髪をいれず、たずねた。
「そんなの誰だっていいだろ」
 先生は答えなかった。
 高山さんだろうか。それとも、長谷田だろうか。あれは、長谷田の差し金ではなかったのか。
「大変だったな」
「私は大丈夫です。それより高山さんが」
「ああ、高山な、高山も俺がフォローしておくから」
「お願いします」
「まったく、おさまったと思ったのに、あいつらもこりないな。俺から叱っておくから」
「いや、いいです」
 またそのせいで変なことが起こったらたまったもんじゃない。
 卒業までやりすごせれば、それでよかった。
「なんでだ、放っておいたらダメだろ」
 先生は心底不思議そうな顔をしている。
「もうあと三ヶ月くらいで卒業ですし、波風立てないでほしいんです」
「あのなあ、工藤、そういう事なかれ主義はよくないぞ」
 大人はみんなそうじゃないか、言い返したくなる気持ちをおさえつける。
「先生こそ、いいんですか。私にばかりかまっていて。噂になってますよ」
「俺の噂? どんな噂だ?」
 先生は首をひねっている。しらじらしい。ほんとはわかってるくせに。
「先生と長谷田さんが付き合ってるっていう噂です」
 先生は、一瞬驚いたような表情をしたあと、またすぐに元の表情に戻った。
「噂になってるのか、そうかあ、それはまずいなあ。でも証拠はないんだろ」
「証拠なんてないですけど」
「なら、よかった。工藤は口がかたいからな、先生言っちゃうけど付き合ってるんだよ、ほんとに」
 にやにやと気持ち悪い笑みを浮かべながら先生は言った。
 噂は本当だったのか。動揺を悟られないように言い返した。
「そんなこと言っていいんですか。私が誰かに告げ口するかもしれませんよ」
 先生は、ふん、と鼻を鳴らした。
「いや、工藤は告げ口しないさ。わかってるんだよ、工藤のことは。工藤は周りを信頼してないだろ。そんなやつの言う話なんて誰が信じるっていうんだ。今の会話を録音してれば別だけどな」
 かっと頭に血が上った。なにがわかるというんだろう。先生なんかに。私のなにが。でも、確かに的を射ていた。私が誰に言うっていうんだろう。ほかの先生なんかに言うはずがない。言ったとしてもきっと高山さんくらいだ。でも、高山さんだって、先生のことが好きなのだ。余計なことは言わない方がいいだろう。
 先生にすべてを見透かされている気がして、それが一段としゃくにさわった。
 下を向いて黙っている私に先生はなおも続けた。
「これはね、工藤を守るためなんだよ。俺が長谷田と付き合うことで、長谷田もうれしいだろうし、いじめの抑止力にもなる。一石二鳥だろ」
 したり顔で話す先生に嫌悪感をもよおしながら、私はなんとか口を開いた。
「そんなの頼んでないし、先生は間違ってます」
「頼まれてなくてもやるんだよ。状況を良い方向に持っていくのも、教師としての仕事の一環だからな。生徒を守るために俺はやるんだよ」
 結局、私は誰にも先生と長谷田が付き合っていることを話さなかった。話せなかった。
 冬休みに入ったあと、高山さんとはまったく会わなかった。叔父さんとは大丈夫だろうか。心配が頭をよぎったけれど、できるだけ頭の隅に追いやった。
 冬休み明け、高山さんの元気そうな顔を見て安心した。何事もなかったようだ。
 でも、長谷田の姿が見えなかった。長谷田が冬休みの間にいなくなって、そのまま行方不明になったと知ったのはそのすぐあとだった。
 いつも長谷田のそばにひっついている二人組が、しゅんとおとなしくなっているのを見て、いい気味と思った。
 なんで、長谷田はいなくなったんだろう。捜索願いが出されているものの、一向に見つかっていないらしかった。頭にちらつくのは、先生と長谷田との関係だった。
 長谷田がめんどくさいことを言ったのだとしたら? それで先生が保身のために長谷田を手にかけたとしたら? よくない想像が頭をもたげた。でも、いくらだいっきらいな日置先生でも殺人までするだろうか。
 私は意を決して、放課後、先生のいる職員室へと足を向けた。
 職員室にいた先生は、私が話したいことがあると言うと、あっさりと快諾して、いつか私と高山さんと先生とで話した応接室に入った。
 ソファに座ってすぐに切り出した。
「長谷田さんのことなんですけど、先生、なにか知りません?」
「知らないってなにが?」
「なにがって、先生、まがりなりにも長谷田さんと付き合ってたんですよね? 長谷田さんが行きそうな場所とか知らないんですか?」
「いや、さっぱりわからないね」
 先生は平然と言ってのけた。
「先生は心配じゃないんですか?」
「心配だよ。だけど、こっちが騒ぎ立てたって長谷田が出てくるわけじゃないだろ」
 先生は妙に冷静だった。
「そんなに落ち着いているのは、もしかしたら先生が、長谷田さんの失踪に関わってるからじゃないんですか」
 先生は鼻で笑った。
「俺が長谷田を殺したとでもいうのか?」
「そこまでは言ってないですけど。なにか関係あるなら教えてほしいです。警察にもなにか聞かれたんじゃないですか? そもそも先生は言ったんですか? 正直に。長谷田と付き合ってるってこと」
「いいや、言ってない。言ったら、俺はこの学校にいられなくなる。長谷田がいけないんだよ。俺と長谷田が付き合ってるなんて噂が出たのも、あいつ自身が周りにほのめかしたからに違いないんだ。第一、なんで工藤が心配する必要がある。高山と工藤を陥れた張本人じゃないか。それにクラスメイトだからって、心配するような性格でもないだろ」
「ひどいなあ。行方不明になったら、さすがに私だって、心配しますよ」
「とにかく」
 もっともらしく先生は咳払いをした。
「俺はなにもしてない。ただ、あいつもあいつなりに進路や親との関係で悩んでいたから、案外本当に家出したのかもしれないぞ」
 工藤が心配する必要なんてないんだから、と言いながら先生はぽんぽんと私の頭を軽くなでた。
「とにかく警察に任せよう」
 結局、なにもわからないまま、応接室を追われることとなった。
 なにか隠しているようには見えなかったけど、もしかしたらそう見せるのがうまいだけかもしれない。
 先生と長谷田が付き合っている証拠はなくても、噂にはなっていたから、きっと誰かがそのことを話して、事情聴取は受けているだろう。
 高山さんとの会話にもむろん長谷田のことが出てきた。
 高山さんは、これまで見たことのないぞっとするような冷笑を浮かべていた。
「あんな害虫、いなくなってよかったんだよ。まあどっちにせよ、卒業までもう少しだったけどさ。それでも感謝しなきゃね。もし長谷田がなにか事件に巻き込まれたんだとしたら、その犯人に」
 私はなにも言えずにただ黙っていた。
 結局、長谷田は見つからないまま、二月に入った。
 高山さんは一般入試で女子高への切符を手に入れた。私も推薦入試に合格できたので、ひとまずほっとした。
 高山さんはあれ以来、叔父さんが襲ってくることはないと言っていた。それでもひとつ屋根の下で一緒に暮らすのはおそろしいだろう。
 もしかしたら、高山さんは私に気を遣っているのかもしれない。でも、私が見ている分には元気そうだったので、私は、高山さんの言葉をそのまま正直に受け止めることにした。
 本当になにもなかったとしても、一回起こったことだ。またいつ起こるかはわからない。高山さんはこれからもそんな恐怖と戦うのだ。高校に入ってからも、ずっと。私が高山さんの立場だったら……と考えるだけで、肌が粟立ってくる。
 そんな折、高山さんにイルミネーションを見に行こうと誘われた。
 イルミネーションといっても大々的なものではなく、電車に少し揺られれば着く、ショッピングモールの屋上にあるこぢんまりしたイルミネーションだった。
 冬季はずっとイルミネーションをやっているらしく、お互い高校に合格したお祝いとして見に行きたいという高山さんの誘いに乗った。いろいろ買い物しようとも約束した。
 もしなにかいいものを見つけたら、日頃の感謝を込めて、おばあちゃんにプレゼントしよう。
 学年末テストを受けて、一度家に帰ってから、私は約束の場所へと向かった。あえて、わくわく感を高めるために、高山さんとは現地集合することになった。
 厚手のコートに手袋やマフラー、と防寒対策はしっかりしてきたつもりだったけれど、それでも冷気が肌をくすぐり、思わず身震いする。カイロも持ってくればよかったかもしれない。
 夕方六時前の電車内は、部活帰りの学生や帰宅途中のサラリーマンでごったがえしていた。それはホームを降りてからも続いた。
 人混みは嫌いだ。なんとか波をかきわけて、私は駅ビルの屋上へと足を向けた。
 屋上に入ってすぐのベンチにちょこんと高山さんは座っていた。
 トナカイやツリー、ハート型のオブジェがこうこうと光り輝いている。
 クリスマスをとうに過ぎているからか、私たちのほかは中学生らしきカップルが一組いるだけだった。
「これくらい小さい規模の方が、見やすくていいよね」
 高山さんはピンクのライトがあたった顔で笑った。
「そうだね。人も少ないし。でも、どうせだったらクリスマスに来られたらよかったかもね。ツリーもあるし」
「クリスマスの時期だと、人がたくさんいそうだから微妙じゃない?」
「確かにね。そうかも」
「寒いから、そろそろ中入ろっか」
 イルミネーションを満喫した私たちは、建物内に入った。
 高山さんとはおそろいのもこもこしたルームソックスを買った。おばあちゃんが大好きな緑茶も見つけ、思わず口元がゆるんでしまう。
「ごめん、私、そろそろ」
 高山さんに切り出され、腕時計を見やると、ちょうど七時になった頃だった。
「夜ご飯も一緒に食べようと思ってたのに」
 おばあちゃんにもそう伝えていた。おばあちゃんは、おいしいもの食べてきてね、と快くおこづかいをくれた。
 私がむくれると、ごめんね、と高山さんは眉を八の字にした。
「今日は、叔父と叔母と夕飯食べようって待ち合わせしてるんだよね」
「そうだったんだ、じゃあしょうがないよね」
 だったらはじめからそう言ってくれればいいのに。湧き上がる気持ちを抑えつつ私は言った。
「叔父さんとはもう大丈夫なんだ?」
 確認するように聞くと、高山さんはうなずいた。
「よかった」
「じゃあ、ここで」
 一人で食べていくくらいなら、なにかおばあちゃんの分も買って帰って家で食べよう。
 私はサラダや魚、コロッケなどを買いこみ、ショッピングモールをあとにした。
 最寄りの駅で降りて、バス停で次に来るバスをチェックしたけれど、三十分くらい来なさそうだったので家まで歩くことにした。疲れていたので、本当はバスに乗りたかったけれど、仕方ない。
 家までは二十分ちょっと歩く。いつもだったらなんてことはないけれど、外は真っ暗で、街灯も乏しい。周りには人も見えなかった。
足を早めたいのに、向かい風がひどく、前になかなか進めなくてもどかしい。寂しげに立っている街路樹が、風が吹くたびにざわざわと揺れる。
 ふと足音が聞こえたような気がして、後ろを振り返った。
 誰もいない。きっと風のせいだ。
 こんなに心細くなるのは。
 急に明るいところに行きたくなった。遠回りだけれど、学校を通るルートで帰ることにする。
 遠くに学校が見える。明かりが少しもれているのを見て、ようやくほっとした。
 その瞬間。突如として誰かに抱きつかれた。叫ぼうとする前に手が伸びてきて、鼻に布を押し当てられた。

 笑い声がする。その笑い声はけたたましく、耳を覆いたくなる。けれど身動きできない。
 笑い声はどんどんどんどん大きくなるのに、姿は見えない。でも声には聞き覚えがある。
 お母さん。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

いいなと思ったら応援しよう!