【一部有料】『家族』の定義って何だろう。
タイトル
『星の降る家のローレン 僕を見つける旅に出る』
著者
北川恵海
以下感想文
ローレン曰く「アンタはこれ以上『良い子』になんてなったらあかん」、父曰く「お前はいっつも『良い子』で。もの凄い『良い子』で。言いたいこと全部飲み込んでるんちゃうかと」。
主人公の宏助(こうすけ)は子供の頃、実の母に捨てられ、ローレンという老人に助けられ、施設で過ごし、今の両親に引き取られた経緯を持ちます。
新しい両親と出会う前は、まともに接してくれる大人が他におらず、ローレンに依存気味でした。
宏助はある日こう言います。「僕をローレンの子供にしてや」「そしたら僕、もっと良い子になる」。
ローレンはこう返しました。「アンタはこれ以上、『良い子』になんてなったらあかん」「大人にとって都合のええ子になったらあかん」。
実の母から怒鳴られ、変わりばんこにやってくる知らない男性に殴られ。そんな生活を送っていた宏助が、「良い子でいれば家族でいられる」と条件付けていたとしてもなんらおかしくはないでしょう。
部屋の隅で黙って大人しくしていれば怒られない、と学習してからの宏助は、上手く喋ることができなくなっていました。
ローレンは宏助のお願いを断った代わりに、「宏助の親友にはなれる」と言いました。
親友だから、喧嘩しても仲直りできる、相手のことを大事に思ってさえいれば、ずっと親友でいられる、と。
以来、宏助は自分からローレンに話しかけることが増えたと言います。喋る度につっかえることも次第になくなり、クラスメイトとも仲良くなっていきます。
この時点で、宏助の中では「家族」よりも「友達・親友」の方が安心できる関係だったかもしれません。
もしローレンが宏助の親になることを了承していたら、宏助の中で何かが歪なままになっていたかもしれません。
家族でいるためには、大人にとって「良い子」でなければならない。
親友でいるためには、お互いを大事に思ってさえいればいい。
新しい両親に引き取られ「家族」となった時も、宏助は「都合の良い子」になろうとしていたのではないかと思います。
初めて与えられた、自分の部屋。天井には、宏助の星座、父の星座、母の星座の3つをシールで貼った。
大学生になった宏助が家を出ると決めた日、「本当はここに、ローレンの星座も貼ってあげたかった」と振り返っています。
宏助の中で「家族」の定義が変わったであろう場面も、家を出ると決めた時。
子供が欲しかったけれど授かれず、施設から引き取る決断をした両親。普遍的な家族のまるで変わらない日々を、愛情を与えてくれた2人に、「家を出て、年老いたローレンと暮らしたい」と伝える。
宏助自身は、酷い裏切りだと思っていました。
が、蓋を開けてみれば、両親は大喜び。
「お前はいっつも『良い子』で。もの凄い『良い子』で。言いたいこと全部飲み込んでるんちゃうかと」「ようやくホンマの気持ちを教えてくれたんやな。これでやっと、ほんまもんの家族になれた」。
私にも、おそらく宏助にも、結局「家族」の定義がなんなのか、よく分からずじまいでした。
だけれど、少なくとも、「良い子」で在ることよりも、本当の気持ちを伝え合えることの方が家族らしいだろうことは痛いほど理解しました。
私と歳が近い宏助を中心に考察を巡らせたわけですが、ローレンはどうだったのでしょうか。
妻と息子のために必死で働いて、必死になりすぎて、妻の心労や息子の成長をたくさん見逃し、息子を事故で亡くし、妻はいよいよ耐えられなくなり、離婚し、ひとりぼっち。
そんな折に、捨てられて間もない宏助と出会い、以降も助けを必要とする子供たちの姿が目に留まるようになり、最期は宏助と一緒に暮らした。
私には何が何やらと言った具合に、まるで想像もできない世界を生きていたローレンも、子供たちによって救われていたらいいなと思います。
さて、ここからは自分語りも交えていきます。
ここまで感想を書いておきながら、ぶっちゃけ、昔……中学生時代の私はこの本が苦手でした。
まず大前提として、私の両親はとても愛情深い人たちです。心の底から、娘たる私の幸せを願ってくれていることが、普段の言動から垣間見えているような人たちです。
私も、両親が大好きです。あまり口に出すタイプではないので、どのくらい伝わっているかはわかりませんけれどね。
それでも、昔の私は、昔の宏助のような思い込みをしていました。
「良い子」でいなければならない、と常に思っていて、本当の気持ちに蓋をする……そんなことが多々ありました。
と言っても、それを自覚したのは中学生の時で、それ以前からそうだったことには気づいていなかったんですよね。
小学生の頃、通知表に父からのコメントで「もっと自分の意見を言うようになってほしい」と書かれることが毎学期のようにありました。
当時も今も、ピンときていません。おもちゃやゲームは人並みに強請っていた覚えがあるし、エブリィ派の父からリモコンを強奪して天才てれびくんを視聴していたことだってあります。
でも多分、そう言うことではなさそうですよね。当時の両親が何を求めていたのか、推察は難しいです。
私が明確に「良い子」になろうとし始めたのは中学生の頃。
両親の喧嘩が増えた時期です。
「ああ、このまま離婚しそうだな」と感じることもザラにありました。今はだいぶ落ち着いているので大丈夫なんですけれど、あの時期はやばかった。
父は「アイツ(母)の顔も見たくない」と言って連絡事項を私に託したり、母は「(父は)どうせ碌なことしていない」と言って父の粗探しに私も動員したり。
ハーマイオニーみたく「私はフクロウじゃない」的なこと言って怒っちゃえば良かったのでしょうが、当時の私は役割を果たさんと奮闘していましたね。
……あれ、ありましたよね、ハリーとロンが喧嘩してハーマイオニーが怒るシーン。映画をチラ見した程度の記憶しかないので合ってるか不安です。
で、たまにこう言われるのです。
「お前のためを思うと離婚はできない」と父。
「あなたの前じゃ弱音は吐けない」と母。
どちらも、まだまだ庇護されるべき子供だった私を気遣ってのことです。
ただまあ、ここで卑屈な方向に考えを走らせるのが、昔の私の悪いところでしてね。「なるほど、つまり私はいなかった方がスムーズに事が進められたのね」と勝手に納得します。
このことが今バレたら、両親から愛ゆえのプロレス技をかけられても文句は言えません。
そんなタイミングで『星の降る家のローレン』と出会ったものですから、「良い子」を演じるのは悪いこと、なんて極端な解釈をしてしまいまして。
「え、こんなに頑張って良い子になってるのに、ダメなことだったの?」と言った感じです。うーん、我ながら素直じゃないなぁ、昔の私。
本当の気持ちを伝える。それが大事だとは、当時の私にも理解できていたと思います。ですがいきなり実行することはできず、現状に不満があることを、不登校や自傷行為といった形でばかり出力しては心配をかけてしまいました。
「星の降る家のローレン」では、家族になるにしても親友になるにしても、言葉にすることで前に進んでいる印象を受けました。最終的には言葉の力に手伝ってもらって、初めて本当の気持ちや相手を大事に思っていることが伝わるのでしょう。
とはいえ、肝心の「言葉の力」に頼れない場合に直面した時は詰んでしまう、なんてはずもない、と思いたい。他にも欠かせない要素やするべき工夫があるのかもしれない。
それこそ、ローレンが描き続けた子供たちの絵が宏助たちにとっての大きなきっかけになっていましたしね。
きっと、そう言うことを模索しながらともに生きていくことも、一つの形なのでしょうね。
さて、以上が感想文になります。いかがでしたでしょうか。
ここから先は
¥ 100
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
