生き方の癖を書く
書く人生、という言い方をすると少し大げさかもしれない。
まだ何者かになれたわけでもないし、作家ですと言い切れるほど、立派に書いてきたわけでもない。
それでも最近、自分の人生はたぶん「書く」にかなり寄っているのだと思う。
昔から何かを考えるのは好きだった。
人のことを見たり、空気を読んだり、どうでもいいことに引っかかったりするのも好きだった。
でも、ただ感じるだけだと、その多くはすぐに消えていく。
あ、と思ったこと。
なんとなく気になった違和感。
少し引っかかった言葉。
そういうものは、書かないと案外あっけなく流れてしまう。
だから私は、たぶん生きたことを少しでも自分のものにするために書いている。
食べ物のことを書いていても、本当に書きたいのは味だけじゃなかったりする。
旅のことを書いていても、本当に書きたいのは観光地じゃなかったりする。
色のことを書いていても、音楽のことを書いていても、結局いつも、その時の自分が何に反応したのかを書いている。
ボロネーゼのことを書いていても、実際には自分の変な基準の話をしている。
ビッグマックのことを書いていても、本当は旅の前に自分をどう始動させるかの話をしている。
空港の話を書いていても、書きたいのは移動そのものより、日常から少し離れていく時の身体の感じだったりする。
つまり私は、何かについて書いているようで、だいたいいつも自分の生き方の癖を書いている。
書くというのは、自分が自分の輪郭を確かめる作業なのかもしれない。
これが好きだ。
これが嫌だ。
これが妙に気になる。
こういう時に、自分は少し安心する。
こういう時に、自分は少し傷つく。
そういうものを、書きながら知っていく。
考えるだけでは、形にならないことがある。
話すだけでは、どこかで勢いに流れることがある。
でも書くと、一回立ち止まれる。
本当にそうなのか、もう少し見られる。
自分の気分だと思っていたものが、自分の癖だったと気づくこともある。
だから書くことは、表現である前に確認なのだと思う。
私はこういう人間なのか。
今、こういうふうに世界を見ているのか。
それを一行ずつ確かめている。
たぶん、書く人生って華やかなものではない。
ずっと机に向かっているわけでもないし、毎日すごい言葉が降ってくるわけでもない。
むしろかなり地味だと思う。
どうでもいいことが気になる。
その気になり方を少し寝かせる。
ほんまにそれ書くんか、みたいなテーマを持ち出す。
そこから何かが見えてくるまで、少し考える。
そういう地味なことの繰り返しだ。
でも、私はその地味さが好きだ。
大きな事件がなくても、派手な経験がなくても、一日の中にはちゃんと引っかかるものがある。
それをちゃんと拾えるなら、日常は思っているより薄くない。
むしろ、何もないような日ほど、その人がよく出る気がする。
どこで足を止めるのか。
何をわざわざ覚えているのか。
何に少し傷ついて、何に妙に救われるのか。
そういうものを見ていくと、人生って出来事の大きさだけではできていないとわかる。
私はたぶん、それを信じているから書いている。
大げさなことがなくても、書くに値するものはちゃんとある。
誰にも理解されなくても、自分にとってはどうでもよくない。
その感じを、できるだけ雑に扱いたくない。
だから私は、たぶんこれからも書く。
何かを証明するためというより、何かを残すためというより、書いている時の方が、少しだけ自分が自分に戻るからだと思う。
人生には、うまく言えない時間が多い。
自分でも整理がつかない時期もある。
人に説明できない気分もある。
でも、書いてみると、その全部が少しだけ形になる。
もちろん、書いたからといって救われるとは限らない。
うまく書けない日もあるし、書いてもよくわからないまま終わる日もある。
それでも、書かないよりは少しだけましだと思っている。
書く人生というのは、
書くことで全部が解決する人生じゃない。
ただ、書かないと流れてしまうものを、
少しだけ手元に置いておける人生なんだと思う。
そのためなら、たぶん私はこれからも、どうでもいいようなことを真面目に書いていく。
それが誰かにとってどう見えるかはわからない。
でも少なくとも自分にとっては、そうやって書いてきた時間が、
少しずつ今の自分を作っている。
