【旅行前に】サグラダ・ファミリア予習ページ⑤スペイン内戦編 〜消えた設計図〜
ガウディが指揮を執っていた頃、サグラダ・ファミリアの設計には主に模型が用いられていました。
それは、ガウディが思い描く三次元の空間を、二次元の設計図に正確に落とし込むことが極めて難しかったからです。
また、実際に建築に携わる職人たちにとっても、細かな図面より模型の方が直感的に理解しやすく、作業がしやすかったといいます。
一方で、設計図の方を好む人もいました。
そのため、ガウディ自身ではなく、他の建築関係者によって設計図が描かれることもありました。
しかし現在、それらの設計図や模型は、ほとんど残っていません。
ガウディが亡くなったのは今からちょうど100年前の1926年。
その10年後、1936年にスペイン内戦が勃発します。
この内戦は、軍人フランコを中心とする反乱軍(後の国民軍)と、共和国政府側(人民戦線を含む)との戦いでした。
反乱軍(国民軍)側には、ナチス・ドイツやファシスト政権下のイタリアが支援に入り、一方の人民戦線側には、義勇兵として参戦したジョージ・オーウェルや、従軍記者として内戦を取材したアーネスト・ヘミングウェイといった知識人たちも関わっていました。
内戦は泥沼化し、スペイン社会に深い傷を残します。
その惨状を象徴する作品が、スペイン出身画家ピカソが描いた《ゲルニカ》です。
この作品は、バスク地方の都市ゲルニカに対して、ドイツ軍が戦史上初の本格的な都市無差別襲撃をした様子を描いています。
パリ万博のスペイン館で公開され、スペイン内戦の悲惨さを世界に知らせました。
この内戦により、サグラダ・ファミリアへの被害も例外ではありませんでした。
バルセロナがあるカタルーニャ地方では、反宗教・反教会を掲げる無政府主義者(アナーキスト)たちが勢いをつけ、反教会運動を活発に行い、教会、修道院などの宗教施設や聖職者の住居などは襲撃されていました。
その中で、一際大きく、目立つ存在であったサグラダ・ファミリアも標的となりました。
その中で特に被害が大きかったのは聖堂内にあったロザリオの間、
そしてガウディの事務所は破壊され、そこに保管されていた設計資料や模型も失われてしまいます。
ロザリオの間は、ガウディが最初期に完成させた場所のひとつであり、サグラダ・ファミリアの中でも特に重要な空間でした。
そのロザリオの間は、破壊後およそ50年間、誰も足を踏み入れることがありませんでした。
そして復興を任されたのが、『ガウディの伝言』の著者である外尾悦郎さんです。
しかし、そこには決定的な問題がありました。
すでに、ガウディの意思を確認するための設計図も模型も存在していなかったのです。
そこで外尾さんは、ロザリオの間に残された彫刻を手がかりに、考えなければなりませんでした。
なぜここに、「爆弾を持つ少年」と「祈りを捧げる少女」がいるのか。
それらは、何を象徴し、何を語ろうとしているのか。
そこで外尾さんの想いは、ぜひ本を読んで、外尾さんの言葉で味わって欲しいと思います。
サグラダ・ファミリアは、
ここから先、設計する建築ではなく、解釈する建築へと変わっていきます。
