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プラド美術館とゴヤ――王権美術が終わるとき

ゴヤは、王権を支えるために始まった宮廷美術を、内側から崩壊させた画家であります。

プラド美術館に至るまで、宗教画は信仰を管理し、肖像画は王を制度として固定し、神話と歴史画は支配を正当化してきました。

しかしゴヤの登場によって、「王を描くこと」そのものが不安と疑問を孕み始めます。

歴史的背景

18世紀末から19世紀初頭、スペインは急速に不安定化します。

  • 啓蒙思想の流入

  • ナポレオン戦争とフランス軍の侵入

  • 王権の動揺と無能さの露呈

  • 宗教と国家の権威の失墜

ゴヤは、王室に仕えながら、王権が瓦解していく瞬間を目撃した最初の画家でした。


ゴヤの段階的変化

1. ゴヤ(初期) ― 王権の内部にいる画家

  • 代表作:『カルロス4世の家族』

  • 特徴:構図は伝統的な宮廷肖像。しかし、人物の表情には緊張、虚無、滑稽さが漂う

  • 解説:王を否定はしないが、もはや理想化もしない。ありのままのリアルを描くスタイル。ここで王権美術は、輝きを失い始める

『カルロス4世の家族』
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:La_familia_de_Carlos_IV.jpg
所蔵:プラド美術館

2. ゴヤ ― 歴史画が告発に変わる瞬間

  • 代表作:『1808年5月2日、マドリード』『1808年5月3日、マドリード』

  • 特徴:勝者も英雄も描かれない。国家ではなく、名もなき民衆の死が中心

  • 解説:歴史画はもはや「正統性の物語」ではなく、「暴力の記録」へと変質。ゴヤは、マドリードでナポレオン軍によって市民が銃殺される場面を、英雄化や美化を排して描いた。ここでは、神話や歴史によって王権を正当化してきた従来の美術の言語そのものが、決定的に機能不全に陥っている。

『1808年5月2日、マドリード』
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:El_dos_de_mayo_de_1808_en_Madrid.jpg
所蔵:プラド美術館
『1808年5月3日、マドリード』
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:El_Tres_de_Mayo,_by_Francisco_de_Goya,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg
所蔵:プラド美術館

3. ゴヤ(晩年) ― 王権美術の外へ

  • 代表作:《黒い絵》シリーズ(自宅「聾者の家」の壁に)

  • 特徴:王も神も登場しない。理性の崩壊、狂気、恐怖、沈黙。

  • 解説:もはや「見せるための絵」ではなく、王のためでも、教会のためでもない。王権美術は、ここで完全に終わる。

『我が子を食らうサトゥルヌス』
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Francisco_de_Goya,_Saturno_devorando_a_su_hijo_(1819-1823).jpg
所蔵:プラド美術館
『食事をする二老人』
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Viejos_comiendo_sopa.jpg
所蔵:プラド美術館

ゴヤの生涯

幼少期サラゴサで生まれ育ったゴヤは、家の壁に戯れに描いた牛の頭を大人たちは見て、将来画家になることを信じていました。
彼自身も、画家を目指していました。14歳から修行に入り、イタリアで絵画技術を修得し、27歳で宮廷画家フランシスコ・バイユーの妹のホセファと結婚しました。宮廷画家の義兄の支えもあり、サンタ・バルバラ王室のタピストリー工場で原画を描く仕事に就きました。そこで、描いた『サン・イシドロの牧場』はタピストリーの下絵の域を超えて、一枚の油彩画として高い評価を受けています。

『サン・イシドロの牧場』
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:La_pradera_de_San_Isidro_de_Goya.jpg
所蔵:プラド美術館

この絵が高く評価されたことで時の国王カルロス4世に拝謁する栄誉を得て、宮廷画家となります。その後、歴代宮廷画家で最も信頼が厚く、画家としても最高峰だったベラスケスを意識したと言われる『カルロス4世の家族』を描きます。

しかし、ゴヤの身に数々の不幸が訪れます。
ホセファとの間には7人の子どもが生まれましたが、育ったのは息子ハビエルただ一人でした。その息子も天然痘に罹患しましたが、命は取り留めています。
ただ、ホセファの体調が良くなりません。療養のために拠点を変えようとマドリードの喧騒から陽光の当たるアンダルシアに向かう途中、病魔に叩きのめされてしまいます。

生死の境を彷徨ったゴヤは、一命は取り留め、半年間の歩行練習の末、ほとんど回復したものの耳だけは一切聞こえなくなりました。
この時、46歳でした。

耳が聞こえなくなったゴヤは何度も幻覚を見ます。魔女や奇怪な生物が魑魅魍魎と跋扈するその時の様子を描いた版画集が『ロス・カプリチョス』です。その内容は社会風刺、迷信批判が主軸となっています。

1800年初頭、ナポレオン率いるフランスはポルトガルを侵略するために、ナポレオン軍がマドリードへ進撃してきます。
元々政治的に無能と言われていたカルロス4世は退位し、その息子フェルナンド7世が即位します。反目していた宰相ゴドイを牢にぶち込みます。
そんなフェルナンド7世もナポレオンにより王位継承権を放棄させられ、ナポレオンの兄ジョセフがホセ1世として、スペイン国王となります。

このナポレオンの横暴の中で、マドリード市民が蜂起し、銃声の響き渡るゲリラ戦をしている様子をプエルタ・デル・ソル9番地の家から見ていたゴヤが後にその時の悲惨な情景を描いたのが、『1808年5月2日、マドリード』と『1808年5月3日、マドリード』です。

ナポレオン軍がロシア遠征で苦戦を強いられ、スペインの支配は弱まり、1813年に撤退。再びフェルナンド7世が復位します。

ナポレオン統治下では廃止させられていた異端審問が復活し、親フランス派や自由主義者は捕まりました。そんな中、ゴヤの一枚の絵が異端審問官の目に留まります。

『裸のマハ』『着衣のマハ』
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Goyas_Majas.jpg
所蔵:プラド美術館

この絵は、宰相ゴドイの家で発見されました。
マハとは、小粋な女という意味で名前ではありません。
では、このモデルは誰なのか。それは、ゴドイの愛人ペピータだと考えられています。

この時代、裸体画は不道徳とされており、カルロス4世は率先して、宮廷のベラスケス、ルーベンス、ティツィアーノが描いた裸体画を燃やそうとしていたほどです。

ゴヤは異端審問官に捕まるものの、かつてほどの力がない異端審問所では特に何もなく、『裸のマハ』を没収されるのみでした。
その後、約100年後まで『裸のマハ』は公開されません。

その後、別荘「聾者の家」に4年間閉じこもり、黒い絵を14枚描きました。
「聾者」とは、耳が聞こえない人のことだが、これはゴヤが名付けた名前ではありません。たまたま、前に住んでいた人が、聾者であり、耳が聞こえなくなっていたゴヤが気に入って住んだ家です。

『砂に埋もれる犬』
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Goya_Dog.jpg
所蔵:プラド美術館

この4年間は、誰に見せるものでもない自分だけの絵を描いていました。
耳が聞こえなくなってから何度も見た幻覚の中にいる跳梁跋扈している奇怪なものたちを自宅の壁一面に思い切り描いたように思えます。

その後、フェルナンド7世が自由主義者の弾圧を強め、ホセ1世から勲章を得ていたゴヤは親フランスだと思われているのを考え、78歳でマドリードを離れ、フランスのボルドーへ逃れることになります。
そして、82歳の長寿の命をボルドーで終えることになります。

遺体は、マドリードのサン・アントーニオ・デ・ラ・フロリーダ礼拝堂に安置されているが、首より上がありません。
それは今もまだ謎に包まれています。


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