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絶対音感〜脳の観点から〜

今日は、絶対音感について、話そうと思う。絶対音感、と言うと、私には近しい話題と言える。

悪態突かれるか、罰せられるか、以外に有名だった事がたった一つ有った亡父には、凄い才能が有った。それは、絶対音感が備わっていて、何故かピアノ、ドラムス、ギター、木琴、笛、その他を、何ら学習経験無く、且つまた、読譜不能なのにもかかわらず、演奏が出来た事だ。

特にピアノでは、ピアノの前に座り、ちょいと考えてから、指をピアノに這わせたが最後、ほんの数分で今さっき聴いたばかりの伴奏から本曲、リズムと編曲までその場で出来て、よく亡母と私を驚かせたものだ。母によれば、ヤマハの高いピアノを買った実際の理由は、私に習わせる為でなく、彼が自分で楽しむ為だったと言う。

ギターを抱えながらピアノの前に座って何か考えていたのを今も憶えている。後の借金や引越で、父はこのピアノも何処かへ売っぱらってしまった。母は、父を甲斐性なし、と蔭で悪口雑言していたが、父が演奏する気になると、母がため息をつく様な美しいメロディーを叩き出したから意外だった。

いわゆるバンドマンがするように、片手の(左手や右手どちらかの)小指の爪を伸ばしていたのを真似して同じ様に伸ばしてギターを爪弾く時に使っていた。父は戦時中の何ら音楽活動のない凡家庭で育ち、音楽の学習経験皆無で、この様な事をしていた。

だから、村では、父を喧嘩っ早いが「歌のうまいSちゃん」と読んでいたらしい(笑)。歌より楽曲のほうが私には驚きだった。父は絶対音感を使い、自分で歌いながらピアノを調節したり、笛を調節していた。楽器屋へ行けば、本屋でする立ち読みの様に立ち演奏をして、一頻り弾いた後で
「おいっ、音がズレてるぞ」
と店員に報告してから私を連れて店から出たりしていた。

父がピアノを演奏する時は、育ちの関係で(海外の曲は戦中派の彼は知らなかった)演歌の歌が殆どだったが、戦時中の歌のアレンジ曲やオーケストラ用の伴奏まで編曲して見せてくれた。
「この音をこうするとこうなる」、
とか、ピアノを弾きながら私に教えたりした。
才能のない私には分からなかったが、父の才能だけは十分理解出来たものだ。

テレビで耳で聞いた儘の美しい数小節を、頭をかしげて瞳を閉じながらアレンジを含めてドンドン弾いたものだ。アレは、私の目から見ても、本当の才能、本当の技能だった。

脳学者は、臨界期に亡父が何処かで音楽というものを学んだに違いない、と言うだろうが、父は、戦時中に育った人間で海外の音楽なんぞ勉強する間は皆無だった。

洋風のジャズを戦後によく聴くようになって、彼の才能が周囲に知られるようになったらしいが、ソレまでは誰も知らなかったらしい。学生ヤクザをしていた頃に闇米を手に入れる為に金を貰おう、とジャズ喫茶でピアノを弾いた、と言っていた。だが、ソレもほんの数年のことに違いない。未だに父がどうやってあんなにピアノやギターが上手になったのか、全く以て謎だ。


雨頭痛

絶対音感の有る人は、「気難しい」と言われる。何故か。頭痛持ちだからだ。父と私は頭痛持ちだ。私はラッキーなことに、絶対音感度は父に比べて極めて低いので、精々バンドで同級生らと騒いで歌うくらいだったが、父は頭痛にまで支配される程、絶対音感度が高かった。一度、私が幼児の頃にピアノ教師が偉そうな事をふんぞり返って言う父に嫌気がさして音感チェックをしたら、他の生徒の前で父の方が音感が良くて真っ赤になった、と言う話を母がしていて、冗談だと思っていたが、結構嘘ではないかも知れない。

絶対音感の有る人は、ありとあらゆる「音」に対して敏感だ。ソレはリズムが形を作ろうが作らまいが、音として聴こえて来るもののチューンが狂っていたら、絶対音感のある人の脳もソレを感じて、頭痛になる、と言う。父がピアノ教師に偉そうに音が狂っていると教えてあげる気持ちで言った言葉に尊大なピアノ教師が反応したのも、まぁ、普通の才能程度の人間ならば仕方ない、と感じるだろう。

近くで当事者を見て育ったので知っているが、父の音楽の感覚は通常の感覚という言葉で済まされるソレではなかった。

雨が降ると、当時多かった木造の合せ木の建物では、屋根瓦やトタン屋根にあたる雨の音はリズムを作り出し、ざっ〜と言う雑音と騒音が頭に耳を通じて入ってくる。

父によれば、(当り前の事ではあるが)雨はリズムを重んじず、変な音が沢山混ざって入っていた事から、
「あそこのトタンは重ね方がおかしいので半音狂っててうるせぇな」、
とか、父は些細な音の事で顔をしかめ、頭痛が発せられている事を母と私に告げたものだ。

雨や雷は、特に父の頭痛の種になった。今もそうだが、当時私は気圧頭痛を持っていたので、雷が始まる前の気圧の関係で雷が始まる前まで頭が痛かったものだが、父の頭痛の場合は、雨や雷が始まるとその音にガンガンと痛む頭を抱えたのが、皮肉に見えたものだ。


臨界期

絶対音感は、脳の「臨界期」に適切な訓練をすることで習得できる可能性がある、と言われる。臨界期とは、何か。特定の能力を習得するのに最も適した時期のことを臨界期と言う。絶対音感の場合、一般的に臨界期は
「3歳から6歳頃」
とされている。

よく其処此処で名の知れたミュージシャンが、
「幼齢3歳からバイオリンを始め、その天才的な演奏で…」
などと絶賛されているが、ウチの父の場合、そう言う事は有得なかった。
何故か。今と違って、国が戦時下にあったからである。戦時下に生きた人間が皆そうである様に、父は音楽教育など、ほぼ受けなかったのである。そんな臨界期がなかった父が、どうしてあんなに音楽に関して天才的に才能が有ったのだろうか。

勿論、ふと思い出したが、戦争が終わる前に、祖父が校長を務めた村の学校で、合唱大会をした折に、父は祖父から言われて、伴奏の役を買って出たと言う。こう言う事が彼の音楽教育に関連したのかも知れない。

当時、村の学校の教頭夫人が弾いていたオフリズムの木の使い古したピアノを構内に皆で運び込み、ジャズピアニストのようにアレンジを含めて弾けたと言う。
「派手に弾くなよ」
と言う祖父の言葉を尻目に、知ってか知らずか、すべての伴奏を出来たと言う。

而も、このピアノは調律が長い間されておらず、父は音叉もなしに
「音が外れてんぞ」
と言って、音楽の先生の許可もなしにピアノの上蓋を開いて勝手に調律してしまった話も、親戚のオジサンに聴いた事がある。

臨界期の時期に音を正確に聞き分ける訓練をすることで、後天的に絶対音感を習得できる可能性が高まる、等と脳科学の先生達は言うが、父などは絶対音感の程度が高かったが、その才能は伸ばせる状況にはなかった。戦時中であり、学校の校長だった父の父は堅実派で、音楽で生きていけ、とは教えなかった。どちらかと言うと、才能というより余分な何かとしてあつかわれたろう。

父自身が3歳〜6歳にはとっくに戦争が始まり、海外の影響が強かったピアノやギターは没収されれ、傍には無かったし、音楽教育などほぼなかった時代に、完璧な調律やピアノの演奏が可能だった。ソレはまるで、天から授けられた一種の特質の才能のように私には聴こえたものだ。

絶対音感と脳の臨界期

臨界期を過ぎると、その能力の習得が難しくなると考えられているが、本当だろうか。父は随分長い間戦時中からこの才能をひた隠し、且つ、戦後に変わらないレベルで音楽的才能を以てジャズ喫茶などでバイトしたりしたのだから驚愕だ。

どうやったらそんな事が可能だったのだろうか。音の高さや音程を正確に聞き分ける訓練をする事で、絶対音感を習得出来る可能性が高まる、とは言われるが、父はそんな教育は一切受けていない。特に、ピアノなどの楽器を使い、音を一つ一つ正確に聞き取る練習は、戦時中と言う事もあり、外来語一つ喋っただけで公安警察に狙われ、ピアノなど演奏したら「非国民」などと罵られる戦時中時代で、酷い時には父は祖父から演奏は一切禁じられたりしている。演奏一つも楽には出来なかった筈だ。


絶対音感と脳活動

右脳活動、左脳活動  

絶対音感を持つ人は、右脳での反応が小さい一方、左脳での反応が大きい傾向があることが一般の研究で示されている、と言う。つまり、
「右脳・左脳」の一般的な「イメージ」から言えば、
◼️左脳:論理的思考、言語、計算、分析などを担当し、
◼️右脳:映像処理、直感、感性、芸術性、創造性を担当する、
と言う違いがあるが、どちらかと言うと絶対音感者は左側の反応が大きいという。かと言って、あなたが感情的な人間で計算が駄目だから分析は出来ない、とか、勝手な憶測や勘で済む話ではない。音感は言わば、正確な音の階層が分かって居ないと調律行為は出来ないので、論理的に考える側で脳が音感を配置するという理論は理解出来る。

全くの凡人の我等には、いわゆる言葉の上での「音感」が、イメージ的に芸術性を問う「右脳特質」に聞こえがちの右脳活動の様に考えてしまうが、左脳活動であるというのが非常に興味深い。言われてみれば父はどちらかと言うと左脳型の人で、非常に個人的な関係の人達には感情的でどう仕様もなかったが、仕事が絡むと、ビジネスのノウハウや計算や分析が得意で先見を以て冷徹だった。

私が帰国直後、父の命令で主治医に頼んで検査して貰ったら、
「CHACHAちゃんは、左脳が異常に発達してるね、言語が2か国語になったからかな」、
と言われたそうだ。ソレを知ってニヤリとしていた父を思い出す。

言語処理との関連  

絶対音感は、言語処理と類似した脳の働きをしている可能性が指摘されていると言う。コレは、言語の様に、臨界期が非常に若くても伸ばす事の出来る感覚であり才能である事、また、生まれ出て来た瞬間から声を、音を聴いていることから発達においてほぼ本能的に磨いてきているから、言語処理同様、音感がごく自然に本能的に脳内で活動して来ていると言う理論ではないかと思われる。

父の場合もソレに当たるのではないか。戦時中に生まれ、戦中はとにかく音楽教育や情操教育の殆どが疎んじられた時代に育成されたにも関わらず、これ程音楽に優れた人間だった父。今の時代なら、大きなスターになっていたであろうに、と不憫に感じる。

音楽以外の影響

絶対音感は、音楽だけでなく、言語能力や記憶力、集中力など、他の分野にも良い影響を与える可能性があると考えられている。つまり、音感で音を聞く時の集中力や、前に聴取した声や音の質を憶えているなど。

認知症になると衰える絶対音感

私は、父と母が認知症で鬼籍に入ったので、認知症については詳しい方だ。同時に脳について学問的興味があったのも、父の認知症および昔からの人格形成等について興味があったから、というのが直接的な理由で、父の絶対音感は、幼児の頃からの父の天才的な音楽的才能と自分を傷つけて殺してしまう自暴自棄的な人格異常を観てきたから、といえる。

父の「死因は肺がんだが、同時に病んでいた脳が縮小し、アルツハイマーが悪化したことで亡くなった、とも言える」と父の臨終に付き添った主治医が私に言った。死後、よく見てみると、父の顔は棒の様に細くなり、頭の耳の横から反対側の耳の横端までのサイズが、元のサイズのほぼ3分の一以下の縮小した小頭症並のサイズだったのを見て、泣き崩れたものだ。つまり、それだけ、脳が縮んでしまった、という事だ。

絶対音感を伴う調律スキルは、認知症になると衰える才能だと言う。まぁ、認知症は全てにおいて、あらゆるその人となる才能やスキルをすべて破壊するものだが、特に絶対音感を伴う調律スキルには、簡易な手順的に言えば、
「或る一定の基本音を中心に成り立ち、基準となる音を音叉やチューナーで確認し、その音を元に他の全ての音を合わせて」
行く行為だ。父の場合、その基準となる音が彼の頭の中に常に正確に鳴っていたから、音叉やチューナーは不要だった。だからこそ、裸の耳で何ら補助のツール無く、調律が可能だったと言えよう。認知症を発症してからは、調律どころか、音感でたもてた彼の記憶はおろか、音が醸し出す情操的な気持ちも全てなくなってしまったのだ。父は発症が2006年なので、そう言えば、当時から歌を歌えなくなり始めていた。歳を取っているから、と思っていたが、今考えてみると、記憶が少しづつ擦り減って行ったからなのだろう。

幼児期から、父は厳格な祖父のもとで6人兄弟の一人として、戦争で上の兄を亡くし、一人の次兄と他の3人と、兄弟全員を並べて比べては贔屓を繰り返した残忍な祖父母の感情的且つ肉体的な虐待にも遭遇し、終いには実家から追い出され、自分の不始末とは言え、勘当されて、決して楽な人生を選んだ人ではなかった。

そんな中で、父が持っていたいわゆる「完全な絶対音感」(絶対音感度が最高位で完全である事)を持っていながら、人生で活用出来なかった不本意さ、無念さは、余りある。未だに可哀想で不憫に感じる。

同時に、この才能を、あの乱暴者な父の中に存命中から見つける事が出来た私は恵まれていた、と言えるだろう。父のDNAのせいか否か、私は若い間、バンド活動に勤しみ、いろんなロックの歌を歌った。

父から、
「お前はドラムスがいいよ、リズム感がいいからね」
とよく言われていたが、私はボーカルしか出来なかった。ドラムスは嫌いではなく、よくドラムスの男の子にドラムスの打ち方教えて貰ってニカニカしていたものだ(笑)。懐かしい思い出だ。

最後に

2010年頃に、父に「歌を聴かせろ」と言われて、新たなバンドのボーカルオーデション(勿論、受かった奴)をテープに録り、聴かせてやった。2010年というと、発症して数年後、今考えるに、当時まだ頭ははっきりしていて、暴力もそう激しくない頃だった。音感も良かった筈だ。父と私はバンド活動の話になると、友達のようによく話したものだ。

ホワイトスネイクの「Can You Hear the Wind Blows」(この風の音が君には聴こえるかと言う意味)ほか数曲を渡したら、聴いてくれて、
「お前、旨いじゃん。リズムがあって、コブシが聴いてて、ガッツが有って。俺の娘だなぁ」
と褒めてくれた。人生で最初で最後の父からのお褒めのお上手言葉を戴いた思い出だ。

今では、そんな父も亡く、私は今じゃ高血圧症でドクストにあい、顔を真赤にして高音でハードロックなんて歌える年齢ではなくなった(苦笑)。でも、いい思い出だ。


本日も読んで戴き、有難うございました。良き一日でありますように❣❣❣😊

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