「父」と「私」と「性」
「父」との関係を語ってみようと思う。
私は、母についてはよく語るけど、
父については避けてきている自分を自覚している。
あまり語りたい気持ちになれず、
語ろうとすると急に口を閉ざし、心もパタンと閉じてしまう。
何も感じないように、何も浮かばないようする。
そうしていても生活に支障はないので、わざわざ見ようとはしない。
「性」について振り返る中で、私は「父」の存在の大きさを知った。
「父」と「私」と「性」って関係があるかもしれない。
そう思った。
だから「父」について語ってみよう。
私はファザコン!
父が大好きだった💕
とーーっても厳しくて、怒ったらとーーっても怖くて
ビクビクして震えがくるほどだけど、それなのに、
父のことがとーーっても大好きだったんです。
私は三姉妹の長女ですが、姉妹全員がファザコンです。
中でも私は生粋のファザコンと思われる。
父への愛着は強いと自覚している。
「性」についての記事でも触れたが、私は、小さい頃女の子は「おち○ち○」が生えてこないという事実を知って、「おち○ち○」を持っている男の子に「おち○ち○」があっていいなとたまに羨ましい気持ちを持つことがあった。
「おち○ち○」があるだけでなんかすごい!という感覚。
女の子はそれがなくて欠陥品で不完全というような弱い立場の感覚。
幼いながら、そんな感覚があった。当時は小さいから訳わかっていなかったけど、大人になって言語化するとそういう感覚だ。
そして父という存在は、立派な「おち○ち○」を持っている人なのだ。
親であり、大きな大人であり、憧れの立派なものを持っている、
「強くて逞しい、体が大きくて立派なすごい人だ!」
私が父を男として見ていた最初の気持ちだ。
小さな時の記憶だけど、こんな感覚を抱いたことを覚えている。
同じような感覚を感じた人っているのかな?私だけ?
私はそんな父を、男の中の一番すごい人と捉えた!
私が小さな頃、5歳くらいの頃だと思う。
将来は「父と結婚したい」と言っていた。
その時に母が「お父さんはお母さんと結婚しているからあなたはお父さんと結婚できないよ」「お父さんはお母さんのもの」と私に伝えた。
「えーーー、なんで結婚できないの?」「私だってお父さんと結婚したい」
と、結構真剣に口論した記憶がある。
そして母のものという事実と父とは結婚できないという事実がショックだった。
(小さな子どもの言うことなんだから好きに言わせておけばいいのにね〜。母は私に嫉妬していたようにも思えた。)
こうして、父と結婚することを諦め、父とは結婚できないことを知り、悔しさと悲しさと共に受け入れていった。
小学校に上がってからは、父が躾に厳しくとても怖かった。
父の意見は絶対で、亭主関白。普段は多くを語らず黙って読書をしている。
「遊んで〜」と子どもたちが言っても、笑みをひとつ浮かべずに「今は本を読んでるから」と、硬派っぽく断る。でも遊ぶ時は笑顔になってとても楽しませてくれる。そのギャップがたまらんのです。
海外出張も多く、長く家にいないこともあって、たまに父に会えることが嬉しかった。そして、あまり子どもたちに構ってくれないで自分のことをしていることが多い。だから、たまに遊んでくれと喜びが一層強かった。
父は優秀で国立大学も奨学金で行っていた(貧乏でお金がなかったので大学を諦めていたが、先生が大学行かせてあげてくださいと親を説得て優秀だったから奨学金をいただけたそう)英語も堪能、物知りで何でも教えてくれた。アメリカンポップスを聴いて歌ったり、クラシックを聴いて浸っていたり、ちょっとふざけてみたりするお茶目なところもあった。
学生時代は空手部の主将。その時の写真を見せてくれたり、空手の型をよくやってみせたり、ちょっと怖いけど強くてカッコイイと思いました。
とっても怖くて厳しいけど、三姉妹ともそんな父を大好きだった。
大好きとともに、尊敬という気持ちも持っていた。
「結婚するなら父のような人!」そう理想を描いた。
頭が良くて、物知りで、カッコイイ(見た目三浦友和に似)、男らしい人!
そう決めた!
この頃の理想を私はずっと持ち続けていたと思う。
結婚相手の条件だった。
10歳くらいの時、私は父から「私がいない時にこの家を守るのはお前だ」「お母さんはあんな人だから、お前がしっかりして、家族を面倒見てやってくれ」と言われた。
大好きな父からの任命!それは、私は認められていると感じられた。
それがとても嬉しかった!
それから、私は父と同一視していく。
家では、父のように振る舞った。
父に認められたくて、必要以上に頑張っていた。
父は「いつも家を守ってくれてありがとう」そう言ってくれていた。
それを母は「あーやだ!理屈っぽい。あなたのそういうところ、お父さんの嫌なところそっくり!」と言った。筋を通そうとすると、いつも言われていた。
私はそれがとても嫌だった。
思春期になり、父と意見が合わずぶつかるようになった。
今までのように私の話に耳を傾けて聞いてくれなくなり、自分の理想を押し付けてくるようになった。自分を尊重してもらえず悲しかった。
私のことで、両親が喧嘩することが多くなり、それもとても嫌で、自分がいなくなればいいと思った。自由がなく支配されている感じを強く感じていた頃だ。
父はわかってくれない人に変わった!
父との分離が始まった。
私は父への思いを親ではない異性へと移していったのだと思う。
そう!これが性的指向の始まりなのだと思う。
信頼し愛着を求める父への思いを同年代の異性へその思いを求めた。
中学までの好きとは違う、高校からの恋だ。
私は、異性に父の姿を求めていたのかもしれない!
・そばにずっといて欲しい
・頼りになる人に寄り掛かりたい
・自分を受け入れてもらいたい
私が男子と遊んだり話したりがとても楽であったと同時に、
異性は頼もしい存在が追加され、愛着の対象となった。
私の中で、父だけが理解者だった。
それを失った私は、理解してもらえる場所、愛される場所を
探し求めていたのかもしれない。
だから、恋愛をするときに愛されたいという気持ちが強く出てしまう。
恋愛はできるけど、感情のコントロールが難しかった。
父の私に対する理想は崩れ、また、私も父の理想を叶えられず申し訳ない気持ちでいっぱいだった。父は、私に多くを求めなくなった。
「好きにしなさい」
それは、尊重ということではなく、落胆のような言葉に聞こえた。
「お父さんごめんなさい」
自分を大事にする気持ちと父から見放される悲しさだった。
自立!
でも安心する場所が育っていない私は、異性にそれを求めるようになっていった気がする。
それ以降は、父と恋愛の話をする機会もあった。
彼氏は絶対紹介しなさい(何を言われるか怖くて言えなかったけど)
たくさん男の人を見て選びなさい(意外と緩い。見る目を養いなさいだった)
母は、絶対ダメ、女は操を守りなさい。と古ーい考え。
悪いものとか、男はオオカミみたいにとっても良くないというイメージを押し付けられた。私は男気質だから、父の意見がとても理にかなっていた。
そう、私の恋愛は健全とはいえないものだったと今はわかる。
愛情がよくわかっていなかった。
時々、父に対する幾つかの思いがふわっと蘇ることがある。
私の中に、父への思いがまだ存在していることを感じる瞬間がある。
きっと、私の中の奥底で眠っている。
でもそれでいい。
今は、父への思いと愛と恋と区別できているから。
これが「父」と「私」と「性」
父について、こんなに素敵に語れることはとても嬉しい✨
なぜなら、父は私が22歳の時に、私たち家族の前から消えたから。
私の貯金を使い、身内からもお金を借りて、借金だらけにして消えた。
私が泣きじゃくり「行かないで!」と父を掴んだその手を振り払い、
怖い顔をして黙って家を出て行って、二度と帰っては来なかった。
酷い仕打ちだ。とても父を恨んだ。
私の精神状態は酷かった。
でも、悲しみに浸ることはできない。生きていくことだけで精一杯だったから。
傷が深すぎて、そこには触れたくないのだ。思い出したくない。
この頃の話をするときは無感情になって話したりする。
感じないようにする。今はどんな感情なのかがちょっとよくわからない。
でもたまに、父への思いが溢れる瞬間がある。
以前は、ストレスが溜まって辛い時、苦しい時にその苦しさが当時の苦しさと重なって溢れていた。
今はストレスが無く過ごしているから蘇ることはないのだけれど、その当時を思い出そうとしたら、きっと父への思いがまた溢れてしまうのだろう。
それが怖い。
父の話を力まずに語っていけることは私の中の成長だ!
酷い父だったけど、父が大好きと思っていた自分は好き。
そして私の話に耳を傾けてくれていた父が好き。
私の中で、父の存在は大きい❗️
亡き父へ感謝を込めて✨
(追記)
小さな頃から男性のシンボルに意識が向いていたので、フロイトの精神分析理論を学んだとき、あ!これ!わかる!という感覚があった。
『エディプス・コンプレックス』っていうんだ!と知った。
それは自分のことが書かれているようだった。
マザコンやファザコンと思う方は、是非調べてみてね✨
私の場合は、エレクトラコンプレックスか!(笑)
いい記事みつけました‼️
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