承認欲求について考えていた頃
ちょうど1年前
別のブログに書いたもの
1年前に、自分はどんなことを感じ、どんなことを考えていたのだろう……
自分を振り返ってみた
承認欲求について記されてあった
それを再び記事にしたいと思う
1年前の私……このようなことを感じていた……
全ての人は、承認欲求の中で生きている
マズローの承認欲求が有名だ
人は承認欲求を求めて生きている
自然なことだけど、その強さは人によって異なる
欲求が強ければ、それはいつしか依存となっている
そのことに気づく人もいれば、気づかない人もいるだろう
承認欲求と依存は関係が深い
どこまで承認を欲求すれば依存にならないのか?
欲求が満たされなくても、自分を保つことができるならば、
依存せずに欲求ができているといえるだろう
承認欲求が満たされなかった時
そこに執着してしまう、忘れられない、求めてしまう
そのようになっていたならば、それは依存となっている
つまり、自分を保っていられなくなる時
人は欲求を満たそうとし依存する
それは、自分の不足を補うように、
その承認が自分を保つ大切な物となっている
その承認によって自分を保たせる
自分ではない、自分以外のもので自分を保とうとしている
よく使われる言葉でいえば
「自分に自信がない」「自己肯定感が低い」
そのような言葉で表現される
このような状態にある時、人は承認を満たそうとして依存しやすいといえる
しかし、私はこのフレーズがあまり好きではない。
「自信がない」「自己肯定感が低い」だから、
「自信を持つ」「自己肯定感を持つ」という表現をしがちだ
自発的で比較的ポジティブな状態にある人にとっては、
考えを切り替えることができるかもしれない
気持ちも高めていけるのかもしれない
だが、自信がなかったり、自己肯定感が低かったり、
ネガティブな状態にある人にとっては、自発的な行動はハードルが高く、
しんどい
できていない自分に劣等感を抱く
さらに自信を喪失する
自己肯定感を下げてしまう
問題となっているところを助長する
そのような表現のように感じる
私がそこを表現するならば、
「自信を感じる」「自己肯定感を感じる」
自分自身に気づくという言葉で表したい
自分の中でできていること、肯定できることに気づくことによって、
自分で自分を肯定することができるようになっていく
目を向けていけるようになって、やっと自信を持つことができるのだ
自信が無い人に自信を持てと言うのは無責任な発言だなと感じている
無いものをどうやって持つのだろうか?
それは難しい課題である
自分以外で自分を保とうと依存する人は、
自分自身の中で肯定できるものに目を向けていない
自分の中にそれを見出すことができないからである
まずは、そこに目を向けていけること
そして、肯定できるものに気付けていけること
それが、自信を持つという手がかりとなる
承認欲求の中で生きている私たちは
依存せずに自立していくために
自分を肯定できることに気づいていくということが大切なのだ
1年前の自分も
今と変わらない考えを持っていたんだな✨
記事を振り返り
私もまた
自分を肯定していける自分を感じられた😊
自立について考えた記事
noterのとのむらのりこさん(https://note.com/no0526nko)
私の前の記事を読んでくださり振り返ることができました✨
ありがとうございました💕
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