青くやわらかな送辞 第6話
夏休みに入り、母親も日本に戻ってきた。
柊也も実家に数日戻っていた。
「今日はどこかに食べに行こうか」
母とふたりの外食は少し恥ずかしかったが柊也は断らなかった。
母はお金にさして困っていないと思うが庶民的なファミレスを好む。
ファミレスのドアを開けると、チャン、と音がした。
「いらっしゃいませー」と店員の声がする。一瞬、菜都を思い出す。
母は野菜ソースがかかったチキンを食べ、柊也はイタリアンハンバーグを食べる。母は「美味しい」と言う。柊也は無言で食べる。
食べ終わり、ふたりでコーヒーを飲む。
「柊也もコーヒーが様になる歳ね」
親戚のおばさんの台詞のようだった。
「アメリカにきちんとした営業所を作るの。今みたいに出張の繰り返しじゃなくて、営業所のマネージャーを頼まれてる。ほとんどアメリカに行ってることになる。断ってもいいし、やってもいいと思ってる。どう?」
「どうって?」
「アメリカ来る?」
突拍子もないことを滑らかに言う母には慣れているがさすがに「はっ?」と声が出る。
「俺、大学入ってまだ4か月なんだけど」
「こっちの大学に編入してもいいと思うけど」
(こっち?)
母にとっての「こっち」はすでにアメリカらしい。
「学園祭実行委員会に入ってる。役割がある」
柊也は強めの口調で言った。
母はその口調に少し驚いたようだった。黙っている。
「俺にとっての「こっち」は、ジツイだよ」
「ジツイ?」
「学園祭実行委員会」
母はまた黙る。
「俺は今の大学に通い続けたい」
柊也はハッキリとそう言った。
母は、じっと柊也を見た後に優し気に笑顔を浮かべた。
「分かった。柊也、少し変わったね。強くなったみたい」
夏休み明け、実委は一気に活気づく。11月の学園祭まであと3か月。
久しぶりに会った菜都は少し髪が伸びていた。
企画委員会でイベント企画を詰めながら、後夜祭の段取りもどんどん詳細にタイムテーブルにおとしていく。
ダンス部のステージ、書道部が巨大な紙に書きあげるパフォーマンス、ブラスバンド同好会の演奏に合わせたイルミネーションパフォーマンス、メインのステージイベントは固まった。
柊也は仮のタイムテーブルを見ながら菜都に訊く。
「この「送辞」って何ですか?誰か喋るんですか?」
「あ、それは曲名。ブラバン同好会が毎年後夜祭の最後に演奏する曲」
「ふーん」
「恒例なの。もう結構前に卒業した人が作曲した曲らしいよ」
「オリジナルなんですか?」
「うん、いい曲だよ。3分くらいの短い曲なんだけどね。その曲の終わりと重なる感じで打ち上げ花火が始まるようにするの」
菜都はそう言ってクリアファイルからすっと譜面が印刷された紙を出して柊也に渡した。
「わたしは読めないけど!」菜都は笑う。
柊也は小学生の頃にピアノを習っていたので少し譜面が読めた。
「送辞」の旋律が頭を流れる。しとやかだけど力強いメロディーだった。
送辞の旋律に合わせて、花山さんが打ち上げる花火が空を彩る光景を想像する。
何だかワクワクした。
こんなワクワクするような感じ、いつぶりだろう?
総務委員会では、村田君が学園祭パンフレットの表紙の絵を描く担当に抜擢されていた。
「ぼ、僕は美術部だったんだよ!」
村田君は興奮気味に言った。
実委がどんどんひとつになっていく。
菜都はなるべく後夜祭に関わる仕事を柊也にやらせた。
ダンス部や書道部、ブラスバンドとの打合せは、菜都も横に付いていたが喋るのは出来る限り柊也にやらせた。事前にこういう風に言うといいよ、というアドバイスは丁寧で分かりやすかった。
実委の全体会に企画委員会から出す資料もなるべく柊也に頼んできた。
昨年の資料を見ながら資料を作り、菜都に見てもらう。そんなやり取りを続けながら、柊也はいつの間にか、実委の仕事にのめり込んでいた。
◇
11月初め。
学園祭パンフレットが出来上がった。
「第25回清輝祭」の文字。
そして村田君が仕上げた表紙絵は、ひとりの学生が光る太陽に照らされながら走り幅跳びのように空中を飛ぶ、それは見事な絵だった。
「すごいじゃん」
柊也は村田君に声をかける。
村田君はパンフレットを握りしめて肩を震わせていた。
警備の配置確認、発注業者への最終確認、イベントスケジュールの最終確認、各教室の必要備品の確認、消防や保健所への模擬店の届出、フライヤー類の印刷、前日・当日の実行委員の分担確認など、最終的な調整が連日続く。
柊也は菜都と一緒に後夜祭の段取りを最終確認する。
「花火、ちゃんと上がりますかね」
「大丈夫よ、花山さんはプロなんだから」
「花火で締めですもんね」
「うん、感動するよ」
「最後、僕らはどこにいるんですか」
「後夜祭の司会は放送部に任せてあるから、始まっちゃえば見守ってるだけ。ブラバンが「送辞」のイントロを始めたら花山さんの携帯に電話する」
「電話して?」
「お願いします、って言うだけ、2分30秒後に打ち上げてくれる、それを実委みんなで見るんだ」
「先輩」
「ん?」
隣で一緒に見たいです、と言いかけてたが、柊也は喉元にその言葉を引っ込めて言った。
「がんばります」
菜都は笑って頷いた。
「立川君て、泣くことってある?」
「泣く?小さな頃はありましたけど」
柊也は両親が離婚した時に、親に隠れて泣いたことを思い出した。
「小さな頃はみんなあるんじゃない?最近は?」
「泣かないですよ」
「そっか」
「どうしてですか?」
「後夜祭終わる時さ、結構、実委のメンバー泣くよ」
柊也は想像する。自分が涙を流すような光景はどうしても思い浮かばない。
「俺は多分泣かないと思います」
菜都は柊也の顔をのぞき込む。
「そう?」
「そういうのがないんですよ」
「そういうのって?」
「そういう回路が、多分壊れてるんです。泣くとか、感動するとか」
菜都は姿勢を戻し、じっくり何かを考えている。
柊也は(壊れてる)と言った自分に滅入る。
「じゃ、賭ける?」
「え?」
「後夜祭で立川君が泣いたら私の勝ち、泣かなかったら君の勝ち」
「なんですかそれ」
「賭けようよ」
「いいですけど、俺、泣かないですよ」
「じゃ、決まり」
「先輩が勝ったらどうするんですか?」
「私のお願いを聞いてもらう」
「俺が勝ったら?」
「んー、多分わたし勝っちゃうな」
そう言って菜都は笑った。
collum ファミレスでのお仕事⑥
12月、菜都は銀行のATMで通帳記入ボタンを押して通帳を入れた。
ジジっと印字される音がして、通帳が戻ってくる。
305万円と少し。
「よしっ」菜都は声をだす。
その日のバイト終わりに、菜都は店長に今月でバイトを辞めて、受験勉強に専念したいと告げた。
店長は優しかった。
「絶対受かるように祈ってる。みんな待ってるから大学生になったらまたバイトしに来いよー」
「はいっ!」
菜都はぐずっと出てきた涙をぬぐって外に出た。
由衣が待っていた。
由衣はポンと菜都の頭を撫でた。引っ込んだ涙がまた出てきた。
「がんばって貯めたね」
「はい」
「受験、がんばって」
由衣は鞄から小さな袋を取り出して菜都に渡した。
袋には「学業御守」と書かれていた。
「由衣さん」
菜都は言葉が出ない。
由衣は菜都を抱きしめる。由衣の体のエネルギーが菜都に乗り移るようで、しばらく菜都は由衣にもたれていた。
