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【すなきす+】映画『砂の器』SL撮影の謎が解けた!


【すなきす+】について

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 拙著「『砂の器』と木次線」の出版から1年半以上が経ちます。映画『砂の器』(1974年)の島根・木次線沿線でのロケがどのように行われたのか、関係された方々の証言や資料をもとにまとめたのですが、本を刊行した後になって、執筆段階でははっきりしていなかったことがわかったり、思いがけず新しい事実が明らかになったりしたことがいくつかあります。
 取材や関連イベントの裏話なども含めて、いろいろとお伝えしたいのは山々なのですが、これらの情報を今後新たなアウトプットの素材として活用していくことも考えると、あまり広く拡散してほしくないという気持ちも一方にあります。
 そこで誠に勝手ながら、通常のnoteの記事とは一線を画し、特に深い関心を持って読んでいただける方々に限定して、有料記事【すなきす+】として試行的に公開させていただきたいと思います。

SL撮影の謎とは

 今回は、拙著の第1章、53~55ページで言及している「SL撮影問題」について、新たにわかったことをお伝えしたいと思います。
 ご存知の通り、映画『砂の器』の後半の回想シーンでは、ハンセン病に罹患した父の本浦千代吉(加藤嘉)と幼い息子の秀夫(春田和秀)が巡礼の姿で全国各地を渡り歩いた末、たどり着いた島根県の亀嵩で巡査の三木謙一(緒形拳)に保護されます。
 症状の重い千代吉は岡山の療養所に送られることになり、亀嵩駅のホームで三木たちと列車を待っていると、なんと線路の向こうから秀夫が走り込んできます。父子はホームで抱き合い、泣きながら別れを惜しむのですが、そこに蒸気機関車(SL)が警笛を鳴らして近づいてきます。
 観客の涙を誘う名シーンなのですが、拙著やこのnoteの記事で何度もお伝えしている通り、撮影は実際の亀嵩駅ではなく、同じ木次線の出雲八代駅のホームで行われています。
 そしてSLに関しては、撮影時には既に木次線から姿を消していた(1971年に廃止)ため、映画では山陰線を運行していた「D51620」を別撮りし、その映像を2カット挿入しています。ちなみに勾配が急な木次線は、そもそも大型で重い「D51」は運行が不可能で、SLの時代は小型で軽量の「C11」や「C56」が使われていました。
 ところが、拙著執筆の参考にさせていただいた映画評論家・映画監督の樋口尚文さんの著書『「昭和」の子役』(2017年、国書刊行会)には秀夫を演じた春田和秀さんのインタビューが収録されており、春田さんはこの場面の撮影について次のように回想しています。

 あの場面では当時SLがすでに普通には走っていなかったので、特別にC12を呼んで動かしてもらったんですね。駅の別れのところが亀嵩駅ではなくてお隣の出雲三成駅で、そこが一部複線化していたので、そこにSLを待機させてはタイミングを見て動かして‥‥‥みたいなことをやっていました。

樋口尚文『「昭和」の子役』より

 今年3月に出版された樋口さんの新著『砂の器 映画の魔性』に収録されたインタビューでも、春田さんは同様のことを語っています。
 前述した通り、完成した作品には「D51620」の映像が使われていますので、もし「C12」をチャーターして撮影した事実があったとしても、そのカットはボツになったことになるのですが、それはそれとして、当時の国鉄を動かして木次線でそのような大掛かりな撮影が行われていたとしたら、すごいことです。
 大いに興味が湧いたのですが、筆者が地元で取材した限り、そのような撮影が行われたという話は出てきませんでした。やむを得ず、拙著では「確認できなかった」としましたが、刊行後もこのことがずっと気になっていました。
 春田さんが記憶しているSLの撮影は、果たしてほんとうに木次線で行われたのでしょうか?

ご本人に訊いてみる

 折しも去年の10月、映画公開50年を記念したイベント「砂の器記念祭」が作品の舞台となった亀嵩(島根県奥出雲町)で行われ、春田さんが撮影以来50年ぶりに木次線沿線のロケ地を再訪されました。(その時の様子は、下の記事で紹介しています)

 せっかくの機会なので、春田さんと出雲八代駅を訪ねた際、この「SL撮影問題」について直接尋ねてみました。

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