【ファンタジー小説】 真夜中の魔法具店 〜ドジっ子探偵と、消えた火トカゲの謎(2)〜
第2章:焦げた裏路地と、見えない相棒
『真夜中の魔法具店』を飛び出したエルとビスケットは、傾きかけた西日が色濃く影を落とす商店街へと急いだ。
石畳の道を行き交う人々は、みな各々の生活に忙しない。焼きたてのパンの香ばしい匂い、露店から響く陽気な客引きの声、馬車の車輪が立てるカタカタという音。そんな平穏な日常の風景の裏側で、目に見えない小さな危機が進行している。
「ビスケ、こっちだ! コンパスの針が東地区の裏路地を指してる!」
「おい、走るならローブの裾をまくれ! またつまずいて派手な音を鳴らせば、火トカゲが警戒してさらに奥へ逃げ込むぞ!」
だぶだぶのローブをバサバサと翻して走るエルに、ビスケットが忌々しげに注意を飛ばす。エルの足元を縫うように、黒猫のしなやかな影が並走していた。
「わ、わかってるってば……っと!」
言われたそばから、エルは石畳のわずかな段差に足を引っかけ、あわや転倒というところでなんとか踏みとどまる。ビスケットは呆れたように小さくため息をつきつつも、その金色の双眸を鋭く光らせて周囲を見回していた。
「エル、止まれ。……ここから先は路地裏だ。匂いが強くなっている」
大通りから一本外れた薄暗い裏路地。そこは、日当たりの悪い建物の隙間に木箱やガラクタが積まれた、迷路のような場所だった。
エルは立ち止まり、息を整えながら鼻をひくつかせた。
「……確かに。あの甘苦い、焦げたような匂いが鼻をつく。トビーが運んでいた香炉についていたのと同じ匂い……『竜の溜息』の匂いだ」
「加えて、微かにだが硫黄と焦げた木の匂いもするな。間違いない、奴はこの路地のどこかに潜んでいる」
ビスケットが鼻先をピクピクと動かしながら、積まれた木箱の隙間へと滑り込んでいく。エルもコンパスを握り直し、慎重に路地を這うように進み始めた。
「火トカゲは警戒心が強い。脅かさないように、ゆっくり……ん?」
エルの丸眼鏡の奥の目が、無造作に積まれた木箱の一つに留まる。その表面には、黒く焦げた小さな引っかき傷のような跡が点々と続いていた。
指先でなぞると、まだ微かに熱を帯びている。
「ビスケ、ここだ。まだ新しい焦げ跡がある。この木箱を登って、屋根裏かどこかへ……」
「そうか。では吾輩が上から回り込んで奴を――」
ビスケットが木箱に跳び乗ろうとした、その時だった。
ガチャン! と、路地の奥から硬質な音が響いた。
「にゃあっ!?」
悲鳴にも似た声を上げ、何かが木箱の隙間から飛び出してきた。
全長三十センチほどの、燃えるような緋色の鱗を持つトカゲ。その小さな背中には、パチパチとはぜる火の粉のような模様が浮かんでいる。間違いなく、逃げ出した火トカゲの幼体だ。
どうやら、奥にあった不安定な金属製のゴミ箱を倒してしまい、その音に自ら驚いて飛び出してきたらしい。
「いた! ビスケ、捕まえて!」
「言われなくても!」
ビスケットが空中で体を翻し、しなやかな動きで火トカゲの逃げ道を塞ごうとする。しかし、火トカゲも負けじと素早い。小さな体をくねらせ、壁を這い上り、驚異的な反射神経でビスケットの爪を躱していく。
「くそっ、ちょこまかと……!」
「待って、僕が魔法具で……えーっと、『氷結のスカーフ』……いや、これじゃ寒すぎるかな? なら『粘着タールの投げ縄』……!」
エルが焦りながらローブのポケットをまさぐる。しかし、ドジな彼がとっさに適切な道具を取り出せるはずもなく、手にしたのは間違えて持ち出していた『爆笑するラッパ』だった。
「違う、これじゃない!」
「アホかお前は! 早く『魔力封じの網』でもなんでも出せ! 奴が路地を抜けるぞ!」
火トカゲは壁を蹴り、積み上げられたガラクタの上を跳ねながら、路地の出口――人通りの多い商店街の方へと真っ直ぐ向かっていく。あのまま人混みに出れば、パニックになるのは火を見るよりも明らかだった。
(やばい、このままじゃ……!)
エルは焦燥に駆られ、後先考えずに火トカゲに向かって身を投げ出した。伸ばした手があと数センチで火トカゲの尻尾に届く――!
「捕まえ――うわっ!?」
しかし、エルの足元にあったのは、先ほど火トカゲが倒したゴミ箱から転がり出た空き缶。
見事にそれを踏みつけたエルは、盛大に宙を舞った。
「ニャァァァァッ!?」
「うわあぁぁぁぁっ!?」
ドガァンッ! という派手な音と共に、エルは路地の出口に高く積まれていた空き箱の山に突っ込んだ。
木箱が崩れ落ち、盛大な土埃が舞い上がる。エルはその下敷きになり、視界が真っ白に染まった。同時に、エルの巨体が突っ込んできたことに驚いた火トカゲは、パニックを起こしてさらに猛スピードで路地の外へと駆け出していってしまった。
「イタタタ……」
埃まみれになりながら、エルがなんとか瓦礫の中から身を起こす。丸眼鏡はひしゃげ、ローブはドロドロだ。
「……ご、ごめんビスケ……逃がしちゃった……」
エルが力なく謝罪の言葉を口にするが、返事は無い。
いつものように「だから言っただろうが、このドジ!」という鋭いツッコミが飛んでくるはずなのに、路地裏には静寂が落ちていた。
「……ビスケ?」
エルが辺りを見回す。しかし、黒猫の姿はどこにもない。
崩れた木箱、散乱したゴミ、そして微かに残る焦げた匂い。それだけだ。
「ウソだろ……はぐれちゃったの?」
ぞわり、とエルの背筋を冷たいものが撫でた。
魔法の才がなく、いつもビスケットのサポートに頼り切りだったエルにとって、相棒の不在は致命的だった。「真夜中の魔法具店」の見習い店員として、一人で事件を解決したことなどこれまで一度もない。
(どうしよう……僕一人じゃ……)
途方に暮れるエルの耳に、路地の外――商店街の方から、人々のざわめきと、誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんだこの焦げ跡は!? 誰だ、うちの店の前で火遊びをした馬鹿者は!!」
「おい見ろ、あそこの路地から埃が……! きっとあの中に犯人がいるに違いないぞ!」
どうやら、火トカゲが逃げる際に残した焦げ跡と、エルが盛大に木箱を崩した音で、怒れる商店主や自警団がこちらへ向かってきているようだった。
(最悪だ……! あの炎の痕跡を見られたら、僕が魔法具でボヤ騒ぎを起こしたと勘違いされる……!)
エルは慌てて立ち上がり、逃げ道を探すが、路地の出口は既に人影で塞がれようとしていた。袋のネズミだ。
言い訳を考えても、手元に火トカゲがおらず、自分は埃まみれの怪しいローブ姿。どう見ても不審者である。
「終わった……怒られるどころじゃない。店を追い出されるかも……っ」
エルがギュッと目を瞑り、絶望のあまりしゃがみこもうとした時だった。
カランッ。
エルの足元を、小さな小石が弾け飛んだ。
「え?」
目を開けると、小石は不自然なカーブを描いて、路地の奥にある古井戸の裏側へと転がっていった。まるで「こっちへ来い」と誘うように。
さらに、エルを照らしていた夕日が、ふっと陰った。見上げると、路地の屋根に干されていた分厚いシーツが、風もないのにバサリと落ちてきて、目隠しのように張り出している。
路地の入り口からは、シーツの陰になってエルの姿が見えなくなっていた。
「……おい、誰もいないぞ? 気のせいか?」
「おかしいな、確かに派手な音がしたんだが……」
シーツの向こう側で、人々が首を傾げながら立ち去っていく足音が聞こえた。
エルは呆然としながら、シーツと、小石が転がった古井戸の裏を交互に見つめた。
(今の現象……偶然じゃない。小石の軌道も、シーツが落ちるタイミングも、誰かが魔法で意図的に操作したんだ)
エルはゆっくりと息を吐き出し、眼鏡のズレを直す。その瞳から、先ほどのパニックはすっかり消え失せていた。
(……ビスケだ)
姿は見えないが、過保護で口の悪い相棒は、ちゃんと近くで自分を見守ってくれている。直接姿を現して「こっちへ来い」と言わないのは、きっと火トカゲの追跡を優先しつつも、見捨てられずにこっそりサポートしてくれたからだ。
(あいつ、僕のこと信用してないくせに、いざという時は手助けしてくれるんだから……)
胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、エルは立ち上がった。
もう、一人だからといって怖がる必要はない。相棒が見守ってくれているなら、自分は自分の武器――すなわち「推理力」でこの事件の真相を解き明かすだけだ。
「よし……考えるんだ。火トカゲはどこへ消えた? なぜあんなにパニックになっていた?」
エルは路地の焦げ跡を再び観察する。
火トカゲは明らかに、一直線に逃げているわけではなかった。何かを求めて、匂いを辿るようにジグザグに進んでいる。
トビーが運んでいた香炉。それに付着していた『竜の溜息』の匂い。
(火トカゲは『竜の溜息』を餌だと思って追っている。でも、あの香炉はもうトビーの手元にはないはず……。いや、待てよ?)
エルは脳内で、今日の朝に読んだ新聞の小さな囲み記事を思い出した。「最近、東地区のパン屋で、燃料の石炭が何者かに盗まれる事件が多発」という記事だ。
(『竜の溜息』は、本来は錬金術の高度な着火剤だ。でも、安物の石炭にそれを一振りするだけで、一晩中燃え続ける極上の燃料に偽装することができる。あの香炉は、ただの骨董品じゃない――悪い連中が『竜の溜息』を違法に精製したり、パン屋の石炭をごまかすために使っていた道具だったんだ!)
そして、火トカゲが狂ったように探しているのは、その香炉そのものではなく、そこから発生し、街のどこかで大量に焚かれているであろう『匂いの発生源』。
(街で一番大きなオーブンを持ち、大量の石炭を燃やしている場所……そして、今の匂いの先にあるのは……!)
エルは顔を上げ、商店街の奥――街一番の規模を誇る「ベルンハルトのパン屋」の煙突を真っ直ぐに見据えた。
「……見つけた。そしてビスケなら、きっと先回りしてあそこで待ち構えてるはずだ!」
エルはパンパンとローブの埃を払い、自信に満ちた足取りで、パン屋へと向かって駆け出した。
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