けいこの寺子屋・かわら版第35回「人生の分母が増えても、私の時間は変わらない。」
新年になり、二十日が過ぎようとしています。二十四節気の大寒を過ぎ、今朝の気温はマイナス5.8°Cです。寒いです。
子どもの頃は一日が長くて、永遠に大人になれる日がこないのではないかと思うこともありました。年齢を重ねた人の方が「時間が経つのが早い」と感じるのはなぜだろうと、改めて考えています。
予定を詰めているわけでもないのに、一日があっという間に過ぎていく。
時間を感じる概念に関しては、不思議だと思うことばかりです。
年が改まると、「今年の漢字一文字」「今年のテーマ」などをnoteの中でも見かけます。書かれている方の日々がその一文字やテーマから感じられて、とても興味深いです。
私の中には、「余白」という言葉が浮かんできました。
できるだけ、〈しないこと〉を意識する。前回のかわら版にも書いたのですが、今年は、「ゆっくり」をテーマの真ん中に置こうと思っています。
そんなわけで、本日のかわら版は、「年齢と共に変わる時間の感じ方」をテーマに書いていこうと思います。
けいこの寺子屋・かわら版では、とるにたらないような話から、ちょっと深く潜った話まで、書いています。過去のかわら版はこちらから。
けいこの寺子屋は、『子どもの育ち探究』と書いていますが、現在、大人になった私たちも、かつては子どもだった時代があります。
それを思い出したり、記憶を上書きし、大人も学び続けることが重要です。
子どもたちと、子どもたちの育つ社会を構成する大人たちが、もっと幸せになることを願って始めたのが「けいこの寺子屋」です。
やなぎだけいこって、どんな人なの?寺子屋ってなに?については、こちらを読んでいただけたらと思います。定期購読は月3~4回。単体購入より定期購読がお得です♪
では、けいこの寺子屋・かわら版、はじまりはじまり。
「子どもの頃に感じた時間」
子どものころ、一日がとても長く感じられたことをよく思い出す。
夏休みの朝の静けさ、友達と遊んだ午後の時間、夕暮れの匂い、雨の雫が窓を伝う様子を延々と眺める……
時間の密度が濃くて、その世界には自分しかいないような、まるで時間が止まっているかのように感じられた。
「このまま大人にならないのかもしれない」
そう思うことも多かった。
それに比べ、大人になった今は、一日があっという間に過ぎていくことが少なくない。〈やるべきこと〉を意識せざるを得ない毎日の中で、時間がどんどん流れていく。駆け抜けるように過ごし、気づけば夜になっている。時間が飲み込まれ、溶けていくようだ。
いったい、子どものころの時間のゆったり感は、どこへ行ってしまったのだろう。
とはいえ、子どもの頃の時間の流れ方を懐かしむことはあっても、悲しむ必要はないのだと思っている。
時間の速さも、感じ方も、変わるもの。
子どものころの「長い」と感じる時間があり、今のスピード感があって、
全部を経て、〈今の私の時間〉があるのだから。
「比率で感じる時間」ー人生のスケール感を考えてみる
私は数字が苦手だ。
データというものにあまり興味を持てないことが多い。
でも、時には感覚だけでは捉えきれないことがあり、
特に誰かに説明するとき、データや数字は伝わりやすいツールになる。
とはいえ、苦手であることに変わりはないので、簡単に考えてみたい。
子どものころの一年は、人生全体から見るととても長い比率を占めていた。
5歳の私にとって一年は人生の5分の1。
でも、50歳を過ぎた私にとっては50分の1にすぎない。
同じ365日でも、人生全体から見た割合が違うーだから時間の感じ方も変わる。
この数字を頭で理解するだけでも、時間の感じ方が少しだけ感覚から具体的になる気がする。
長かった夏休みも、冬の夜の長さも、あのときだからこそ長く濃く感じられたのかと、数字の概念で少し納得できるのだ。
だから、大人になると、同じ365日でも、日常のルーティンや慌ただしさの中で一日が短く感じられる。それは、数字が示すひとつの真理なのだろう。
この仕組みを知るだけでも、時間の見方は少し変わる。
「時間が速く過ぎていく」と嘆くのではなく、
「人生の中での比率として、自分がどう過ごすか」
にフォーカスすることができるからだ。
「新しい体験と時間の密度」
とはいえ、大人になっても「なんだか緩やかに時間が過ぎた」と感じる日もあれば、「めちゃくちゃ楽しくて時間があっという間だった」ということもある。
子どもの頃も同様で、退屈な授業の時間は恐ろしく長いものだったし、楽しみにしていた行事が始まると一瞬で過ぎ去ってしまった。
こう考えると、必ずしも、時間の概念が全部「数字」の比率だけで決まるわけではなさそうだ。
大人になると、毎日がどうしても慣れたルーティンに包まれがちになる。
それが悪いわけではない。
年齢とともに、どんなに楽しくても、変化が大きいことはストレスになるようになるらしい。そのあたりは、生き物として自然な流れなのかもしれない。
若い頃は新しい環境にどんどん飛び込むことが多い。(もちろん、個人の性格や性質によってその度合やタイミングが違うことはあたりまえだけれど)。
けれど、年齢を重ねると、新しいことを始めるのには、勢いだけでは難しく、よっこらしょと重い腰を上げる気力と体力が必須になってくる。私自身、自分の中にそんな重さを感じるたびに、否応なしに年齢を感じる。
でも、様々なご縁やタイミングが、私をふと立ち止まらせてくれたり、いつもと少し違う道へと誘ったり、新しい人や場所に触れるきっかけを与えてくれたりする。
人、場所、出来事。
今まで自分のルーティンにはなかった景色が現れたとき、不思議と1日の時間が濃く感じられる瞬間がある。どうやら、脳は新しい情報に出会うと、時間の密度を高く感じるらしいのだ。
そう考えると、大人になっても、時間を濃密に感じたり、ゆっくりしか流れないと感じたり、あっという間に過ぎたと感じたり、時間の流れの感じ方が一定でないことに、納得がいく。
時間は、〈感じ方によって変化するもの〉だとするなら、どのような時間の流れも、自然なものなのかもしれない。
「意識的な余白と立ち止まる時間」
数字で概念を理解しても、日々の中で、忙しさに追われていると、自分の時間がどんどん速く流れていくようで、どこからかやってくる焦燥感に襲われることもある。
「あぁ、このまま歳をとっていくだけなんだろうか」と思う。
そんなとき、ふと立ち止まる。
あえて、いつもと違うことをしてみる。
ほんの少しだけ、いつものルーティーンを変えてみるのだ。
ここから先は
¥ 300
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!
