【短編小説】徐行運転の恋が、町中華で急カーブ
──よし、今日こそ一番乗りだ。
ここは、会社近くの中華料理屋。
退勤後の俺の行きつけだ。
どの料理も美味しく、リーズナブル。しかし、店はボロいし、ひっそり建っているので、知る人ぞ知る店となっている。
この店に行くようになったのは、2年先輩の松村さんが連れてきてくれたのがきっかけだ。松村先輩はこの店の常連で、本当は知られたくないと言いながら、仕事でミスして落ち込んだ俺を連れてきてくれた。その時食べたレバニラ炒めの味に感動し、それ以来週に3回は来ている。
今日も、定時と共に会社を飛び出し、一番乗りを狙って店に入ったら、先客がいた。松村先輩だ。さっそくグイグイとビールを飲み干している。彼女の飲みっぷりは豪快だ。ジョッキはすでに空になり、2杯目をもらっているところだった。
「かーっ!私はこの一瞬のために頑張ってるよ!」
毎回、彼女は気持ちよく生ビールを飲んでいる。彼女にこんなに美味しそうに飲まれるのなら、ビールのほうだって本望だろう。
「あ、小林くん。お疲れ!」
彼女は俺に気づいて声をかけた。
「あ、お疲れ様です」
俺は彼女の隣の席に座る。
「生中」
オーダーすると、すぐに生ビール中ジョッキが出てきた。2杯目のジョッキを手にした彼女と乾杯し、ごくりと飲んだ。かーっ!この瞬間がたまらない。
町中華といえば、瓶ビールが定番と言われるが、それでもよく冷えた生ビールが良くて飲んでいる。そういえば彼女も生ビールが好きだって言ってた。瓶ビールを飲んでいるところは見たことがない。
「小林くん、調子はどう?」
彼女が聞いてくれる。
「まあ、何とかやってます」
初めてこの店に連れてきてもらってからしばらくして、彼女は他の部署へ異動した。職場で顔を合わせる機会も少なくなり、今彼女と会えるのは、この店に来た時だけだ。正直、彼女に会いたくてこの店に通っていると言っても過言ではない。もちろん料理もおいしい。ここのレバニラは日本一だと本気で思っている。でもそれ以上に、彼女とたわいのないことを話せる時間がたまらなく好きだ。
少しぐらい気持ちが下を向いていても、彼女と話せるだけで元気が湧いてくる。恋をしているのは間違いない。でも、この時間が大切で、それ以上進もうという気はない。
俺は、好きな人ができると、関係を進めたいと思いつつ進めなくなる。たいてい相手と仲良くなってから好きになるから、今の関係を壊したくないと思ってそれ以上のアプローチが出来なくなる。
これまでも、今みたいに徐行運転をしたせいで恋が実らなかった経験はいくつもある。しかし、断られて今の関係が崩れるのが怖い。だから、現状維持を選んでしまう。前に進めないのは分かっていても、どうしても越えられない壁なのだ。
今日もこの時間を過ごせることに感謝しながら、ビールと共にレバニラをつまむ。すると、彼女が不思議なことを言い出した。
「私ね、昔から、結婚願望があるの。ほら、シルバニアファミリーっていう人形あるでしょ?あのお人形、いつも幸せそうじゃない。私もシルバニアファミリーで理想の家族ごっこをしていたみたいに、自分の家族を持ちたいと思ってる。でも最近、私の夢はそれだけじゃないなと思い始めて」
シルバニアファミリーって詳しく知らないから、そんなおもちゃだったか思い出せないけど、俺は細かいことは気にしない。先輩は続ける。
「私は家族も欲しいけど、仕事だって頑張りたい。今では珍しくなくなってるけど、両方の幸せを手に入れたいのよ。だから、家事を協力してやってくれる人がいるといいなと思ってて」
急にどうしたんだ。いつもは仕事の話こそすれど、こんな話はしたことがない。何だかいつもと様子が違って、胸騒ぎがする。
「この前友達に話したら、いい人紹介してあげるって言われたの」
俺の予感は当たった。これまで無風だと思ってた松村先輩の周囲が、にわかに騒がしくなる。話していても男性の影がなくて安心していたのに、この話のせいで恋人が出来たら、俺はどうしたらいいんだ。
俺は動揺を知られまいと、必死に笑顔を作って言った。
「それで、先輩どうすんですか?会うんですか?」
すると、彼女は困ったようにこちらを見た。
「どうしたらいいか分かんないの。こういうときって、会ってみたほうがいいのかな」
わからないと言われても、俺も困る。そりゃあ、会ってほしくないに決まっているが、そんなことは言えないだろう。
「そう言われてもなぁ」
俺は言葉に詰まってしまった。気まずい沈黙が流れる。気持ちを悟られないよう、慎重に彼女に伝えた。
「先輩は、どうしたいんですか?会ってみたい気持ちはあるんですか?」
すると、柄にもなく彼女はモジモジした様子だ。
──なんだ、会ってみたいんかい。
思わず、心の中で突っ込んだ。とはいうものの、このままだと本当に会ってしまうかもしれない。それは何とか阻止したい。でも、止める資格があるわけではないから、困ってしまう。
「会いたいなら、会ってみたらどうですか?会ってみないといい人かどうかわかんないし」
あ、心にもない一言が出てしまった。と思った時には遅かった。彼女はどうやら会うほうに気持ちが傾いている様子だ。
「やっぱりそう思う?会ってみようかな」
俺は慌てた。想像以上に、彼女は乗り気だ。どうにか止めないと、また俺の恋は片思いで終わってしまう。戸惑う気持ちで胸がいっぱいになり、思わず言おうと思っていないことが口に出た。
「近くにいい人、いないんですか?」
──おい、おれ!何言ってんだ。
思わず自分自身に心の中で突っ込んだ。俺の動揺に気づかない彼女は、普通に返事した。
「近く?会社の同僚としか会ってないからなぁ」
「その中に、いい人いるかもしれないじゃないですか」
そして俺は、また言おうと思ってなかったことを口にした。
「例えば、俺とかどうですか」
──うわ!言っちゃったぞ!終わっちゃうんじゃ、これ。
「い、いや、あの。あの!今言ったのはですね。えっと」
俺は慌てて取り繕った。しかし、彼女は驚いた顔でこちらを見ている。穴が開くほど顔を見つめている。
「それって、もしかして会ってほしくないってこと?」
彼女が聞いた。ここまで来たらもう逃げられない。覚悟を決めた俺は、答えた。
「はい。できれば、会ってほしくないです」
すると、彼女はしばらく考え込んだ後、急に帰り支度を始めた。
「ど、どうしたんですか?俺、失礼なこと言ったなら謝ります」
すると彼女は俺を見て言った。
「ちがう。お店変えて、2人で飲みなおそうと思ったの。ほら、行こう」
──それは、つまり、どういうこと?
「え、あ、ああ…」
俺もあわてて身支度を整えた。マスターにお勘定をお願いした。
「2人で3,100円になります」
ここで俺は間違いに気づいた。
「あれ?これ、2人で3,260円のはずじゃない?ほら、先輩がビールとメンマと餃子、俺がビールとレバニラだから、計算すると3,260円ですよ?」
ここのマスターは、いつもレジを打ち間違える。
「お兄さん、計算早いね。うん、確かに言う通りだ。こっちが間違ってたわ。ごめんなさい」
俺は清算を済ませて、彼女と店の外へ出た。
「お金払うよ。いくらだったかな」
彼女が言うのを俺が制した。
「いいです。ここは俺のおごりです。おごらせてください」
「わかった。じゃあ、ごちそうさまです」
彼女はにっこり笑って見せた。俺も少し安心して笑顔になる。
「そういえば、計算早いよね。算数得意なの?」
「子どものころ通ってた公文式のおかげです」
「公文式かぁ。懐かしいな」
「ところで、この後どのお店に行くんですか?」
「私の家の近くにバーがあるから、そこへ行こう」
俺と彼女は、並んで駅へ向かった。
2人の関係が進展したことを予感しながら。
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こちらの企画に参加しました。
今週の三題噺のお題は、「シルバニアファミリー」「徐行運転」「公文式のおかげ」でした。あまりに難しくて、めちゃくちゃ頭を使いました。難しすぎて、頭から煙が出るんじゃないかと思いましたよ。
とはいえ、楽しかったです。
いつもありがとうございます!
