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群れないけど、ひとりじゃない

私は、ママ友を作らなかった母親である。

正直、子どもが生まれればママ友作りなんて楽勝だと思っていた。たとえ人見知りでも、子どもを介せば人と仲良くなれるのではと淡い期待を抱いていた。

現実はそんなに甘くはない。気づけば、二男が小学6年生になった今でも、ママ友はほとんどいない。挨拶を交わせる程度の人はいても、雑談できるほど仲のいい人はいない。「嵐のラストライブ終わっちゃったね」なんて、たわいもないことを言い合える人は、家族ぐらいである。

なぜだろう。
人見知りだからか。

いや、それだけではないだろう。
人が嫌いではないもの。

ネット上では人と交流するし、中には実際にお会いした人もいる。年齢も性別も違う人と、普通に話すスキルは持ち合わせているつもりだ。だから、ママ世代にだって食い込めるはずだった。

でも、実際にはママ友がいない。
無風である。

どうやらコミュ障以外にも、原因がありそうだ。

◇◇◇

まず、忙しすぎた。今でこそ時間の余裕があるものの、ほとんどの期間を働きながら育児をしていた。職場では中堅どころやベテランとして重要な仕事を任され、残業しないと回らない業務量だった。子どもが待っているからと早く仕事を仕上げると、「まだできそうだね」と新たな仕事を任される。ただ、時間通りに早く帰りたいだけなのに、職場の認識は「仕事に燃えている人」だった。増える業務量に四苦八苦しながら働いた。

しかも、夫や義実家の意向で、子どもたちを保育園ではなく幼稚園に通わせていた。保育園の方が働く親として助かるが、バス通園の都合や家からの距離、実家や義実家の送迎のしやすさを総合的に考えたとき、わが家には幼稚園の方が有利だった。

幼稚園にも、ママ同士のお付き合いは存在する。たとえば、授業参観や運動会などの行事。そういう場でママ友を見つける人も多いだろう。しかし、私は残念ながら違った。なぜなら、夫がいるから。幼稚園のほとんどの行事に、夫は参加した。子どもの成長をなるべく逃したくない夫は、行事予定を細かくチェックし率先して休みを取った。たとえママたちの中たったひとりの男性であろうと、教室のど真ん中で堂々としていた。良くも悪くも空気を読まない夫のおかげで、ママ友がいなくても寂しさを感じなかったのである。

そんな私でも、幼稚園のクラスLINEには入っていた。声をかけてくれる方のおかげで、仲間はずれにされずに済んだ。ママ同士でランチに行ったこともある。そこでは、人見知りがウソのように、いろんなママに「何頼みました?」なんて声をかけることができた。おかげで、子どもを介さなくても話せるママたちが増えていった。ママ友作り最大のチャンス到来。確変に入ったのをいいことに、これからもっと仲良くなろうと、腕をぶん回していた。

そんな矢先に起こったのが、コロナ禍である。不要不急、3密、ソーシャルディスタンス。チャンスは脆くも崩れ去った。ランチ会がママ友作りの最前線だったのに、機会を失ってしまった。園の行事も必要最小限となり、人数制限がついた。授業参観では雑談を交わすこともせず、マスク越しにひっそりただわが子だけを見つめる時間となった。

ランチ会は、結局二男が幼稚園を卒園するまで復活しなかった。少数ならやろうという機運もあったが、その頃には本格的に職場復帰をしていたので、お呼びがかかることはなかった。しかし、寂しさを感じる暇はなかった。

仕事を切り上げ、通園バスが家に来る時間までに必死で帰る。子どもたちにおやつを食べさせたり遊ばせたりする合間に、洗濯物を取り込んだり食事の支度をする。さらに、食事の後には入浴が待っている。入浴後、ご機嫌をとりながら着替えをさせ、お茶を飲ませ、寝かしつける。一息もつく間がない。子どもと寝落ちすることもザラにあった。余裕の「よ」の字もないほど、私には時間がなかった。

クラスLINEも、コロナ禍になってから全く動かない。幼稚園のPTA役員をしている人からの業務連絡ぐらいしか来なくなった。返事を急かされる必要がなくなったぶん、マメにチェックをしなくても大丈夫だった。

状況は、子どもたちが小学校に上がっても変わらない。コロナ禍で疎遠になったママ友付き合いは、そのまま動きがなかった。幼稚園の頃のママたちとは、挨拶は交わすものの雑談をする機会は減った。

それに、小学校の行事にも、あの男がいた。そう、夫である。相変わらず行事のたびに顔を出していたため、まめなパパとして知名度をあげた。とうとうPTAに目をつけられ、気づいたら役員に名を連ねていた。

子どもたちの学校では、子の在学中に一度はPTAの係をやらなければならない決まりがある。この決まりに憂鬱になっていたが、思わぬ形で解決してくれた。夫が役員をやったおかげで、係を振られることは一切ない。多忙を極めていたので、渡りに船だった。

他のママたちが通る道を通らなかった後ろめたさは、正直ある。PTAを経験することで生まれたかもしれない絆を、手に入れなかった。

学校の情報欲しさに、PTAに立候補する人もいるらしい。情報を武器に、ママ友内でボスになる人もいるようだ。私も、夫からもたらされる学校の情報を武器に、ママ友を作ることもできたはずだ。実際、幼稚園で繋がりのあったママから、先生の情報を聞き出されそうになったこともある。私もその先生の問題を知っていたけど、とうとう口を割らなかった。情報を振りかざしてボスママになる道を、自ら捨てたのである。

当事者のいないところで話題にするのが、どうしても気分が悪かった。そうやって繋がった人とは、たぶん続かない。どうせ繋がるなら、この先子ども同士の繋がりがなくなっても仲良くできる人と付き合いたい。ママ友がいないくせに理想は高い。立派だ。しかし、実績のない、空っぽの志である。

そんな志を振りかざして、誰にでも平等であろうとした。夫のせいで転がり込んできた、役員の妻という立場。正直嫌だったが、そんなことも言ってられない。率先していろんな問題に首を突っ込んで、自ら諍いのタネを作るつもりもない。貝になるしかなかった。下手なことを言うより、賢明だと思った。

貝になって以降、ママたちとはますます挨拶程度の仲にしか発展しない。雑談もせず、授業参観でひとり熱心に子どもを観察する私。下手に情報を流さないという自分との約束は、強固に守られた。

子どもたちが小学校に上がってからのLINE追加件数は、たった1件。
これが実績である。

子ども同士が遊ぶ約束をしてくるのに、まともに約束できないことに困って、親同士繋がることを選んだ1件のみだ。それ以外、見事に誰とも繋がっていない。

本当にこんな状況で、困らなかったのだろうか。
その問いには、「困らなかった」と答えられる。

まず、忙しすぎてママ友コミュニティをチェックする暇がない。おかげで、人付き合いの煩わしさは全くなかった。LINEの既読無視や「怒らせちゃったかな」と思う返答に、心を砕かなくてよかった。

情報という面では、PTA役員の夫がいるおかげで全く困らない。それどころか、夫にママ友やパパ友ができたおかげで、1人置いてきぼりにならなかった。人付き合いが全くないのに、情報弱者じゃない。謎に強い。

一匹狼オカンの誕生である。
群れないけど、ひとりじゃない。
群れないから、煩わしくない。

たまに話しかけられても、「今日はパパお休み?」と聞かれるぐらいのものだ。そのまま会釈をして、私は子供の方へ向かう。ずいぶん気楽である。無理に共通の話題を探さなくていい。やはり、無風である。

それでも、無風な日々にも隙間風は吹く。「ママ友がいたら」と考えたことは、幾度とある。気軽に育児の悩みを話せる人がいたら、私の人生はどうなっていただろう。

たとえば、長男が不登校になりかけたとき。不安を聞いてくれる友人がいたら、どれだけ心強かっただろうか。第三者の意見で解決の糸口が早く見つかったかもしれない。

私がうつ病になったとき、寄り添ってくれる友達がいたら、もっと早く回復していたかもしれない。

母の認知症がわかったときに、同じ経験をした友達からアドバイスをもらえていたら、もっと落ち着いて母と話せたかもしれない。

たくさんの「たられば」が、心に渦巻く。しかし、時は戻せない。「時を戻そう」と言うぺこぱでも、無理がある。

だから、この道を行くしかない。
私の選んだ道なのだから。

冷静に考えると、決して孤独ではない。
夫は夫の役割だけでなく、ママ友やパパ友の役割まで担ってくれている。高性能ママ友だ。スペックが高いおかげで、不自由なく過ごせている。

私にはネットで繋がった人たちがいる。心の中をつぶさに書き続けているから、下手するとネットの人たちは私の家族より私を知っている。まさか夫を高性能ママ友と言っているなんて、家族には絶対に見せられない。私とネット仲間たちの、墓場まで持っていく秘密である。

きっとこの先も、新たにママ友ができる兆しはないだろう。何せ、LINE登録件数が1件なのだから。実績がモノを言っている。

寂しく感じない。すでに私は、人に恵まれているのだから。何でも聞いてくれる人がいる。表面上は一匹狼オカンでも、1枚めくればちゃんと居場所があるのだ。

私には、高性能ママ友がいる。

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