【掌編小説】とんとことんとぽこぽこ
今晩のおかずは、夫の克哉が好きな豚の生姜焼き。
さわやかな生姜と、香ばしいしょうゆの香りが食欲をそそる。
私は、克哉が仕事から帰ってくるタイミングを見計らって、生姜焼きを作って盛り付けた。キャベツの千切りと一緒に盛られた生姜焼きは、湯気を立ててこの家の主人の帰りを待っている。
「ただいま。今日は生姜焼きか!」
克哉が帰ってきた。香りを嗅いで生姜焼きだと当てるあたり、相当好きなんだな。いいタイミングで食卓に出せて、私もうれしい。
「オレ、生姜焼き食べると疲れが吹っ飛ぶんだよね」
さっそく2人で食事を始めた。
「この豚肉、すごくおいしいね。いつものスーパーの?」
克哉が豚肉の味を絶賛している。
「この豚肉はね、とんとことんっていう名前のお店で買ってきたんだよ」
豚肉を買ったお店「とんとことん」は、私が会社で外回りをしているときに見つけた。変わった名前のお店だからインパクトがあって、しばらく記憶から消えなかった。昨日、克哉が休日出勤でいなかったので、ドライブがてら一人で買い物に行ってきたのだ。
「とんとことんって名前が変わってるな。豚が行進してそうな名前。でも、肉はうまい」
克哉が喜んでご飯を食べている姿に、私も自然と笑顔になる。モリモリ食べる克哉を見ると、今日一日が報われた気がする。克哉はこの豚肉が相当気に入ったらしく、珍しくご飯を3杯もおかわりした。
食後、お茶を飲みながら、私のお腹にいる子どもの話題になった。性別はもうわかっている。男の子らしい。
「オレに似て、運動神経のいい子になってほしいな」
克哉はご機嫌そうに語った。確かに、運動神経のいいところは似るといいなと私も思っている。私は運動神経は普通ぐらいだけど、小学校4年生の運動会のリレーで派手に転んで以来、運動に対して苦手意識がある。
リレーのトップを走っていたのに、バトンを渡す直前に転び、次々と抜かされたあの日。応援していたクラスメイトの「あーあ」という声が、脳裏にこびりついている。悔しさと恥ずかしさで頭の中がぐちゃぐちゃになり、次の走者にバトンを渡した後に号泣した。私の黒歴史と言ってもいいぐらい、思い出すのも忌々しい。だからできれば、運動能力は克哉に似てほしい。
そう話すと、克哉は不思議そうな顔をした。
「苦手と思っているだけで、果歩は本当は運動できるかもしれないよ?」
「そうかな。私はリレーで転んで抜かされたのがトラウマになっちゃってるから、なかなか難しいよ」
すると、克哉は諦めきれない様子で言った。
「果歩のトラウマ、払拭したいな。ほら、苦手って思いこんでいるだけで、実はそんなに苦手じゃないかもしれないだろ?」
「そんなことないよ。リレーっていうだけで、潜在意識レベルで刷り込まれているぐらい嫌な気持ちになっちゃうのよ」
私はとにかく、走ることだけはなるべく避けるように生きてきた。運動会もひとりに責任が集中しない玉入れなどの競技を選んで、運動面では目立たないように過ごしてきたのだ。そう生きているうちに、運動は苦手という意識が刷り込まれている。
──でも、スノボは違ったな。
そういえば、結婚前に克哉と一緒に行ったスノーボードには、私もハマっていた。ちゃんと教室に入って習ったおかげもあって、上手く滑れるようになった。気づいたら私は、克哉の手を引っ張ってリフトに乗るぐらい、楽しんでいた。まさか私が先頭になってリフトに乗るなんて、いつもの私からは想像できなかった。そう考えると、運動全般が苦手というわけではないかもしれない。
「とにかくまずは、子どもが大きくなったらいろいろ経験させてあげたいね」
克哉はそう言うと、子どもの習い事を調べ始めた。
「1歳から通える体操教室」とか見ている。
もしかしたら克哉は、意外と教育熱心なパパになるかも。
──それにしても、気が早いなぁ。
そう思った時、赤ちゃんがお腹を蹴った。
「今、お腹蹴った」
すると克哉は私のお腹に顔を近づけ、話しかけた。
「おーい、パパと一緒にいろいろ遊ぼうな」
克哉の声に返事をするかのように、赤ちゃんがポコポコと動いた。
私たちは、顔を見合わせて笑った。
家の中の空気が、ふんわりと膨らんだ気がした。
(1,703字)
今回もヤスさんの三題噺に参加しました。
今回のお題は、「とんとことん」「潜在意識」「運動会のリレーで転ぶ」でした。「とんとことん」に手こずりましたが、何とか書き終えました。むずかしかったです。
ちなみに、「とんとことん」というお店は実在します。
