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母の日の手紙は、私だけのお守り。

昨日は、母の日だった。

「母の日だから、夕飯はケンタッキーの母の日バーレルにしよう」と夫が提案したので、ケンタッキーのチキンとビスケットをたらふく食べた。わが家の母の日にはカーネーションはないけど、家でのんびりとおいしいご飯を食べられたから、十分幸せだと思っていた。

ところが、母の日はそれだけでは終わらなかった。

飲み物を取りに台所へ行った。私しかいない静かな台所に、メモが畳んでおいてあった。見てみると、小さなメモにびっしり文字が書かれている。なんと、私宛ての手紙だった。送り主は長男。どうやら、進研ゼミのオンライン授業が始まる前に、置いて行ったらしい。

手紙を読んだとたん、台所にはこの日一番やさしい時間が流れた。長男の気持ちが小さな手紙からあふれる。私の目には、みるみる涙がたまっていった。油断したら涙をこぼしてしまうので、上を向いてこらえようとした。しかし、目じりから涙は流れて行ってしまう。

「どうしたの?」

夫が私の異変に気付いて、声をかけた。

「長男くんが、手紙、くれた」

私は泣きながら夫に報告した。
夫は私のそばへ寄り、手紙を手に取って開こうとした。慌てて私は手紙を取り戻す。私以外の人に見せるつもりではないと思ったからだ。

「私のための手紙だから。私と長男くんだけの秘密にする」

夫はかなり粘って読みたがった。確かに、内緒にするような内容ではない。でも、長男が私のために書いてくれた思いを、むげにしたくない。夫の何度にわたる申し出にも、私は信念を曲げなかった。もちろん、夫に悪気があるわけではない。純粋に内容を知りたかっただけだろう。しかし、夫と長男の関係を考えると、見せるわけにはいかなかった。

中学1年生になった長男。思春期を迎え、難しい年ごろになった。私にはまだ従順だけど、夫にはかなり反抗する。この日も昼過ぎに、ゲームをめぐって大ゲンカしたばかりだった。夫は長男との距離を測りかねているので、私が手紙をもらったことが羨ましかったのかもしれない。

長男からすると、長男の思いを受け止めずに考えを無理やり押し付けてくる夫を疎ましく思っている節がある。夫としては、長男が心配でつい口を出してしまって、気がつくと言い合いになっている。

対する私は、長男の思いを一度受け止めるように話を聞いているからか、今のところ反抗されることはない。もちろん心配なことは伝えるが、まずは長男の話を全部聞くと決めている。聞いてから、心配や懸念を伝え、そのうえで長男がどうしたいかを考えさせる。今のところ、この方法で私と長男の仲は良好だ。

もしかすると、私は大雑把で子どもを信頼しすぎているのかもしれない。もちろん心配はあるけど、失敗も大事な経験だと思っているので、命にかかわることでなければ何とかなると思っている節がある。私が失敗を許されず育ってきた人間なので、子どもたちには失敗を恐れず向かっていける、しなやかな心を身につけてほしい。

決して、子どもと関わるのを面倒くさがっているわけではない。夫が口うるさく言うタイプなので、私まで細かく口を出してしまうと長男の逃げ道がなくなってしまう。そう思うからこそ、喉元まで出かかる心配事をぐっと飲み込んで、長男の思いを尊重するようにしているのだ。

長男との関係の築き方が正しいかどうかわからない。そもそも正解があるかどうかも、わからない。でも、コミュ障の私なりに、必死で子どもを育てている。育児書に書かれているような模範的な子育てはできないからこそ、日々子どもに試されていると思いながらも、不器用に育児をしている。おそらく子育ての形は千差万別で、子ども一人ひとりにぴったりくる形は違っているだろう。少しだけ特性のある長男に合う形はどれかと、試行錯誤しながら育てている。

手紙から脱線して、育児への思いがあふれてしまった。

長男に私の思いが伝わっているかは正直わからない。でも、母の日に感謝の手紙をくれた。手紙が、私の育児を肯定してくれた気がした。

長男の手紙は持ち歩けるように、手帳型スマホケースのポケットにしまった。育児でくじけそうになった時、心の支えになってくれそうな気がする。

長男のやさしい手紙が、私のお守りになった。
これからも、迷いながらも信じることをやめず、育てていきたい。

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